第二回バス転落事故検討会(2)

 画面には白い車体に赤いラインの入った大型バスの画像が表示されていた。事故車両は白地に青っぽいラインと、バスツアー運行会社の社名が入っていた。塗装のデザインは一車両ごとに違っているので比較参考にならない。車体のシルエットを比較しようにも、事故車両は車体の背中が折られ、特に横倒しになった右側面は原型をとどめていないので難しい。ただ、全体的な車体の大きさや車高、そして窓ガラスや各種ライトのレイアウトなどはよく似ているように見える。

「一応、車に詳しい友人にも確認をしてみたんだけど、そいつもこれで間違いないと言っていた」

 光岸自動車は、僕の祖父母の仇だ。だが、個人的な感情を持ち出すことはできるだけ避けなくてはいけない。なるべく、可能な限り、極力、できるだけ。

「ブレーキランプの位置を確認しよう」

「調べてある」

 そう言って彼はバス後面の画像をプリントアウトした用紙を一枚、鞄から取り出してローテーブルに乗せた。

「左右合わせて六つのライトがある」指を差しながら糸山は説明する。「大きく分けると、三箇所だ。最上部の左右、ナンバープレートの上の左右、そしてバンパーの上の左右にそれぞれ設けられている。このうちヘッドライトをつけた時に点灯するのは、最上部と、ナンバープレートの上の左右四箇所になる。一番下のバンパーあたりのランプは、ブレーキを踏んだ時にのみ点灯する。また、ナンバープレートの上のランプもブレーキを踏んだ際には灯りの強さが増すようになっている」

「つまり、ヘッドライトをつけた時に光っているのは上と真ん中の四つのランプで、ブレーキを踏むとさらにその下の二つを含む全六つのランプが点くってことね」と星原さんが要約した。

「それを踏まえて、この前見た事故の映像を検証してみよう」

 糸山がタブレットでそれを再生する。

 まず映し出されたのは暗闇の山道だ。緩やかな左カーブである。そのカーブが終わりかけたくらいの位置の右手に、ぽつんと街灯が立っている。その足元は真っ白になっていて何も見えない。静止画のようなそれが映像だとわかったのは、突如として白と赤の灯りが入り込んだ時だった。バスが画面前方から山を降ってきたのだ。この灯りの数が問題だった。四つならばテールランプ、六つならブレーキランプ。バスの後面全体が画面に収まったところで、糸山が一時停止をかけた。赤い光の数を、僕らは数えた。

「四つだ」

 僕ら四人の声が重なった。ライトの数は、四つ。運転手はカーブでブレーキを踏んでいない。

「やっぱり、運転手のミスだったのね」と星原が言った。

「続きを再生して」と僕は促した。

 映像が再び動き出す。バスのヘッドライトに照らされ、左カーブの次に右カーブが待ち構えていたことが判明した。バスは少しもスピードを緩めないまま、街灯の白い灯に照らされつつ最初の左カーブを曲がりきり、その先の右カーブへと突進していった。その時にバスの光度が増した。街灯の立つポイントを越えるまでの間は、バスの後部ガラスの黒い様子が見て取れた。しかし左カーブから右カーブへと入るまでの僅かな直線の瞬間、バスの光度は急増し、今まで黒く映っていた後部ガラスが真っ白な光に包まれたのだ。

 僕はそのことを指摘した。

「運転手はこの時にフットブレーキを踏んだんだ」

「違う。そんなはずはない」と星原さんが異を唱えた。「これは手前の街灯の灯りを反射したものだよ」

「俺もそう思う」と糸山も星原さんの方についた。「ブレーキを踏むなら、もっと手前で踏んでいないとおかしい。カメラにくっきりと映っていた左カーブの時にブレーキを踏まなかった理由を説明できるのか?」

「できると思う」昂る気持ちを落ち着かせて、落ち着いて言った。「この前、僕の運転で小学校へ行った時のことなんだけど、覚えているかな。僕たちの車の後ろにピッタリと着いてきて、赤信号ギリギリの右カーブを減速しないで曲がり切った大型車がいたことを」

 覚えている人も、そうでない人もいたようだが、僕は続けた。

「ああいう大型車に搭載されているフルエアブレーキは制動力が強い。そのためスピードの出ている状態で、カーブの最中にブレーキをかけると横転や横滑りの危険性が特に高いんだ。だから通常はカーブの手前で減速させないといけない。映像にある事故車両が左カーブの最中にフットブレーキを踏まず、右カーブに入る手前でブレーキを踏んだのは、そのためだ」

「でも、そんな証拠はない。映像では光の増加は認められたけど、遠くにあるバスの姿が小さすぎて、いくつライトが点いていたかわからない」

「それでしかあの発光現象は説明がつかない」と僕はめげずに説明を続けた。「もしあの光が街灯の反射によるものだったら、後面の光の量はバスの角度が少し変わるだけで大きく増減するはずだけど、この映像をみてみるとそんなことはない。あの右カーブ直前の直線で、バスの光の量は一定して強くなり、バスと街灯を結ぶ角度が変わってもその光は長い間強いままだ。これはカーブの後の直線の間、運転手がフットブレーキを踏み続けた証拠だと考えられる」

「本当だ……」映像を再確認していた糸山が言った。「惑星だと思っていた天体が、恒星だったニュースを見たのは、神様がくれたヒントだったのかもな」

「嘘よ」と星原さんはなおも信じられないようだった。「こんなのおかしい」

「わたしも、ブレーキの故障が今回の事故の原因だと思う」今まで口を閉ざしていた森さんがおもむろに言った。

 彼女は灰色のリュックから、分厚い紙の束を机に乗せた。表紙のタイトルには、『事業用自動車事故調査報告書』とある。

「実はわたしも自分で調べていたの。第一回の検討会のあとでね」

「美月、あなたは調べなくていいって言ったのに。私たちが説明するから」

 森さんは俯いて、星原さんの言葉には返事をしなかった。

「これは?」と少しして糸山が訊いた。

「ネットで事件のことを調べていると、国土交通省関連の団体が事故の調査報告をしていたことがわかったの。そしてそのメンバーの一人が、偶然にもうちの大学の先生だった。それでその先生のところに話を聞きに行ったら、この資料をくれたんだよ。まあ、よく探せばネットにも上がっているみたいなんだけどね」

「どんなことが書いてあったの?」と僕は訊いた。

「今回の事故のほとんど全ての情報が。事故の概要から始まって、車体や路面の情報、その分析と考察、最終的な事故原因、そして再発防止策について」

 僕はその資料を手にとった。目次からその資料の総ページ数が八十ページにも及んでいる。詳細なレポートで、発表されたのは今から半年ほど前である六月ことだった。事故からは約一年半後ということになる。

この分厚い資料をみんなで輪読するのは骨が折れそうだな、と思っていると森さんがまた鞄をごそごそし始めた。

「その要点を一部抜粋してきた」

 森さんはそのレジュメを人数分刷ってきてくれていた。事実情報について二枚、原因の結論について一枚の計三枚の資料だった。

 僕たちはまずそれに目を通すことになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る