密室と眠り姫(2)

 彼女が寝そべっている長椅子にも、見覚えがない。思わぬ事態に一瞬思考がフリーズしたが、すぐにある一つの可能性に思い当たった。

「あ、すみません! 部室を間違えました」

 誰も見ていないのにペコリと頭を下げて、急いで部屋を出てドアを閉める。しまった、慌てていて電気を消し忘れてしまった。昼寝の妨害は重罪である。場合によっては懲役刑になるらしいとは、この前の法律学Ⅱの講義で習ったばかりだった。

 さっき部室に入る時は少し急いでいた。額に冷や汗を浮かべつつ、落ち着いて目の前のドアを観察する。白いドアの上部にはプラスチックでできた新聞部の看板がぶら下がっている。その下には「随時ニュース募集中」と書かれたシンプルな貼り紙もある。やはりここは新聞部の部室に他ならない。しかもさっきは自分の学生証でドアのロックを解除できたではないか。それに他の新聞部の部員が全員海外へ行ってしまっている今、ここは僕だけが唯一入室可能な部屋であるはずなのだが……。

 じゃあ、彼女は一体何者だ?

「お邪魔しまーす」

 他のグループの縄張りに入る時のような気持ちで、そっとドアを開けた。すると先ほどは気づかなかった、変なにおいが鼻をついた。甘酸っぱく、わずかに青臭さを感じさせるにおいだ。その正体を探るべく、肩に担いだトートバッグも下ろさないまま、部室の隅々に視線を走らせた。

 部室は文庫本のような形をした縦長の六畳ほどの広さ。壁や床は白。地下だから窓はない。唯一の出入口であるドアから入って、正面と右側の壁際には長テーブルが一つずつ。長テーブルにはそれぞれ椅子が二脚ずつ設置されている。正面の長テーブルの左側にはロッカーがあり、そこには新聞部の過去の成果物や資料、デジタルカメラや小型ビデオカメラなどの取材道具が押し込まれている。部屋の中央にはダークブラウンのローテーブルがあり、それを揃いのアルミ製の丸椅子が挟んでいる。そこまではいつも通りだ。しかし現在、そのローテーブルの左隣には新入りがいた。眠ったままの見知らぬ女子学生と彼女の横たわっている長椅子だ。

 長椅子は木製のようだ。彼女はそこに、足を入り口の方に向けて寝そべっている。一片の汚れもない白いハイカットのスニーカーを履いていて、それが地面に着くか着かないかのところで投げ出されている。やや彫りの浅い顔に、ピンと伸びた長いまつ毛が灯台のように目立っていた。前髪は途切れ途切れに目の上あたりでラインを形成している。重力に従って肩口で扇状に広がった黒髪の隙間からは、まるで木漏れ日のようなパターンで白い耳が覗いていた。服はボリュームのある濃紺のセーターとクリーム色のロングスカート。それらも靴と同じく新品同然だった。どちらも大学に着ていくために最近新調したもののように見える。僕と同じ一年生なのかも知れない。

「もしもし。起きてください」

 声をかけるも無反応。

「もしもーし!」

 声のボリュームを上げるも、彼女は目を覚さない。声かけで起きないならば仕方ない。酔っ払って終点まで寝過ごした乗客を車掌が起こすみたいに、肩をポンポンと叩いてみようと彼女に一歩近寄った。そこで俺はやっと気がついた。長椅子の下に、真っ赤な水溜りがあることに。

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