密室と眠り姫(5)

「わたしの名前を呼んだのは、あなたですか?」

 上体を起こした彼女の目が、古い蛍光灯が灯るときのように二、三度瞬いた。

「えっと……。はい、そうです」

 大きな声で散々呼びかけても起きなかったのに、まさか小さく名前を呟いただけで彼女が目を覚ますとは思っていなかった。虚をつかれ、間の抜けた返事になってしまう。そんな僕に彼女は質問を重ねた。

「あなたは誰ですか? ここはどこですか?」

「ここは新聞部の部室です。僕は新聞部一年の佐倉創一さくらそういち。あなたは二部演劇研究会の森さんですね?」

 すると彼女は文字通り、目を丸くした。

「なんで……どうしてわたしの名前が分かったのですか? わたしたち初対面ですよね。それに、サークルのことも……」

 彼女は僕以上に混乱している様子だった。こちらからも質問したいことは山ほどあるが、まずは彼女の質問に答えることが正しい順序のようだった。

「それは森さんが持っていたこの小冊子から推察できました」僕は手に持ったままの台本を胸の高さに掲げて言った。「これは付属の小学校向けの演劇の台本ですね。うちの大学で付属校に向けて演劇を行なっている団体は、二部演劇研究会において他にありません。森さんはそれを読みながら眠りについたようでした。ですのでその台本は森さん個人の所有物であり、森さんが二部演劇研究会のメンバーであることが推測できます。

 さらにその台本には書き込みがありました。長方形に囲まれた棒人間のイラストです。長方形は縦になったり、横になったりしています。中の棒人間の方も、数が増えたり減ったり、いろいろなポーズをとっています。この長方形の囲いがカメラの枠だとしたら、それはスチールを任されている人が描いた撮影用のメモだろうと想像することができました。台本に挟まっていた役割分担表によれば、スチール係はただひとり、森さんの名前しかありませんでした」

 僕の説明が終わっても、上体を起こした体勢の彼女はしばらく口をぽかんと開けたまま黙っていた。その間、居心地の悪い沈黙が部屋を覆った。こと防音に関して部室はとても優秀で、外ではあれほどうるさかったエレキギターの音も室内には届かない。

「すごい! ホームズみたい」

 今までの重く立ち込めた沈黙を吹き飛ばすような屈託のない喝采が上がった。オーバーな言い方をされて、少し居心地が悪い。

「いや、ただちょっと観察しただけで……」気を取り直し、本題に切り込む。「それで森さん。あなたはどうして、どうやってここ新聞部の部室にやってきたんですか?」

 すると彼女は困ったような表情を浮かべて首を横に振った。

「いえ、自分でここに来たわけではありません。わたし、自分の部室でこの長椅子の上で眠っていたんです。それで、目が覚めたら突然ここに……」

 自信なさげに尻切れになった彼女の話を言い換えると、こういうことではなかろか。

「それじゃあ森さんは眠っている間に、誰かによって二部演劇研究会の部室からここ新聞部の部室にまで運ばれたっていうことでしょうか?」

「それは、わかりません。……でも、そう考えるより他にないと思います」

 仮に彼女の話が本当だとしたら、かなりたちの悪いいたずらだ。一体誰がなんの目的でそんなことをしたのだろう? また、犯人は僕のノートPCを壊した人と同一人物なのだろうか?

 しばし沈思黙考していた僕は、彼女の視線を感じて顔を上げた。

「今のあなたの口ぶりからして、あなたがわたしを運んだわけではなさそうですが」

 そう言われて初めて気がついた。彼女からしてみれば、最も怪しい人物は僕を置いて他にいないじゃないか。僕は両手を振って否定した。

「では、誰がわたしをこの部屋に連れてきたのでしょう?」

 彼女は人差し指で鉤を作って、それを口元にあてた。言葉の表面だけをなぞれば僕の無罪を信じてくれたようだが、内心はわからない。

彼女に対して自分の過去の行動を説明するとともに、自分自身でも今の状況を整理する必要を感じた。

「まずは今の状況を僕の視点から説明してみましょう」

僕はローテーブルに備え付けられた丸椅子を、森さんの対面にずらしてそこに座った。

彼女は長椅子の上で居住まいを正して言った。

「お願いします」

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