森の両親との対話

 僕と星原さんが彼女の消えた道の側のマンションの敷地を、森さんの両親が周辺の通路を探してまわったが、彼女は見つからなかった。最後に彼女を見かけてから、すでに二十分ほどが経過している。

 まさか家に帰ったのではないだろうかと、僕たちは森さんの家の前まで来た。二階建ての庭付きの一軒家だ。薄暗くはっきりとはわからないが、それでもまだ建ってから新しそうな印象を受ける。黒いトヨタのカローラが一台車庫におさまっている。

 彼女を探しに家の中に入った森さんの両親が、あまり時間のかからないうちに玄関から出てきた。

「やっぱり帰って来てはいないみたいね」不安そうに母親が言った。

 父親の方は落ち着かない様子で顔を顰めたり、しきりにスマートフォンを触ったりしている。

「まさかさっきの白い車に誘拐されたんじゃ?」母親が怯えたような口調で言った。

「だったら美月は声をあげているはずだと思います。お母さんたちや私たちが近くにいることを彼女は知っていたんですから」

「じゃあ美月が自分で運転して――」

「あんな車、うちは持っていないじゃないか」と父親が言い返す。

 それにあの車は光岸だ。もしレンタカーを借りるにしろ、森さんは兄の仇であるそのメーカーにものを選ぶはずがない。

 このまま黙っていても、彼女が見つかりそうな展望は望めそうになかった。

「森さんはあなた方から逃げているように見えました。何があったのですか?」

「ちょっと、親子喧嘩をね」と父親が早口に言った。こちらの詮索を望んでいないことは理解したが、それでも僕には引き下がる選択肢はなかった。

「原因は、何ですか?」

 父親の目付きが明らかに変わった。

「今はどうでもいい。まずは美月を見つけるのが先だ」

「どうでもよくはありません。彼女が誰から逃げ、どこへ向かったのかを知るための重要な手掛かりになります」

「ただの親子喧嘩だと言っただろう」

「そうじゃないと思ったから、僕たちはここに来たのです」

「そうか」さっきまで落ち着きなくあたりを見回していた父親は僕に視線を吸えながらまっすぐ近づいた。「君が、うちの美月につまらん入れ知恵をしたんだな」

 彼我の距離は縮まる。一歩分の歩幅ほどの間近に迫った後で父親はこう言う。

「だいたいお前は誰だ。学科の仲間か? それともサークルか?」

「どちらでもありません。僕は神楽大学の新聞部です」

「新聞部?」呆れ、蔑むような顔が彼の表情に表れる。「何をしにきた?」

「森さんの声を聞くためです。そうに決まっているじゃないですか。ご両親は違うんですか? まさか森さんを家へ連れ帰るためだけに彼女を追いかけ回していたのですか?」

「……まずはそれからだ。あいつは危なっかしいからな。今のあいつは、特に」

「あなた方はそうやって、森さんとの対話の機会や彼女の知る権利をずっと蔑ろにし続けていたのですね」

「守るためだ」

「誰をですか?」

「何?」

「あなた方が守ろうとしていたのは、偽物の歴史でしょう。自分たちのお金でしょう。そしてその口実のために、何も教えてもらえない森さんをずっと利用し続けていたのではないですか?」

「君に何がわかるんだ? よその問題に首を突っ込まないでくれないか」

 僕と森さんは似ているのだ。でも僕は彼女と似た境遇に置かれた時、救ってくれる人がそばにいた。

「僕は幼い頃に事故に遭いました。僕と一緒に歩いていた祖父母は、僕を庇って死にました。とても辛い出来事でした。その時に僕のことを救ってくれたのは僕の両親だったのです。彼らはその問題と真っ直ぐに向き合ってくれました。裁判の結果、お金は僕らの手元に入ってくることこそありませんでしたが、それでも真実を勝ち取ることができたのです。今僕が大学の法学部に通い、記者になるという夢を持って生きることができているのは、僕の側に真実のために戦ってくれた人たちがいたからです」

