僕は正義の執行者にはなれない/episode33


 ナイジェルを敷地外に待機させ、俺たち四人は境内へと入る。


「あら、こなところまでわっちを追いかけてくるなんて……それも野良と教会がいっぺんに」


 綾芽は透き通った声でこちらへと喋りかける。彼女の面差しは待ち人がきたことで恍惚となり、怪しい魅力に満ちていた。


「『焼却式——ディガンマ』」


 綾芽の言葉をつゆも聞かず、アインは業火を放っていた。業火はたちまち燃え広がり、木製の人形たちを炭へと変えていく。

 この調子で燃やし尽くせれば木偶人形なんて恐るるに足りない。教会がアインを派遣したのは相性を考えてのことだったようだ。


「手が早いお人でありんすねぇ。でもそれならそれでぬしさんの望みに応えんしょう」


 綾芽は手に持っていた本を開く。


魔本スペルブック!?」


 咲久来が驚きの声を上げる。同時に俺も当惑していた。

 魔本スペルブック魔札スペルカードの発展により衰退したものだ。なによりも燃やされると継戦できなくなるという欠点が大きい。その欠点を気にしていないということは……俺たちを近づけさせるつもりが全くないという意思の表れか。


「『手を招く 巨石の影は つわものか』」


 綾芽の詠唱により呼び出されたのは石塊だった。それも一つや二つじゃない。一〇……一五……両手の指で数えきれないほどだった。

 石塊は分裂し、さらに数を増やす。小さくなったそれはやがて手と足を生やし、自律行動し始める。いわゆるゴーレムによる兵団ができあがったわけだ。


魔本スペルブックに……草木と岩のダブルエレメント。力量が推し量れないとは思っていたけど、まさかここまで予想外のことをしてくるとはね」


 愛梨彩が綾芽を睥睨する。

 ダブルエレメントということは、綾芽は草木と岩の両方の属性を使いこなせると考えた方がいいだろう。属性を広く浅く使える咲久来も敵として厄介だったが、二つの属性を熟達しているとなるとこれもまた厄介だ。


「これならぬしさんが暇を持て余すこともないでありんしょう?」


 綾芽の糸目の奥底にある瞳がしっかりとアインを捉えていた。炎魔法への対策を講じたことで彼を煽っているようだ。


「だったら術者であるあんたを速攻で倒す!」

「ふふふ。勇ましいでありんすね。では本堂の奥でぬしさんがたどり着くのを気長に待つとしんしょう」


 それだけ言い残すと綾芽は本堂の中へと消えていく。残されたのは石巌せきがんの兵士たちによる厚い壁。


「我々魔女の方が制圧向きだろう。傀儡の掃討……手伝ってもらえるか、九条?」

「ええ、異論はないわ。太刀川くんは彼女と一緒に進路を拓いて」

「了解」


 咲久来の方を見やる。俺同様彼女もしっかりと頷いていた。今回は味方で頼もしい限りだ。


「ではいくぞ。『焼却式——ディガンマ』」

「『水龍の暴風雨レイジ・ドラゴン・レイン』!」


 業火と豪雨が同時に襲いかかっていく。木偶人形の時ほどではないが、充分なダメージだ。このまま押せば、綾芽への道が拓ける。


「いくぞ、咲久来!」

「うん!」


 俺と咲久来はその場から駆け出し、ゴーレムへと向かっていく。俺は『限界なき意思の剣ストライク・バスタード』を手に取る。


「『進みゆく意思の炎刃ソニック・ストライク』!」

魔札発射カード・ファイア! 『黒水』!」


 炎の刃と水の弾丸が直線上の敵を粉砕していく。石塊の壁にわずかながらも隙間ができる。

 俺たちの役目は進路を拓くこと。隙間を広げるように周りのゴーレムたちを倒していく。

 だが、その隙間はすぐさま埋められてしまう。減らすよりも増える方が早く、数は増していくばかり。おそらく断続的に術を発動しているのだろう。今は亡き、どっかの誰かが嫌でも思い出される。


「数が多すぎる……!」


 弱音を吐くように咲久来が言葉を漏らした。

 援護射撃を受けてもすぐには怯まない頑強な相手だ。簡単には倒せない。なにより……俺たちが前衛に出ると最初のように範囲魔法が使えない。


 ——一旦下がって仕切り直すか……?


