休息・安かな顔の君/episode12
「なあ、あんた遊んでるでしょ?」
なんとか進行は防いでいるが……どうもサラサという魔女は手を抜いているようだった。
「どうしてそう思うのですか?」
ブルームを易々と本殿に入れたこと、死霊に頼って自分は全然魔法を放たないことからもそれが伺える。
数多くの死霊を動かすのに手一杯という可能性もあるが、突破まで許すとは思えない。まるで俺たちを試している——力量を測っているかのような戦い方だ。
この戦い方から察するに、この神社に賢者の石はないのだろう。
「殺す気を感じない。それだけ」
復活しないように、一体一体確実に『
ヨルムンガンドの方はこちらに目もくれずに死霊たちを潰し回っている。おそらくフィーラの指示なのだろう。ここで俺と共闘すれば、より長くサラサとレイスを引き止められるという算段か。
「そうですねぇ。それならこんなのはどうです? ——あら?」
サラサが
ジャンプしたまま地面を見る。先ほどまで覆っていた土がゆっくりと氷土へと変わっていた。死霊たちは身動きを封じられて動かなくなっている。一体誰が氷魔法を?
「今だ! 退くぞ、黎!」
本殿からブルームが飛んでくる。
「賢者の石は!?」
「存在しなかった。これ以上ここにいても無駄だ。撤退するなら愛梨彩の魔法が発動している間だ」
俺の真横に着地したブルームが淡々と喋る。
この魔法、愛梨彩が起こしているのか。フィーラと戦いながらこちらのアシストまでしたということなのだろうか。
「けど愛梨彩がまだ! フィーラとの決着が——」
「心配ないさ。切り札を発動させた彼女が負けるわけないだろう?
それにほら」
ブルームが背後を指差した。そこにいたのはいつものように飄々とした顔をした愛梨彩だった。
「また随分と強がっているな。本当はボロボロだろうに」ブルームが肩を竦めて呆れていた。「君は愛梨彩を抱きかかえて離脱しろ。
「わかった」
それだけ言うと『僕』は愛梨彩のもとへと駆けていく。遠くからではわからなかったが、近づくにつれてはっきりとわかる。黒のローブはズタズタに破れ、彼女のお気に入りのセーラー服にまで傷が及んでいた。全身は泥まみれで、遮二無二戦っていたことを物語っている。
「太刀川……くん」
糸が切れた人形のように脱力して倒れる愛梨彩。すかさず僕は彼女を抱きとめる。夜風がふわりと吹き渡り、わずかに香る髪の匂いが鼻腔をくすぐった。
「お疲れ様」
僕の言葉に対して返事はなかった。愛梨彩の顔を覗くと、安らかに目をつぶっていた。それはさながら眠り姫のようだった。ずっと張り詰めていた糸が緩んだ瞬間を見てしまったのかもしれない。
「自分の壁、乗り越えたんだな。うん、今はゆっくり休んで」
愛梨彩の腕を僕の首に回し、腰と足をかかえる。そのまま勢いよく跳んでいき、家路を急いだ。
月光が明るく愛梨彩の顔を照らしている。お姫様というには少々刺々しい女の子だけど、僕はそんな彼女に仕えることが嬉しかった。
——また生きて帰ることができた。
賢者の石はなかったけれど、それでも僕たちは充分戦っただろう。特に愛梨彩は因縁に決着をつけたんだ。自分のことじゃないのに、それが妙に誇らしかった。
僕の主人は誰よりも気高くて優しい、そんな魔女なのだから。
*
愛梨彩が起きたのはそれから四日後だった。季節は梅雨の最中だが、天気はいい。快適な目覚めだったのではないだろうか。
「おはよう、愛梨彩」
「私……神社で倒れて……」
「ああ、無理に起きない方がいいよ」
傍らに座っていた僕は起き上がろうとした愛梨彩をベットの上に留めた。
あの戦いの後、治療らしいことはなにもできずにいた。「魔力が自然治癒を促進してくれるはずだ。傷の回復はそれしかない」というブルームの言葉を信じるしかなかった。なにせ僕たちの陣営の回復役は愛梨彩だったのだから。
したことといえば服を寝巻きに変えたことと髪の泥を払ったくらいだ。どちらも同性であるブルームにやってもらった。僕はというと、こうして愛梨彩の目覚めを待つしかできなかった。
「今日の……日付は?」
「六月一八日だよ」
