連続窃盗事件について

 どうやら「ABC」と叫んだのは、銀縁の丸眼鏡をかけている男子であるらしかった。彼を中心にした三人の立ち話は、その声を合図に一層ヒートアップした。こちらのグループの注意を引きたいようだった。

「なになに、どうしたんですか?」二年の木原さんが訊いた。

 三人組の中で唯一の男子である彼は大きく一歩進み出て、眼鏡を軽く触りながら言った。

「やっと分かったぞ、犯行動機が」

 犯人を動機の線から絞り込むつもりだろうか、それとも彼らの中ではすでに犯人はわたしで確定となっているのか、非常に怪しい出だしだった。

「彼は民俗文化研究会の方」とハルカがわたしにこっそり教えてくれた。彼は痩せぎすで、頬が少しこけていた。紺色のオーバーサイズのセーターは、自身の細い体を隠しているかのようだった。

「動機、ですか?」疑わしそうな目で糸山くんが言った。

「それぞれのサークル名と盗まれた品の頭文字に着目してみてほしい」ひょろりとした眼鏡の彼がやや早口に言った。

「アコースティックギター研究会からは麻紐、民俗文化研究会からはミネラルウォーター、ボランティアサークルのミライ・プロジェクトからはミニルーター、そして地学研究会からはチョコレートだ」

 集まった七人のざわめきが一段と大きくなった。みんな口々に「『あ』のつくサークルから『あ』のつくものが――」とか、そんなことを確認し合っている。それでABCか。だがアルファベット順やアイウエオ順であるかもわからず、犯行現場に時刻表の類が残されているわけでもないらしい。犯人からの犯行予告もない。それで果たしてABCと言えるのだろうか?

 彼らの話し声に紛れて、奥の方からカシャリという音が聞こえた。スマートフォンのシャッター音だ。音の方向に視線を走らせたその時、

「つまり、犯人はいたずら目的の愉快犯だったのでしょう」民族研究会の男子はそう言って、わたしを睨んだ。「違いますか?」

 わたしはちょっと反応に困って、ハルカの方を見て苦笑いを浮かべた。ハルカも困ったような、同情をするような、複雑な感情の入り混じった顔でわたしを見返した。迷惑なクレーマーの接客をしなくてはならなくなったコンビニ店員のような哀愁がそこには漂っていた。

「失礼ですが」あなたの言葉は失礼ですが、という意味も含めてわたしは言った。「あなたはどちら様ですか?」

「俺は二年の浦島。そこの民俗文化研究会の者です」

 彼は黒いスニーカーで一歩前に踏み出して名乗った。痩せている割には太い声だった。民俗文化研究会が普段どんな活動をしているのか気になったが、もちろん今はそれどころではなかった。

「連続窃盗事件だかABCだか知りませんが、わたしは何もしていませんし、何も知りません」

「何もしていない、ですか」とポワロ気取りの彼が言った。

「正確に言いますと、わたしはただここで友達と談笑した後に、三十分ばかり眠っていただけです」

 相手のレベルに合わせて、わたしは言った。時にはこのようなことが必要なのだと、わたしは最近になって学んだのだ。自分の成長が誇らしくなった。この環境をわたしに与えてくれた多様性を大事にする大学の理念にはいくら感謝してもしきれない。

「そんなはずはない」自信家らしい彼は、自らの脳細胞を灰色だと信じて疑わなかった。「ここは密室だった。今回の犯行は君にしか不可能なんじゃないですか?」

「ちょっと待ってください」暴走する彼を何とか止めようと、ハルカは言った。「もし仮に、あなたが言うように美月が犯人だとしたら、いつまでも犯行現場ですやすや眠っていたのはおかしいのではありませんか?」

