森の推理(2)

「……そんな」

 なんのために。そう一笑に伏そうとしたが、僕の唇は中途半端な状態でこわばった。彼女はいたって真剣な眼をしていたのだった。

「小泉さんをミスターに擁立したのは、穂乃果さんだった。小泉さんの不正自体にはもちろん関与していないけど、穂乃果さんはそのきっかけを作ってしまったことで責任を感じていた。小泉さんは大学に来づらくはなったけど、退学処分は免れた。そこで穂乃果さんは小泉さんのために、小泉さんが履修していた講義に出席し、ボイスレコーダーで録音したデータを小泉さんに送っていた。そうすれば穂乃果さんが講義を録音していたことも、彼女が過去に履修していたはずの心理学に出席した事も説明がつく」

 そうかも知れない。いや、きっとそうなのだろう。証拠はないが、その説は自然とふに落ちた。森さんは続ける。

「そうすると、真実を晒されることで被害を受ける人は全員自業自得だっていう佐倉くんの話に、わたしは同意できない。穂乃果さんはサークルのためを思って小泉さんをミスターコンテストに送り出しただけ。それなのに、どうして穂乃果さんは苦しまなくちゃいけないの? それとも彼女についてでさえ、あなたは自業自得だと言い切るの?」

「だって」と僕は反論する。「そんなの予測しようがない。直接は事件に関係のない人が記事を読んでどう思うかなんて、いちいち考えて記事を書くことなんてできない」

「はじめからわからないと諦めて、考えることを放棄するのは記者として怠慢じゃないの?」

 何も言い返せない。なぜなら――。

「それにあなたは、どうせ人の気持ちなんか分からないからっていう理由で記事の影響を考えなかったんじゃない。実際あなたは人の気持ちを考えながら記事を書いたんだから。穂乃果さんでも、奈緒でも、小泉さんでもなく、ミスコン主催者のことでもない人たちの気持ちを!」

「……森さん、君は一体誰のことを言っているんだ?」

「そんなの決まってるじゃない。大学側の人間のことだよ!」

 心臓が大きく跳ねた。核心を突かれたのだ。

「ずっと疑問だった。わたしたちよりもずっとメンバーの少ない新聞部が、大学公認団体として部室や補助金が与えられていることに。わたしたちは部員数こそ少ないけれども、長い歴史があり、ユニークな活動目的があり、そして何より附属校で公演することによって、この大学にとって有意義な団体であると認められてきた。そこでわたしは考えた。あなたたち新聞部にも、そのような特別なポイントの稼ぎ方をしているのではないかと」

 セーターに包まれた首回りが暑くなった。ギトギトした汗が全身から吹き出した。彼女は一人でそこに気がついたというのか。これだけの限られた時間と異常な状況の中で。

「あなたの記事を最初に読んだ時から、わたしは違和感を感じていた。その時はその正体にまでは気がつかなかったけど。だけど後になってその正体に気がついた。あの記事の最後のパラグラフ【大学におけるミスコンについて】は、今回の事件の本筋からは少し外れていた。最初は一年生である佐倉くんが記事を書き慣れていないせいだと思った。でもそれは違った。むしろ記事の本懐は、そこにあったんだと気づいた」

 張り詰めた空気に、彼女の声音が鋭利に響く。

「あの記事、あれは大学側の意見を尊重し、拡散するためのものだった。あなたたち新聞部は、わたしたち学生のための機関ではなく、大学の広報機関に過ぎなかった。大学の意思を汲んでミスコンを破滅に追い込むために、奈緒や小泉さん、ミスコン主催者たちは犠牲にされた。そういうことでしょう?」

 犠牲にしようとまでは思っていなかった! 口を突き掛けたその言葉を僕は呑み込み、皮肉な笑みを浮かべてこう言った。

「僕よりも、むしろ森さんの方がホームズみたいだね」

「わたしは探偵なんかじゃない。ただ行間を読んだだけ」つまらない顔で、彼女はそう返した。

 会話はそこで一区切りついた。床にはまだカッターが転がったままだった。それが視界に入った途端、頬がヒリヒリと痛みだした。 傷口に指で触れてみる。血は手にはつかなかった。傷は浅く、大したことはないようだ。それから僕はぽつりと言った。

「僕も、森さんと同じなんだ」

「え?」

「僕には憧れている人がいて、その人を追いかけてこの大学の新聞部に入ったんだ」

 彼女は黙って話の続きを待った。

「その人は僕の目標としている記者なんだ。もしこの先で彼に会えた時、『あなたの入っていたサークルは僕の代で公認団体から外されました』なんて言えないじゃないか。憧れの人に会うときには、胸を張っていたいんだよ」 そこまで一息で言うと、もうそれ以上自分にはいうべき言葉がなくなったことに気がついた。

「そう」 少し迷ったすえ、彼女は一つの質問を僕によこした。「じゃあ今回あなたが書いた記事を、あなたは胸を張ってその人に見せることができるの?」

 そこで僕は口籠ってしまった! そんな自分自身に心の底から幻滅した。

「意地悪なことを言ってごめんなさい。それと、話を聞かせてくれてどうもありがとう」

 それで話は終わりという風に、森さんは腕時計の革のベルトを撫でた。ここは二劇の部室。よそ者はいつまでもいられない。僕もふらふらと腰を上げる。

「でも、どれだけいろいろな人のことを考えたところで、誰も傷つけない記事なんて書けないのかも知れないよね」

 彼女は最後にそう呟いたのが、背中越しに聞こえた。僕はドアに手をかけたまま、そのことについて少し考えた。しかし、すぐに答えは見つからなかった。

「巻き込んで、悪かった」

 最後にそれだけ伝えると、彼女は黙って手を振って僕を送り出した。

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