「四日も寝てたのね……」愛梨彩は上体だけを起こし、ベットの上に座る。「心配……かけたわね。私のつまらないプライドのせいでこんなことになってしまって……」
「つまらないプライドなんかじゃないよ。愛梨彩が寝てる間に襲撃はなかったし、僕たちに迷惑はかかってないし」
「そう……それならいいのだけど」
「お腹とか減ってない? 愛梨彩が寝てる間にさ、ブルームに料理教えてもらってたんだ。なんなら今からお粥でも作ってくるけど、どう?」
実は愛梨彩のためになにかしたいと思い、ダメ元でブルームに料理を教えてくれと頼んだ。そしたら意外や意外。手取り足取り教えてもらうことになったのだ。あんな怪しい仮面をしているのに家事が得意だとは驚いた。元々は家庭的な女性だったのだろうか。
「ありがとう、いただくわ。その……なにからなにまでごめんなさい」
「お礼はブルームにも言って。それに僕はもうお代をいただいてるし」
「お代?」
僕の言っていることがわからず、愛梨彩は目を丸くする。それもそのはず。お代は彼女が寝ている間にいただいたものだからだ。
「寝顔。あんな安らかな顔初めて見たよ」
寝ている時の愛梨彩はとても穏やかな顔をしていた。まるで憑き物が落ちたかのような顔だった。むすっとしていなければこんなに可愛い顔だったんだなと改めて感じ、ちょっと胸がときめいてしまったくらいだ。
「愛梨彩?」
僕の言葉を聞いてから愛梨彩はずっと放心していた。顔色一つ変えない。それどころか全身がフリーズしている。それはまさに青天の霹靂。衝撃の真実を突きつけられたかのような反応だった。
「寝顔見たの!? 最っ低ね! 最低! ほんっと最低!」
表情は一変、剣幕となっていた。愛梨彩はさっきまで使っていた枕を手に取る。思いっきり振りかぶり、容赦なく座っている僕を叩きまくる。痛さこそないが必死なのが伝わってくる。それは普段冷静沈着な彼女が初めて怒りを露わにした瞬間だった!
「ごめんって! いやほんとに! 別に見たくて見たわけじゃなくて!」
「それはわかります! でも! 魔女だってね! 一人の女性なんだから! デリカシーがないわ!」
枕で殴るたびに言葉を乗せてくる。相当な恨み節だ。怒り心頭なのは一目瞭然である。
「僕だって心配で! なにもできなかったけど! つきっきりで様子見てたんだから! そもそも! 回復担当の君が倒れたから……!」
「それは……! ……ごめんなさい」
枕の嵐がぱたりと止んだ。目の前にはしおらしく俯く魔女が一人。しまった。調子に乗って悪いことを言ってしまった。
「いや、うん。別に責めたかったわけじゃないんだ。ごめん。とにかく元気そうで安心した」愛梨彩は俯いたままなにも言わない。「じゃあ、ご飯作ってくるから。大人しく待っててね」
それだけ告げて僕は部屋を後にしようとする。聞こえたのはドアを閉める直前だったと思う。
「ありがとう」
そんな言の葉が僕の耳に舞いこんだ。ドアを閉め、その場でしばしば破顔する。そういう言葉はもっと面と向かって言ってくれればいいのにな。
「さてお粥作り、頑張りますか!」
両拳を握って気合を入れる。「食べる」という字は「人」を「良く」すると書く。美味いお粥を食べてもらって、愛梨彩には早く元気になってもらいたい。僕は今できる最善をする。それが愛梨彩のためならなおさらだ。
*
「ごちそうさま。お粥なんて久しぶりに食べたわ。作ってくれる人もいなかったし」
お粥を完食した愛梨彩がそう言った。食べている間は一言も喋らなかったあたり、相当お腹が空いていたのだろう。
「味はどうだった?」
「ええ、ちょうどいい塩加減だったわ」
「そっか。ならよかった」
器が乗っていたお盆を受け取り、はにかむ。
どうやら人生初の誰かに振る舞う手料理は功を奏したようだ。我ながら会心の出来だったと思うが、いざ褒められるとちょっと照れくさい。
「私が寝ている間襲撃はなかったって言ってたけど……ほかにはなにもなかった?」
「うーん……特になかったな。ハワードがくることもなかったし、僕とブルームは基本屋敷にいたからね」