「そうですよ」と糸山くんが同調した。

 二人の立場がはっきりしてわたしは少しほっとした。

「それが犯人の狙いだとしたら?」余裕の態度を微塵も崩さず、浦島さんは言った。「まさか犯人が現場に留まり続けるわけがないっていう心理を逆手に取ったんですよ」

「そんな心理を逆手に取るよりも、みんなのいないうちにとんずらするのが確実でしょう」と糸山くんも援護してくれた。

「普通はそうだが、彼女は愉快犯だ。スリルを感じたかったのかもしれないし、近くから被害者の困った顔が見たかったのかもしれない」

 わたしは唖然とした。室内は一瞬静まりかえり、中央のプロジェクターから発せられる静かな虫の音がはっきりと聞き取れた。客観的に聞けば、彼の話はそれなりに筋が通っているように感じられなくもない。

 自分の無実を信じてもらうことなんて簡単なことだと思っていたが、どうやらそうもいかなさそうだった。ここにきて初めて、わたしは自分の置かれた立場を不安に思った。

 もしわたしがこのまま犯人扱いされてしまえば、貸し切りのプラネタリウムにわたしを招待してくれた友人の立場はどうなってしまうのだろう?

 さっきの心地よい三人での会話の時間を思い出す。プラネタリウムにわたしを招き入れて、暗がりの中で両腕を広げた彼女の誇らしげな笑顔を思い出す。地学研究会で、彼女はなかなか楽しくやっているようだった。別にわたしが頭のおかしい人の中で犯人扱いをされるのは構わない。しかしもしわたしが犯人だと、ハルカの先輩方にまで思われてしまったら、そんな犯人を招いたハルカのサークル内での立場はどうなってしまうだろう。彼女の居場所を奪うことに関しては、わたしは一切の妥協をせず徹底的に戦う用意があった。

「ふざけないでください!」 わたしが反論するよりも先に、ハルカが叫んだ。「美月はそんなことをしません。見ず知らずのあなたに美月の何がわかるんですか!」

 これまでの穏やかな彼女から一転した態度に、探偵気取りの彼は冷や水を浴びせかけられたように二の句が告げなくなった。

 部屋中が一気に剣呑な雰囲気に支配され始めたその時、開いたままになっていたドアから誰かが颯爽と飛び込んできた。

「し、失礼しまーす」

 体の勢いとは不釣り合いな、実に勢いのない声だった。

 ドアの部分の暗幕は、今は上部をドアの枠に沿ってピンで止められていた。逆光に立つ彼の長く引き延ばされた影が、わたしの足元にまで届いた。

 室内にいたわたし以外の七人は、皆それぞれに「自分の知り合いではない」という風なメッセージを無言のうちに送り合っていた。

「新聞部の佐倉と申します。突然ですが、この投稿をしたのは誰ですか?」

 彼は上下黒のスーツを着て、左腕にはオレンジ色の腕章をつけていた。そこには筆で書いたような字で『記者』とある。警察が警察手帳を容疑者に見せるように、彼の右手は画面のついたスマートフォンが掲げていた。しかし残念ながらその画面まで遠すぎて、そこに何が映っているかは多分誰にもわからなかっただろう。

 新聞部の彼とは軽い面識があった。思えばまだ二日前の出来事だ。

 その日わたしは、自分の部室でひとり眠っていた。しかし次に目を覚ますと、何故だかわたしは鍵が掛かっていたはずの新聞部の部室に移動させられていたのだった。

 新聞部の彼、佐倉くんにはその時にお世話になった。気の弱そうな見た目に反し、意外と肝が座っている人物だ。そういえばその時も着ぐるみを着ていたっけ。コスプレの趣味があるのかもしれない。大学には色々な人がいるのだ。

 佐倉くんは暗い室内にできた人混みの中からすぐにわたしを見つけると、つかつかと黒い内羽根の革靴を鳴らして近づいてきた。

 彼からスマートフォンを無言で受け取る。SNSアプリの画面が開かれていて、彼の言っていた投稿というのが、すぐ目に飛び込んできた。そこには「神楽大学の前夜祭で連続窃盗事件が発生! 犯人はこいつっぽい」という文章とともに、お餅のように丸っこく潰れたビーズソファに座る、襟付きの黒いコートを着た黒髪の女子の画像が添えられていたのだった。まるで一卵性双生児のようにわたしと瓜二つだったが、わたしには双子の姉も妹もいなかった。

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