時の娘殺し

雪村穂高

第一章 眠れる森の密室

記事とメール(1)

 月曜の三限が十五分前倒しで終わった。人の波に押し出されるようにして大講義室から吐き出された僕は、いつもの習慣で部室へと向かいかけ、途中で思い直して大学図書館へと進路を変えた。今日は特別に読みたいものがあったのだった。

 すでに数人が待機しているエレベーター乗り場の前を素通りし、階段を使う。道幅の狭い薄汚れた階段だ。その壁一面には隙間なく、と言うよりも若干重なり合うようにして、サークルのビラがびっしりと貼られていた。しかしそれら大量のビラは、あまり宣伝効果を発揮していないように思う。なぜなら四階から一階まで階段を降りる間、僕は誰ともすれ違わず、後ろから聞こえる足音もきっちり一人分だけだったからだ。四階以上の移動の場合、ほとんどの学生は階段よりもエレベーターを選択するようだった。見知らぬ他人たちと密着しなければならない上に、順番待ちをしなければならないあの不快で不便な乗り物に、なぜみんなこぞって乗りたがるのだろう?

 校舎を出ると、澄んだ秋風が目にかかるところまで伸びてきた自分の前髪を弄んだ。三つの大きな校舎に囲われた広い中庭には、複数のベンチや小さな花壇などがある。しかし現在それらは、無数の学生たちの影に隠せれてしまっていた。山手線が描く円のほぼ中心にある小ぢんまりしたキャンパスには、そのキャパシティーを超える数の学生たちが全国から(あるいは海外から)集まってきている。夥しい数のビラや賑やかな学生らは、共にある一つのことを示しているようだった。

 学祭が始まろうとしている。

今週の木曜から四日間にわたり開催されるそれに合わせて慌ただしく動くのは、特に音楽系サークルに顕著だ。右手の階段の隅の方では、アコースティックギターを抱えた男の二人組がフォークソングを弾いているし、左手の背の低い校舎の屋上ではマーチングバンドが予行練習をしている。その他にもお笑いサークルや文芸サークル、美術サークルなども、今も学内のどこかで準備を進めているのだろう。図書館への道中にあった掲示板の前では、小さな人だかりができていた。新歓ポスターに代わってその場所を占めるのは、学祭での出し物を宣伝するポスターだ。それによると、お料理サークルがマグロの解体ショーをするらしい。大学とは変わった場所である。

 図書館に入る。外の喧騒はきれいにシャットダウンされ、古い本たちの放つ甘い匂いが僕を迎えた。深緑のカーペットを雑誌コーナーまで真っ直ぐ進み、ジャンルごとに区分された雑誌のラックが立ち並ぶ一角で僕は歩を止めた。一般週刊誌のラックの最上段に面陳された和風のイラストのウサギと目が合う。それこそ僕の探していた週刊誌だった。早速それを手に取って、なるべく人の少ないテーブルの隅に座った。

 この雑誌は、政治・経済・芸能などの社会問題一般を取り上げているポピュラーな週刊誌だ。書店でもコンビニでもほぼ間違いなく売られている。だが僕は毎週この雑誌を読んでいるわけではない。今日これを読みに来たのは、そこに一本の記事が載っているからだ。それを書いた記者に、僕は昔から憧れているのだった。

 僕がこの神楽かぐら大学に入ったのは、ここが彼の母校だからだ。同じ理由で、彼がかつて在籍していた新聞部にも入部した。もちろん次の目標は、彼と同じ職業・記者になることだ。そしてその暁には、同業者として胸を張って彼に挨拶したいと思っている。

 机に置いた週刊誌の表紙と向かい合う。いつもこの瞬間は、プレゼントの包みを開ける時のような気分になる。さて、今回はどんな記事だろう。

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