僕たちの陣営は愛梨彩を中心として集まっている。彼女に無断でどこかを攻めることはまずしない。それに後衛と回復役がいないまま戦うのは無謀というものだろう。
飲食物や日用品が心許ないなと思ってはいたが、今報告することでもないだろう。
「その……フィーラはどうなったか、わかる?」
急に愛梨彩の口調がたどたどしくなる。彼女はそれだけ言うとすぐに俯いてしまった。
「いや、わからない。あの後は撤退することしか考えてなかったから。君が倒したんじゃないのか?」
「倒したわ。でも、氷漬けにしただけ。とどめは刺してない」
「そっか……じゃあまだ生きているのかもね」
『とどめは刺してない』。それを聞いて安堵している自分がいた。はたから見たら甘い考えなのだろうけど、彼女の優しさが垣間見えて嬉しかった。友達同士で殺し合いなんてして欲しくないというのが僕の本心だった。
「お邪魔するよ。ああ、ちょうど食べ終えたところみたいだね」
静かに部屋の扉が開いた。ブルームだ。言葉は穏やかで口も笑っているが、なにやら物々しい雰囲気を感じる。
「急ぎの用事かしら?」
愛梨彩の顔は少し無愛想に見えた。いやいつも無表情なのだが、より不機嫌になった……と言えばいいのだろうか。
「ああ。今後の我々の方針に関わることだ」
ベットの横までくると、ブルームは横長の封筒を愛梨彩に手渡す。封を切って取り出すと、なにやら招待状のようなものが出てきた。
「魔導教会からだ。要約して言うと『高石教会にこい』ということらしい」
高石教会。成石地域にないからあまり詳しく知らないが、確か同じ秋葉市の中にある教会だと記憶している。なぜ教会側から『魔導教会にこい』という誘いが? 罠だろうか?
「ここには私の名前しかないわね」
「同じものが私にも届いた。どうやら私が愛梨彩と行動をともにしていると知っているからか、二つともこの屋敷の郵便受けに入っていたよ」
「呼ばれているのは野良の魔女……ってこと?」
恐る恐る僕がブルームに尋ねる。
「そうなるね。おそらくフィーラ・オーデンバリやその他の野良の魔女にも同じものが届いているだろう」
「教会が野良の魔女を呼び出すなんて……今さら争奪戦のルール説明でもするのかしらね」
ルールなんてない、やるかやられるかの殺し合い。そんな戦いに今さらルールを敷くとは思えない。多分、愛梨彩なりのジョークだろう。
「協定を結んで禁則事項を作る——という可能性はあるだろうが……体制側である教会側から申し出るというのはおかしな話だね」
「この屋敷の所在が知られている以上、出向いても出向かなくても戦闘は避けられない……か」
顎に手を宛てがいながら愛梨彩は思案している。
郵便が届いたということはそういうことなのだろう。「こちらはいつでも拠点を襲撃することができる」と脅されているようなものだ。
「じゃあ高石教会にいくのか?」
「野良の魔女を呼び出しているということは相手も総出でくるでしょうね。となると相手の戦力を知ることができる。私たちは襲撃する側だし、ここで防衛戦をするのも筋違いでしょ?」
「どのみち高石教会に賢者の石があるかも調べないとだもんな」
僕たちの行動の基本は市内の魔導教会をしらみ潰しに襲撃して、賢者の石の在り処を特定することだ。高石教会に出向くことは理にかなっているわけだ。拠点が知られている以上、僕に反論はなかった。
「上手くいけば野良同士で同盟を組めるかもしれないしね。この呼び出しは双方にメリットとリスクが存在する。呼び出した教会にもリスクがあるし、野良側にメリットもある。危険だからという理由で回避する事柄ではないだろう」
「ちょうどいいわ。フィーラの生死も確認しておきたかったし。誘われた通り、四日後に高石教会へ出向きましょう」
愛梨彩の決断に異論はない。
ただ一つ気になることは——高石教会には咲久来もくるということだ。
自分の意思を咲久来に伝えられるだろうか。自分の
不安はあるが、覚悟する。愛梨彩に味方している以上、これは避けられないことなんだ。今度こそ咲久来を止めてみせる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます