佐倉のついていた嘘(1)
ここは部室棟の最果て。鍵付きのドアに閉ざされた地下の一室。いつもは僕のプライベートスペースとなっていたここに今日は珍客が入り込み、部室に置いていたノートPCが壊されてしまった。そればかりか、自分の書いた記事のせいで善良な隣人が凶刃にかけられそうになってしまった。そんな悪夢のような出来事を記事にするべきか、懊悩する。
もし仮に今回の犯人が内藤ではなかったら。例えばミスコン主催者側の人物だったとしたら。きっと僕は一も二もなく飛びついていただろう。それは大学に仇なす団体の息の根を完全に止める結果へと繋がったはずだから。しかし犯人は彼らではなかった。それをありのままに書いてしまえば、二部演劇研究会の評判どころか、大学自体の評判にすら悪影響が出てしまう懸念すらある。犯人が不都合だからといって、これを記事にするのを見送るのは、報道機関として如何なものか。
書いた場合のメリットを考える。この事件はセンセーショナルであり、読者に受ける記事になるだろう。飛ばし記事を連発させれば、新聞部への注目度は上がり、部員の獲得にも繋がる可能性だってある。
自分一人では、答えが見つかりそうもない。それで海外にいる代表兼デスクに、報告と相談のメールを送ることにした。時差マイナス八時間だから、向こうは朝の十時ごろだ。すぐに返信があった。
『書きたいならば、書けばいい』
その一言だけ。少し投げやりすぎやしないか。それにそうは言われても、僕が書きたい記事というのが、もう自分自身にすらわからない。ミスコンの記事も、最初は純粋に自分の書きたい記事のはずだった。思った以上の反響もあり、一部のマスメディアからは、大学組織内の自浄作用と持ち上げられた。真実を書いて、ズルをした悪者を懲らしめた。狙い通りの結果を得たつもりだった。もちろん、好意的な意見が全てではないことは最初から承知していた。だからこそ、今回の批判で心が重くなることが意外だった。好きなように記事を書いた結果こんな気持ちになるのなら、記者になる夢も見直すべきかも知れない。
先ほど森さんに言われたことを思い出す。
「あなたはこの記事を、胸を張ってその人に見せられるの?」
答えられなかった。なぜ、答えられなかった?
僕が書いた記事に間違いはなかった。ミスコン主催団体と小泉さんの間で行われた取引は実際にあった。では僕がこの記事を誇れない理由は何なのか?
記事にした事実は間違っていない。嘘はついていない。
そこで、小さな引っ掛かりを感じた。僕はたしかに事実を伝えた。だが、果たして本当に嘘はついていなかっただろうか?
もう一度自分の文章を疑う。さっきよりもっと視野を広げて再読する。枝葉末節ではなくて、もっと全体を見るように。
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