第一回バス転落事故検討会(1)

 十一月二十九日、水曜の午後五時。星原さん、森さん、それから糸山と僕の四人は、白い会議用デスクに置かれた縮刷版の新聞を囲んでいた。

 神楽大学の図書館には会議スペースがあり、申請さえすれば学生はそこを使って良い事になっている。本日はそこを二時間借り、軽井沢バス事故についての検討を行うことになった。

「議長、揃いました」と糸山が星原さんに報告した。

 星原さんは出席者らを睥睨すると、小さく咳払いをしてから口を開いた。

「皆さん、お疲れ様です」

 お疲れ様です、と一同。

「それでは第一回軽井沢バス転落事故検討会を行いたいと思います」

 あれ?

「第一回?」と僕は訊いた。

「第何回まである予定だっけ?」と糸山も同じく疑問を口にした。

 三人の視線を一心に集めた星原さんは、堂々とした様子でこう言った。

「美月が納得するまで無限に行います」

 真相が明らかになるまで、じゃないのが星原さんらしい。彼女にとってのゴールはあくまでそこなのだ。

「今日は過去の新聞から事故の概要とその原因についてを確認して行きたいと思います」星原さんはデスクに置かれた三冊の縮刷版新聞のうちの一つを開いた。

 縮刷版新聞とは、その新聞社がその月に発行した新聞の広告も含めた全ページをA四サイズに縮小して一冊に収めたものである。主要な新聞はこうして大学図書館や各自治体の図書館でもよく閲覧することができる。今机の上にある三冊は、どれも事故の起こった二〇一六年一月のもので、新陽しんよう新聞、万秀まんしゅう新聞、八重橋やえばし新聞の三紙のものだった。日本のトップ三紙だ。柿田さんの所属していた望遠ぼうえん新聞はこの三紙に次ぐ業界第四位の新聞社である。いずれもテレビにキー局を抱えており、日本全国で絶大な影響力を持っている。

 彼女が最初に手に取ったのは、新陽新聞だった。

「私は先に三紙とも目を通したのだけれども、どの新聞もほとんど同じことが、同じタイミングで書かれていました。そこで、日本では最もメジャーな新聞の一つである新陽新聞から、読んでいこうと思います」

 一同に異存はなかった。

 星原さんは最後に、森さんの方を向いて「じゃあ開くね」と確認をとった。森さんが頷くのを見て、星原さんはそれを開いた。

 最初の方のページに索引があり、その月に起こった主なニュースをいくつかの項目に分類した上でまとめている。僕たちの調べている軽井沢バス事故は、事故の欄にあった。それによるとその事故について、新陽新聞はその月に数十本の記事を上げていた。索引にはそれぞれの記事の見出しと、その記事の載っているページが載っている。星原さんはその中で最初に今回の事故が報じられた記事のページを開いた。

 瞬間、黒字に白抜きの見出し文が集まった四人の瞳に映った。『夜行バス事故、十四人死亡』。

 一月十五日の夕刊の一面である。縦書きの見出し文の左にはモノクロ写真が載っている。それは横倒しになった大型バスを上空から映したものだった。ガードレールのすぐ脇の赤茶けた地面には楓らしき木が立っており、その木に背中を折られるようにして、くの字型にひしゃげた車体が横たわっている。

 本文はその写真の下から始まっていた。一同はそこを黙読した。

『十五日午前二時頃、長野県軽井沢町軽井沢の国道十八号碓氷バイパスで、ツアーバスが道路脇の崖下に転落した。県警や消防によると、バスには乗客三十九人、乗員二人の計四十一人が乗車しており、このうち乗員二人を含む男性九人と女性五人の計十四人が死亡したほか、二十七人が重軽傷を負った。乗員二名を除く、十二名の死亡者は全員が大学生であった。現場は群馬・長野県境の入山峠までの長い上りが終わり、そこから約一キロ長野側へ下った地点であった。道路は計三車線で、群馬から長野方面に走っていたバス側が一車線だった。 バスは緩やかな左カーブの下りの坂道で対向車線にはみ出した後、ガードレールを突き破って道路右側約四メートルの崖下に右側面を下にした状態で転落し、車両の屋根が崖下の立ち木に衝突した後、停止したとみられる。当時の天気は晴れで、路面は凍結していなかった』

 記事の下に、バスが転落した地点を表す図が載っていた。軽井沢の入山峠を越え、長い直線の下り坂を過ぎ、それから連続するカーブの四つ目の位置でバスはガードレールを突き破り、崖下に転落したようだった。

「兄は大学のゼミ仲間とスキーをしに行くところだった。それで——」

「この十四人の中の一人が、そのお兄さんなんだね」と糸山が乾いた声で言った。

「いえ、この十四人に兄は含まれていない」じっと紙面に目を落としながら森さんは言った。

「いない?」

「先のページに進みましょう」と森さんは少し強い口調で訴えた。

 星原さんがページをめくる。その手は震えていた。

 次の記事は同じ夕刊の数ページ先にあった。見出しは『格安ツアーバスの悲劇、犠牲者の多くは若者』。今度の記事では、事故生存者へのインタビュー記事だった。生存者の多くは複数の近隣の病院へと搬送されたらしく、そこに報道陣が詰め掛けて彼らに取材をしたようだった。彼らの多くは事故の起きた十五日未明には車内で眠っていたらしかった。事故直後の悲鳴や呻き声、闇の中で倒れた人が折り重なっている様子、その時の寒さなどが生々しく伝えられていた。

彼らのうちの一人は持っていたスマートフォンで救急車を呼んだことや、今も連絡がつかない他所の病院に運ばれた友人を心配していることなどを語っていた。また、病院関係者への取材で、二名の患者が意識不明の重体であることが判明していた。そのうちの一人の姓は森だった。

「この二名の重体患者のうちの一人が、わたしの兄だった」

 言葉が出てこなかった。

「ハルカ、十九日の記事を見せて」

 星原さんは何かを言いかけ、それでも結局は黙って言われた通りにした。めくられたページの先にあったのは、森の兄の死を伝える記事だった。目に飛び込んできたのは『犠牲者一名増え十五人に』という見出しと、森さんと目元がよく似た男子が眩しそうにこちらを向いて笑っている写真だった。名前の横に記された年齢は、俺の年齢より一つ上だった。事故からは後二ヶ月で二年が経過するので、彼はおそらく俺たちと三つ歳が離れているのだろう。

「兄はすごく大人だと思っていた」隣で彼女が小さく呟いた。「でも、そうでもなかったんだね」

 彼女にかける言葉は見当たらなかった。僕の知っている言葉の量は貧弱だ。

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