柿田との面会(2)

 柿田さんは黒いコートに浅い青色のマフラーを巻いて現れた。レジでドリンクの注文を済ませた彼がこちらに近づいてくる一歩ごとに、彼の顔立ちの細かいところやそこから立ちのぼる雰囲気のようなものが見えてきた。

もう十二月だというのに、彼の肌は残暑の季節のようにうっすらと日焼けを残しているように見えた。あるいはその焼けた肌は今年の夏の名残ではなく、長年の取材の積み重ねによってできたものなのかもしれない。短く整えられた髪はグレーで、太い眉もそれと同じ色をしていた。目の周りには小さなしわがいくつかあり、それが理知的で思慮深そうな印象を与えていた。

「はじめまして」

 僕と森さんは揃ってお辞儀をした。

「はじめまして。新聞部OBの柿田です」そう言って柿田さんも小さく頭を下げた。

 三人は席についた。柿田さんはコートの下に濃紺のジャケットを着ていた。腕時計のシンプルな文字盤が、また柿田さんらしかった。

「本日はわざわざ大学まで来てくださりありがとうございます」と僕は言った。

「いえいえ。ここの場所を指定したのは私ですよ」柿田さんは木製のテーブルを撫でながら言った。「懐かしいな。このカフェテリアは私が大学生の頃からあったんです。今回佐倉くんからメールをもらった時に、不意にこの場所のことが頭に浮かんだんです」

 そう言って柿田さんはコーヒーを口元に運んだ。

「あちち!」

 飛び上がった柿田さんを前に、僕と森さんはただおろおろするしかなかった。

「そうだった、ここのコーヒーは熱湯でしたね。懐かしいな」

 柿田さんはコーヒーをソーサーに戻して、照れたように笑った。

「懐かしいといえば、新聞部もそうだ。まだ存続していたんだね」

「はい。部員は少ないですが」

「でもちゃんと活動しているようで。この前、ミスコンの不祥事を記事にしたのはあなたたちでしょう?」

「それは、まあ」

「その記事を書いたのは彼なんです」と横で森さんが説明してくれた。「それに佐倉くんは柿田さんに憧れて、この大学の新聞部に入ったんですよ」

「え、本当かい?」

 よ、余計なことを!

「ええ、実はそうなんです」

「彼は小さい頃に事故に遭って、その時に柿田さんに一度お会いしているようなんです。覚えていませんか、暴走した光岸のトラックから子どもを庇って亡くなった祖父母の事件を」

「もちろん、覚えていますよ」と当然のような顔をして柿田さんは言った。「忘れるはずがないじゃないですか。これは懐かしいというか、本当に、大きくなったね、佐倉くん」

 嬉しさと恥ずかしさが同時にこみ上げ、身体中が熱くなった。

「覚えていてくださったんですか。その節は本当にありがとうございました」

「私は何もしていないよ。ただ、ご両親の想いを聞いて、それを文章にまとめたに過ぎないのだから」

「ご両親の想い、ですか?」と森さんが不思議そうな顔をした。そういえばその辺りの詳しい話はこれまでしてこなかったかもしれない。

「話してもいいかい、佐倉くん?」

「いえ」と僕は遮った。「僕から話します」

 僕は当時を振り返った。ニュースに映し出される自分。その後、進学した小学校でいじめにあったこと。

「僕は事故の後、自分自身を殺人者のように感じていました」

 隣で「え」と声が漏れる。そちらの方には目を向けず、柿田さんの方を見て僕は話を続けた。

「自分を遊びにつれて行ってくれた道中で、僕の祖父母は死にました。僕のことを庇ってです。僕が殺したも同然であると思いました。テレビでもそう言われましたし、進学した小学校でもそう言われてきました」

「僕が最初に佐倉くんのことを知ったのは、テレビのニュースでだった。事故直後、君は詰めかけた報道陣に対してこう繰り返していたね。『すみませんでした』と」

「その時も、それからしばらくも、自分には生きる価値がないと思っていました。でも――」

「でも?」森さんが続きを促した。

「柿田さんと会って、柿田さんの記事を読んで、変わったんです」

「君をテレビで見た時、この子は誰に対して謝っているのだろうかと考えました。会ってみて分かりました。この子は、自分の両親に対して謝っていたのです。初めて佐倉くんの家に伺った時、佐倉くんはご両親とまともに喋ることも、目を見ることすらもできていなかったのです。そして私はご両親から話を聞き、それを記事にしました」

「どんな記事だったのですか?」

「簡単に言えば、こうです。彼のご両親は事故の後でまずこう思っていたのです。『ああ、佐倉くんが生きていてくれてよかった』と。たったそれだけのことを、親子では話せずにいたのです。佐倉くんが精神的な理由で、ほとんど喋ることができないでいたために」

「僕は怖かったんです。自分の両親を殺した相手である自分は、きっと殺したいほど憎まれているのだろうと、ずっとそう思っていました。そう、柿田さんの記事を読むまでは」

「それから私と君のご両親は、佐倉くんを傷つけ、そしておじいさんおばあさんの命を奪った真犯人を見つけるために、何度も話し合った」

 コーヒーに口をつけ、柿田さんは言った。

「君たちの推理も、そのことと関係があるみたいだね」

「はい」自然と背筋が伸びた。「僕たちの推理を聞いてください」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る