対話/episode79

「食べる?」


 ベンチに座っていた咲久来にチュロスを手渡す。ちょうど近くで売っていて気になったので買ってみた。食べるのは初めてだが、スイーツは外れないでしょう。

 咲久来は一瞬目を輝かせたが、すぐに伏し目がちになる。それでも「ありがとう」と謝辞を述べ、受け取ってくれた。


「あなたって年相応の表情も見せるのね。知らなかったわ」

「あなたこそ。人を気遣えるなんて知らなかったよ。話したり……関わったりしてみないとわからないものだね、こういうの」


 ベンチには私と咲久来の二人だけ。太刀川くんには席を外してもらった。

 以前の咲久来なら間違いなく、この場で戦うことを選んだはず。だけど今の彼女は「私と話をする」という手段を選んだ。心情に変化があったというなら、やはり面と向かって聞くのが筋だろう。


「この前の戦闘のこと、全部聞いたよ。お兄ちゃんは全部知ったんでしょ。自分の生まれも育ちも……あなたが嘘をついていたことも」

「 ……そうよ。今の太刀川くんは全部知ってる」


 咲久来がずっと私を許せなかったわけ。それは私が太刀川くんの素性を教えず、騙していたからだ。事情を把握している彼女からすれば私は「お兄ちゃんを利用している悪い魔女」だったのだろう。

 今さら言いわけはしない。それは紛れもない事実。もしあなたが糾弾するのなら、私は受け入れる。


「お兄ちゃんはさ……許したの?」

「え?」


 しかし彼女の口から飛び出したのは予想外の言葉だった。


「だから! お兄ちゃんは許したのかって聞いたの! 今も一緒にいるってことはちゃんと面と向かって謝ったんでしょ?」

「ええ。許してくれたわ。あなたはまだ私のことが許せないでしょうけど……きっとそれが普通よ。彼は寛大過ぎるから」

「そっか……」


 それだけ言うと咲久来は口を噤んでしまった。

 太刀川くんは私を許してくれた。けど、咲久来がその事実をどう受け止めるかはわからない。例え太刀川くんが許しても、彼女から奪ったことに変わりはない。


「許しちゃったんだ。はあ、お人好しのお兄ちゃんらしいといえばお兄ちゃんらしいか。それに決めたことには頑なだし……私はこれ以上なにも言えないじゃん」


 呆れたように咲久来はため息を吐く。けれどその表情はどこか安心していたようだった。


「納得……しているの?」

「そりゃそうでしょ。本人が許しちゃってるんなら、私はなにも言えない。これ以上は私の厚かましい『お節介』になる」


 そう言って彼女は気を紛らわせるようにチュロスを頬張った。所在なかった私も同じようにチュロスを口にする。口の中一杯に広がるココアパウダーは甘く、甘く……優しい気持ちで満たされていく。

 食べ終わった咲久来は儚げに空を仰いでいた。まるでなにかを思い返すよう。


「私……最初知らなかったんだ。お兄ちゃんの記憶が書き変えられてたこと。私が出会った時にはすでに『僕』って言ってたから」

「あなたはいつ知ったの?」

「あなたたちと初めて戦った後だよ。太刀川家が七氏族の一つっていうのは知ってたけど、お兄ちゃんはずっと魔力がないって話だったし。お兄ちゃんの記憶が消されていたことを私に言わなくても大差ないって思われてたのかもね」


 咲久来はあっけらかんと口にする。

 八神と太刀川の家は咲久来に変に気を遣わせたくなかったのかもしれない。魔力ゼロで兄と才能に溢れ、輝かしい未来を約束された妹。同じ世界にいたはずなのに埋まらない絶対的な溝。

 咲久来がその事実を知れば彼の隣にいることがつらくなるはずだ。ならば太刀川くんには最初から魔術師になる道はなかったと伝えておいた方がはるかにいい。


魔術師ウィザードを目指したのは大切な人を……お兄ちゃんを守るためだった。魔力がないお兄ちゃんの分も私が影で戦って、みんなの平穏な暮らしを守りたかった。お兄ちゃんには私が守る世界で、ただ普通に生きて欲しかった」


 彼女の目は遠く、空の最果てを見る。在りし日の自分を思い返すその目は切なげで、失ったものを省みているようだった。


「でもその守りたかった人がいなくなった。私は大切な人の死が受け入れられなくて、それまで頑張ってきた意味も失っちゃって……気づいたらあなたを憎みながら戦ってた。お兄ちゃんが教会側の人間だったって思えば思うほどあなたが許せなかった」

「あなたが守ろうとしたものを私が失わせてしまったから……あなたは私と敵対することでしか教会の魔術師でいる理由を見出せなくなった。そういうことね?」

「そう。それを最近になって気づかされた。ずっとお兄ちゃんを助けるために戦ってたつもりだったけど、それは私の『お節介』でお兄ちゃんは望んでなかった。結局は自分のために戦ってただけなんだって……あの仮面の魔女が言ってた。お兄ちゃんがあなたを許したって聞いた時、本当にその通りだったんだって妙に納得しちゃったし」


 話してみて初めてわかることが多かった。咲久来は決して教会のために戦ってるわけじゃなかった。私が太刀川くんを巻きこんだから、彼女の信念が歪んでしまった。全部太刀川くんのためだった。

 もしもっと早くあなたと向き合っていたら……こんな悲しみの連鎖を築く必要はなかったのかもしれない。ちゃんと話をするべきだったんだ。


「あなたは……これからどうするの? この先も魔導教会に仕えるつもり?」

「どうだろう。私にとって家も重要だし。でも……できるならお兄ちゃんのためになる道を選びたいかな」


 ——今ならきっと咲久来とわかり合える。


 そう思って言葉を紡ごうとしたその時だった。グラウンドに無数の悲鳴が轟いたのは。


「やっぱりここにきたんだ……桐生睦月!」

「あなた、まさか」

「そのまさかだよ。私は魔導教会を離反した桐生睦月を捜索するために派遣されてきたの。じゃ、お先に失礼」


 捨て言葉を吐き、咲久来が一目散に駆けていく。武装していた彼女が学園祭にいたのはこのためだったのね。

 私ももたもたしていられない。全速力で咲久来の後を追いかけていく。

 あと少し、もう少しで通じ合える。睦月と決着をつけて咲久来と対話を果たすんだ。


 *interlude out*


 束になった金切り声がグラウンドに鳴り響く。声の出所は校門付近。つまり——


「桐生さん……やっぱり君は!」


 彼女が引き返せない領域へと踏みこんだということだ。殺戮という越えてはならない一線を越えたんだ。


「お兄ちゃん、いくよ!」

「咲久来!? いくって!?」

「説明は後よ、太刀川くん! 今は睦月を止めるのが先!」


 駆け出そうとしたその刹那、咲久来と愛梨彩が追い越していく。並走する二人の間には険悪な雰囲気が流れていなかった。


「今は味方……ってことか!」


 二人がどんな話をしていたのかは知らないが、心強い限りだ。『俺』は生徒の波を掻き分け、二人を追いかける。


「どうなってんだよ……これ」


 校門に着いた時、そこは地獄絵図と化していた。無数の死霊軍団と逃げる生徒たちでごった返していた。死霊たちの先頭には……桐生さんと大河百合音がいる。


「すまない。想定以上に数が多くて被害を出してしまった」


 先にきて戦っていたブルームが引き下がると同時に謝罪した。


「彼女の魔術式は劣化したんじゃなかったのかよ!まさか……魔晶石か!?」


 これは想定外の状況だ。押し寄せる骸骨の兵士たちの中に紛れてゾンビのように緩慢な動きをする生徒たちがいた。その場でレイスを増やしているなんてありえない。劣化した桐生さんの魔術式ではサラサのように死霊の大群を操れないはずだ。

 考えられる手段は——俺の体の維持に使っていた魔晶石。一時的にパワーアップを果たすならそれだけで充分な力がある。


「それだけじゃない! あれは魔術式を暴走オーバーロードさせているのだわ!」


 遅れてフィーラと緋色がやってくる。そのそばには綾芽と貴利江までいる。


「そうだよ。その通りだよ。私の魔術式、今暴走してる」


 桐生さんの顔が異様なまでにやつれていた。まるで体から力を絞り出しているようだ。これが魔術式の暴走なのか。


「あなた、自分がなにをしているかわかっているの!? そんなことをすればあなたは!」

「今さら構わないよ!! こんな力欲しくもなかったんだから! 全部……全部壊してやる。全部死んじゃえばいいんだ!!」


 桐生さんは愛梨彩の言葉に耳を貸さず、触手の槍を放つ。俺は咄嗟に『限界なき意思の剣ストライク・バスタード』を召喚し、斬り払う。


「もう声は届かないのか……」

「そうみたいね……今の彼女はこの先のことなんて考えてない。歯車が壊れてしまっているわ」


 以前、フィーラが無理に魔術式を行使すれば使い物にならなくなると言っていた。けど今の桐生さんは後先なんて考えちゃいない。この一時だけのために限界まで力を引き出そうとしている。


