第一回バス転落事故検討会(3)

「他の新聞でも同じような見解だったの?」と糸山。

「ええ、だいたいそうね」と星原さんは急に弱気になりながら答えた。

 そこで彼女は万秀新聞を開いてみんなに見せた。そこにも同じような理由が、専門家の意見として伝えられていた。

「それとこの新聞によると、ブレーキ痕がなかったこともその根拠の一つみたい」

「あれ、さっきの新陽新聞にはタイヤの痕があったって書いてあったけど」と僕は言った。

「バスは事故直前、猛スピードで何回かカーブに差し掛かったの。それでバスは片輪走行になっていたらしいよ」と星原さんが今度は八重橋新聞を開きながら答えた。

「じゃあやっぱり運転手は居眠り運転なんかしていないじゃない」と森さんが声をあげた。

 星原さんは決まりの悪そうな顔をしていたが、それには納得せざるを得ない様子だった。

「バスの運転手のミスって言うのなら、それなりの根拠を示さないと説得力がないよね。それだったらまだ車体に不具合があったという方がまだ可能性がありそうだ」と糸山が言う。

「うん、警察や国交省も最初は同じことを考えたみたい。このバスの車齢は十三年だったらしく、それは平均車齢を二年上回っていたからその疑いを持ったそうよ」

 そう言って星原さんは、今度は八重橋新聞の該当記事を開いて見せた。

「でも結果的に言えば、車体に不具合はなかった」と彼女はきっぱりと言い切った。「ここを読んで」

そう言って星原さんは俺たちに一冊ずつ資料を渡した。僕が新陽新聞、糸山が八重橋新聞、森さんが万秀新聞。新陽新聞は二十一日の朝刊が開かれていた。そこにはバスの車体検証の結果についての記事が載っていた。以下がその内容だ。

『今月十七日から二十日まで行われた長野県警の検証の結果、バスのギアがニュートラルになっていたことと、ブレーキ部品に異常がなかったことがわかった。県警は、ニュートラルのためエンジンブレーキや排気ブレーキなどの補助ブレーキが効かず、フットブレーキだけでは減速しきれなかった可能性があるとみて調べを進めている。事故車は六段変速のマニュアル車(フィンガーシフト式)で、運転手が高速ギアから低速ギアに無理に変えようとすると、エンジンの過回転による破損を防ぐため操作がキャンセルされ、ニュートラルか元のギアになるようプログラミングされている。国交省の関係者は「大型車の運転に不慣れな運転手が急に低速ギアに入れようとしてニュートラルになり、エンジンブレーキで減速できずパニックになった可能性がある」とみている。ただし、事故の衝撃でギアがニュートラルに動いた可能性もあり、長野県警は慎重に調べている』

 僕たちが新聞に目を通し終わるのを待って、星原さんは言った。

「ここにある三紙とも示し合わせたように同じような内容で、車体に異常はなかったことを伝えていたの。車体に異常がなかったということは、やはり運転手が操作を誤ったとしか考えられない」

「ギアがニュートラルだとブレーキって効かなくなっちゃうの?」と糸山が僕の方を見て訊いた。「俺は車の免許を持っていないからわからないんだけど」

「いや、エンジンブレーキが効かなくなるだけで、フットブレーキは使えるよ。普通はエンジンブレーキに頼らなくてもフットブレーキだけで止まれるはず」

「でも佐倉くんは大型バスの免許は持っていないでしょう? 普通車と違って大きなバスはフットブレーキだけじゃ止まらないんじゃないのかな?」と星原さん。

「だとしても、フットブレーキを踏んでいれば少しくらい減速していたはずじゃない?」と森さんが言った。彼女もまだ納得していないみたいだった。

「だからパニックになってしまって、フットブレーキを踏み忘れたのかもしれないでしょ? 新聞に書いてある通りに」

 その説明はかなり苦しいだろう。もし僕がパニックになったら、真っ先にフットブレーキを踏み込むはずだ。森さんも案の定まだ納得していない様子だった。

 彼女の表情を読み取って、星原さんは説明を付け足した。

「それに、たしかどこかの新聞にも書いてあったと思うけど、例えばフットブレーキを多用しすぎるとブレーキの効きも弱まってしまうらしいの。そのせいもあって止まれなかったんじゃない?」

「バスの事故は下りに入ってすぐのカーブで起きた。だからブレーキの多用の線は考えられない」と僕は簡単に否定した。

「じゃあ他にどんな理由が考えられるのよ」と泣き出しそうな顔で星原さんが言った。否定されてばっかりで悲しかったのだろう。

「もしかしたら。フットブレーキの下にペットボトルとか挟まっていたんじゃないかな」と唐突に糸山が新たな説を提唱した。「今思い出したんだけれど、うちは昔、車の中にペットボトルを入れちゃいけないってルールがあったんだ。子供の落っことしたペットボトルがブレーキペダルの下に挟まることを心配していたんだろうね、今思えば」

 なるほど。それだとうまく理屈が通るかもしれない。確かバスが事故を起こしたのは、峠の下に入ってすぐのところだった。車体は当然前方に傾く。乗客の落としたペットボトルや空き缶などが、運転席のペダルの下まで転がっていくこともあり得る。盲点だった。

「いや、それはないよ」

 しかし森さんはそれも否定した。

「どうして?」と糸山が訊く。「確定はできないけど、その可能性だって捨てきれないはずだよ」

「それは完全には捨て切れないでしょうけど、でもほとんどゼロに近いよ」そして当然のことを口にするように彼女は言った。「だってバスの運転席って、乗客のスペースより数段高いところにあるから」

 それには糸山も自分の案を引っ込めざるを得なかった。単純な話だ。鯉の滝登りみたいに、ペットボトルがあの段差を乗り越えることはあるまい。

 となると、やはり事故原因は運転手の身に起こった何らかのトラブルか。

「そういえば事故現場の映像をテレビで見た気がするんだけれど、みんなも覚えていない?」と僕は思い出して言った。

「ああ、覚えている。猛スピードで走るバスの映像」と糸山が言った。「あの映像からも何か原因がわかるかもしれない。ネットに残っていないか見てみよう」

 糸山はスマートフォンを出して、早速検索を始めた。

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