 と逡巡したその時だった。


「どいてちょうだい」


 いつの間に愛梨彩が跳んできていた。


「『瞬間氷晶ダイヤモンド・ダスト』!!」


 指の音が境内に鳴り響くと、たちまちゴーレムたちは氷漬けになり動きが停止する。


「助かった愛梨彩!」

「氷で足止めしているうちにあなたたちは本堂へいって。私はここでゴーレムを減らす」

「でも——」

「大丈夫。ゴーレムが後を追いかけないようにここで食い止めるから。あなたたち二人なら即席タッグでも問題なくやれるでしょう?」


 愛梨彩は有無を言わさず、断言してみせた。俺たちの仲をよく知っている——と言っているようだった。ずっと見てきたのだと。


「感謝なんて……しないから」

「それでいいわ。私には私のあなたにはあなたの役目があるってだけよ」


 女性同士の短い、ぶっきらぼうなやり取り。けど、その言葉には確かに「任せた」という意味がこもっていた。

 俺と咲久来は氷漬けにされた石塊の壁の上を跳び越えていく。二人がここでゴーレムの相手をしてくれると言ったのだ。信じて背中を任せる。

 俺たちの狙いは——綾芽のみだ。


 *


 本堂の中には火の光一つなく、暗がりが広がっていた。

 内陣の前を陣取るように二つの影が佇んでいる。一人は紫色の髪が目を惹く、狂気を孕んだ魔女——二宮綾芽。もう一人は暗闇に溶けこむような黒いスーツを着た背の高い女性。


「スレイヴか……?」

「先に追っ手を寄越してきましたか」


 綾芽のたおやかな声とは対照的な、ますらで低い女性の声が堂内に反響する。

 隙間から差しこんだ月の光が前に出てきた女を照らす。茶色い髪を短く切り揃えた女が三白眼で睨みを利かせている。黒いスーツにネクタイ……そして手袋。さながらSPのようだった。

 一目見ただけでわかる。こいつは普通の人間じゃないと。簡単に勝てる相手じゃないと。


「あら、スレイヴだけ先にきんしたんでありんすか。魔女がこないのは残念でありんすが……これはこれで」


 綾芽の口角がにんまりと釣り上がる。自身の愉悦を満たす玩具を見つけた目だ。


「咲久来、援護任せた。前衛は俺がやる」

「わかった」

「綾芽様、お下がりを。ここは自分が」

「貴利江さんが戦ってくれるでありんすか? それは頼もしいでありんすねぇ」


 白々しい物言いだった。綾芽は最初からスレイヴ同士で戦うことになるとわかっていたはずだ。


「それなら魔法をかけてあげんしょう。『石巌を その身に纏って 敵討てや』」


 本を読むように魔女が詠唱すると、女の体が姿を変える。石の甲冑を身に纏った鎧武者……のような出で立ちだった。およそ女性が変身したとは思えない風貌に俺は戸惑う。


「さあ、わっちのスレイヴとの命のやり取り……楽しんでくんなまし?」


 頑強なボディを持った石鎧のスレイヴ。どうやら前衛で戦うのは骨が折れそうだ。剣を握る力が自ずと強まっていく。くるなら……こい。


茶川貴利江さがわきりえ……推して参る!」


 石の弾丸と見紛うばかりの勢いで女が迫る! 俺は瞬時に『限界なき意思の剣ストライク・バスタード』への注力レベルを上げる。

 石の拳と剣が激しくぶつかり合う。しかし、剣よりも相手の腕の振りの方がはるかにスピードが早い! まるで『アクセル』がかかっているかのようだ。防戦を強いられるのは時間の問題だった。


魔札発射カード・ファイア! 『黒水』!」


 加勢するように咲久来がスレイヴの横から援護射撃を放つ。


「その程度の射撃……通じません!」


 だが咲久来の攻撃は読まれていた。岩の鎧の小手部分がロケットパンチのように勢いよく放たれ、水弾を粉砕していく。


「今だ! 『進みゆく意思の炎刃ソニック・ストライク』!!」


 咲久来の攻撃に気が逸れた隙に俺は至近距離で刃を放ち、距離を作る。流石に鈍重な鎧でも防げなかったのかスレイヴ——貴利江はノックバックしていく。

 ほんの数手交えただけだが、今ので充分わかった。ただの外装魔法だと思っていたが、実態はどうやら異なるようだ。

 この感じ——俺には思い当たる節がある。


「なるほどね……昇華のマネってことかよ」


 こいつはただの身体強化オーラじゃない。 魔法ウィッチクラフトの恩恵を受けているんだ。

 魔法ウィッチクラフトは応用すればほかの魔法のマネごとができる。愛梨彩は死霊魔法を、サラサは傀儡魔法を……そして綾芽は昇華魔法を模倣した。だから外装を着ているにもかかわらず、驚異的な速さが出せる。


「あら、鋭いでありんすね。わっちの魔法の本質は『物に力を与えて変化させること』でありんすえ。でありんすからこなふうにしもべの鎧に力を与えれば……ね?」


 綾芽は「ご覧の通り」とでも言うように腕を広げて自信作を披露する。


「要は鎧を剥がせばいいってことでしょ!! お兄ちゃん!」


 咲久来が俺に向かって二枚のカードを放る。魔力を帯びていない、投げ魔札スペルカード

 彼女の顔を見るとニヤリと笑っていた。そのいたずらな笑みがなにを考えているかはよくわかった。

 咲久来が貴利江目掛けて駆けていく。


「後衛が前に出てきたところで!!」


 魔導銃から放たれた弾丸は足と手で捌かれ、どれも叩き落とされてしまう。けど狙いはそうじゃない。

 接近した咲久来は『オーラ』と『アクセル』を手に取り、高速戦闘に移る。銃剣で鎧に傷をつけては離れ、傷をつけては離れの繰り返し。目まぐるしく動く彼女を捉えるのは簡単じゃない。


猪口才ちょこざいですね!!」

「がはっ!」


 やっとのことで捉えた貴利江は目一杯拳を振るい、本堂の壁を突き破る勢いで咲久来を吹き飛ばす。

 だが、もう遅い。


「もらった!」

「いつの間に!?」


 瞬間移動をしたかのように迫った俺は全身全霊の力で『折れない意思の剣カレト・バスタード』を振り下ろす。剣戟によって鎧に裂け目ができた!


「そんなただの剣で!」

「どうかな!?」

「速度が……上がって!?」


 再び剣と拳が交わり合う。だが先ほどのように遅れは取らない。なぜなら——今の俺には咲久来からもらった『アクセル』と『オーラ』の恩恵がある。

 剣と拳が火花を散らし続ける。次第に岩の鎧の手甲部分がこぼれ始める。対する『折れない意思の剣カレト・バスタード』の刃は欠けることがない。なんせことだけが取り柄の武器なんだから。硬いカレトの名前は伊達じゃない。

 これが俺たちの狙い。どんなに強い鎧だってゴリ押しで砕けば破壊できないことはない!


「じゃあ、とどめだ」

「な!?」


 俺は言葉とは裏腹に貴利江から離れていく。外装を纏って体を高速に対応させても視覚は人間と同じ。だから高速で動く相手に目を奪われ、お前は気づくことができなかった。


 ——咲久来によってすでに包囲されていたことに。


「これで終わりよ。『交錯する魔弾群クロス・ファイア』!!」


 水弾の群れは氾濫する川のごとく貴利江に押し迫る。亀裂の入った岩肌はその身を水流で抉り削られ、瞬く間につぶてとなって崩壊していく。

 スレイヴの戦闘力は奪った。——残すは綾芽のみ。


「お前だけは絶対に倒す!」


 無力化された貴利江の横を通り過ぎ、綾芽へと向かって駆けていく。外すまいと両手でしっかり握り、『折れない意思の剣カレト・バスタード』を振り下ろす。


「あ、そうでありんした」


 女は剣が振り下ろされることなんて全く意に介さず、喜色に満ちた顔で笑っていた。その言葉、その行動に嫌な予感を感じた俺は剣を振り下ろせず、途中で手を止めてしまった。


「わっちが死んだら傀儡がいっぺんに動き出すようにしていたんでありんした。それも……秋葉のどこもかしこもで」

「なん……だと」


 愛梨彩は最初からこうなることを予想していた。だからフィーラも緋色もブルームも呼ばなかった。

 だが、彼女は「どこもかしこも」と言った。つまりは秋葉全域だ。三人を控えさせていても、それではいくらなんでも手が足りない!

 しかも綾芽の死が起動条件だって……? 大蔵山は秋葉市の端だ。ここで綾芽を倒してからじゃ救援は間に合わない!


「そもそもは教会や野良の魔女の力を削ぐための伏兵でありんしたけど……こな乙な使い道もありんすねぇ」


 口元を着物の袖で隠しながら、綾芽はクスクスと笑っていた。まるで今まで俺たちが必死で彼女を倒そうとしていたことを嘲笑うかのように。


「だから無差別に一般人を襲っていたのか……俺たちや教会の戦力を削ぐために」

「そ。そいでぬしさんたちはわっちを殺すためにここまできたえ。傀儡を操る魔女を殺して術を止めようと……わっちの根城に。一つ残らず、わっちの目論見通りでありんすえ」


 俺たち野良の魔女は教会に赴いて戦闘をするしかなかった。それが周囲への被害を最小限に抑える方法だったからだ。相手のホームグラウンドで戦わざるを得なかった。

 けれどこの魔女は違う。最初から相手の土俵で戦うつもりなんてなかったのだ。周囲に被害をもたらすことで、地の利がある自分たちの拠点へとおびき寄せる。盤石な布陣だけでなく自身の娯楽、快楽すらも計算した上でここに呼び寄せたのだ。


「けど、術者であるあなたを倒せば——」

「残念。あいにく傀儡はわっちがいなくても独りでに遊びだしてしまうんでありす。止めたかったら遊び相手をするしかないでありんすえ」


 その時、スマートフォンが振動した。最悪な状態に最悪な知らせを上書きするような……着信。しばらくの間、耳障りな甲高い着信音が堂内に反響し続けた。


「出なくていいのでありんすか?」


 剣を収めるのは本意ではないが……収めるしかなかった。俺の独断でここで綾芽を倒しても事態は解決しない。今は状況を知る必要がある。俺は剣を霧散させ、スマホを手に取る。


「もしもし」

「レイ、大変なのだわ! 八神教会が襲われてる!」

「八神教会……が?」


 電話の向こうのフィーラが告げた言葉を反芻する。八神教会を意図的に狙った……?

 思わず咲久来の顔を見る。俺の一言が聞こえていたのか、彼女の顔からは血の気が引いていた。


「丘の下の住宅街から煙が上がってるの! 多分位置的に八神教会が襲われたんだと思うのだわ。私たちも向かうけど……間に合うかどうか……」


 ——間に合わないかもしれない。


 俺たちは今まで一度だって人を救えなかった。今回だって……そうなるかもしれない。咲久来の家族も俺の家族も……母さん、ごめん。


「あら、わっちとしたことが……刀で殺されかけた時に引き金を引いてしまっていたようでありんすねぇ」


 電話の内容を察した綾芽が口角を上げてこちらを見ていた。


「お前……!」


 俺は思わず綾芽の胸倉を掴む。だが彼女は表情一つ変えない。終始糸目のままニヤニヤとしているだけ。


「いいのでありんすか? 八神教会はあなたにとって大事な大事な人がいるところでありんしょう?」


 綾芽は俺の後ろにいる咲久来へと話しかけていた。全部わかった上でやっているってことかよ……。


「お父さん……お母さん……!」


 それだけ言うと咲久来は瞬く間にいなくなった。おそらく『アクセル』を使って八神教会へと向かったのだろう。

 通話状態のままのスマホからフィーラの声が繰り返し聞こえてくる。


「ここでわっちを殺せばもう傀儡は現りんせん。でも代わりにたくさんの人が死にんす。ぬしさんたちの助けは間に合んせん。さあどうしんすか?」


 貼りつけたような絶え間ない笑み。

 綾芽を殺せば事件の収集はつく。でも、そのために払う代償が……あまりに大き過ぎる。ここで俺に大量殺人の汚名を被れと言うのか、お前は。

 俺は綾芽を掴む手を離す。そして、スマートフォンを耳に当てる。


「僕たちも……向かう。綾芽の攻撃対象は秋葉全域だ」

「わかったのだわ! とりあえず私たちは八神教会へ向かうから!」


 俺も咲久来の後を追うようにその場から駆け出した。作戦は失敗。二宮綾芽は倒せなかった。

 走りながらなにが悪かったのかとどうしても考えてしまう。修羅となれば倒せたのだろうか。他人の犠牲も自分の家族の犠牲も顧みず……正義を振りかざして綾芽を殺せばよかったのだろうか。

 僕が守れるものなんて高が知れている。みんなを救うヒーローなんかにはなれない局地的ヒーローだ。

 だからこそ大を救い……小を見捨てるなんてできない。大事なものを見捨てられるわけがない。僕はただ無力な自分への苛立ちを拳にこめることしかできなかった。


 僕は——正義の執行者にはなれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る