 ——俺の存在がそれほど彼女を追い詰めてしまったのか。


「怖いなぁ、太刀川くん。あなた、私を殺せるの? 殺せないよねぇ!? お友達みたいにレイスにしてあげる!」

「お友達……?」

「太刀川……」


 死霊のうちの一体が呻くように俺の名前を呼ぶ。それは紛れもなく友人の本宮その人であった。隣には一乗寺もいる。ほかにも先ほど絡んできた大学生らしき姿もある。……見境なしか!


「桐生!! てめぇ!!クラスメイトまで!!」

「落ち着くのだわ、ヒイロ!!」


 目を背けたかった。俺の友達が桐生さんの死霊となって現れた。クラスメイトだったはずなのに。けれど……気持ちに反して俺は桐生さんを睨んでいた。


「君を倒す……それが俺にできる唯一の——」

「あなただけに背負わせないわ。私も戦う。それに仲間もいる」


 言い終える前にそっと愛梨彩が俺の肩に手を乗せた。そうだ、一人でなにもかも背負う必要はない。


「あなたが魔術式を暴走させて死霊を増やすなら、私も同じことをするだけよ!」

「まさか愛梨彩!?」

「大丈夫。ちょっとの間戦闘ができなくなるだけだから」


 彼女の目がまっすぐ俺を見る。

 愛梨彩は自分の魔術式を暴走させようとしていた。けど……みんなを救う方法はそれしかない。俺は「君を信じる」と言うように首肯した。


「そういう仲良しムーブ……イライラするんだよねぇ!!『奴隷のための鎮魂歌レクイエム・フォー・スレイヴ』!!」


 声を荒げた桐生さんが骸骨兵に対して三枚のカードを放る。サラサの置き土産の魔札スペルカード!!

 現れたのは——三体の砂の巨人。おそらく残された全てのカードを放ったのだろう。ここでなにもかも使い尽くすつもりか。


「なにもかも壊れちゃえ!!」


 巨人たちが一斉に剛腕を振るい、土の弾丸による嵐が見舞われる。


「ちょっとアヤメ! あなたなんとかしなさいよ!!」

「うーん、それは無理でありんすねぇ。一体ならともかく三体。取りつく島がありんせん」


 フィーラと綾芽は言い合いをしているが、回避で一杯一杯になっている。このまま躱し続けるのは限度がある。


「みんな私の指示に従って! 綾芽! 傀儡で骨のレイスを排除しつつ、生徒を蔓で捕縛して! あなたなら余裕でこなせるでしょう?」

「随分な言いようでありんね。ふふ、任せてくんなまし」


 悠然と笑みを浮かべた綾芽が魔本スペルブックを開き、ゴーレムを呼び出す。たちまち骸骨の軍勢は岩の兵士たちと拮抗し合う。


「フィーラ! 勝代くん! ブルーム! 貴利江! レクイエムをお願い!」

「任せるのだわ!

「ああ、いいぜ。そういう命令なら大歓迎だ。乗った!」

「了解した!」

「承知しました。この場だけはあなたに従いましょう」


 緋色と貴利江が瞬時に変身を遂げる。そして四人は一目散にレクイエムへと向かっていく。

 これで敵の攻撃の手が緩んだ。残るは——


「私が睦月を相手すればいいんでしょ?」


 ——咲久来。


 模倣魔法という相性の都合上、百合音の相手は俺がすることになる。一番つらい役目を彼女に押しつけることになるかもしれない。


「ええ。私たちが加勢するまでの間、時間を稼いでくれれば」

「わかった。ここは私が引き受ける。お兄ちゃんは今のうちに百合音を!」


 それでも妹は気丈に答えてみせるのだった。その背中はとてもたくましく見えた。ずっと等身大の女子高生だと思っていた彼女がこんなにも立派になっていたなんて。


「任せたぞ! 愛梨彩、咲久来!!」


 その背中になら全てを預けられる。俺は跳躍し、百合音に向かっていく。

 全員で協力して生徒たちを元に戻す! 俺は俺の役割を全うするだけだ!!

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