「そんなことは聞いていない。それとこれとは話が違う。こっちにはこっちの事情があるんだ」

「その事情とは、裁判で得る予定の一億円のことでしょうか?」

「……一億以上の金と、もう終わった事件の真実、どちらに値打ちがあるかなんて比べるまでもないだろう。そんな真実よりも、一億円の方が美月の将来の幸せを約束してくれるはずだ」

「森さんはそうは思っていませんよ」

「それはまだあいつが子どもだからだ。いずれわかってくれる」

「森さんは、あなた方に真実のために戦ってくれるように頼んだのですね? それがあなたの言う親子喧嘩の理由ですね?」

「親子喧嘩というよりも、子供の駄々だ」

「あなた方は森さんの気持ちをどこまで踏みにじれば気が済むんですか? どれだけ彼女が傷ついてきたかまだわからないのですか?」

「さっきからわかったような口を聞くな。それにこれはうちだけの問題じゃないんだ。十三人の犠牲者の遺族が――」

「十三人?」僕は自分の耳を疑い、そして問い返した。「十五人でしょう」

 鼻白む父親に、僕は語りかける。

「これは僕の意見ではありません。彼女の声を代弁しているだけです」

 声をあげることができない人の声を聞きに行く。それを届ける。それが記者の仕事だ。未熟だった僕に、それを気づかせてくれたのは森さんだ。

「森さんは以前、僕に聞かせてくれたことがあります。病床で意識が戻らなかったお兄さんの死の直前に、お母さんから『美月は大学に行きたいか?』と訊かれたと」

「……おい、お前。それは本当か?」父親はゆっくりと後ろの母親を振り返った。

「ごめんなさい。でも、あの時は美月の言葉に縋りたかった。美月の幸せのためにはしょうがないことなんだって、自分に言い聞かせたかったの」

 彼女は両手で顔を覆った。つまりは、お金の問題だ。脳に重大なダメージを負って快復の見込みの無い兄の延命か、未来ある妹の幸せか、どちらかを選ばなくてはならなかったのだ。その選択を迫られたこと自体には同情する。しかし、そのほとんど決められた結論の最終的な理由づけを彼女は引き受けさせられたのだ。そして処刑人の役を、彼女は演じた。

「森さんは、自分がお兄さんを殺したのだと、ずっと心の底ではそう思っていたことでしょう」

 父親も、何も言い返して来なくなった。だがこちらにはまだ山ほど言うべきことがある。

「バスの運転手の返上されない汚名も、光岸の不正が発覚せず、今も世界で欠陥を抱えた光岸車が走っていることも、自分のせいだと感じているかもしれません。なぜなら真実を隠す理由に、あなた方は森さんの存在を勝手に持ち出したからです。全部の罪を、森さんは一人で背負わされているんです」

「違う、佐倉くんのせいだ!」と後ろで星原さんが叫んだ。「佐倉くんがいなければ、美月はずっと知らないままでいられた。こんなに苦しい思いをしなくて済んではずなのに」

 閑静な夜の住宅街に僕らの声が響く。

「森さんはきっと、僕たちが手を貸す前から、すでに今回の事件の違和感に薄々気づいていた。多分、真相にもたどり着いていたと思う」

「え?」

「ですが彼女は今までそれを言えなかったのです。それを言ってしまえば、あなた方が罪悪感に苛まれることになるからです。そして両親や友達がそれを認めてしまえば、彼女はこれまで信頼してきた人たちのことを信頼できなくなってしまうからです。それは森さんにとっても、とても辛いことだったに違いありません。彼女は、自分の疑念が思いすごしであって欲しいと思ったことでしょう。それを確かめるべく、第三者の立場にある僕がその調査役に選ばれたのです。調査の間、彼女はあえて口を挟まず、僕らを泳がせました。そして辿り着いた結論は、彼女の案じていた通りのものとなりました」

 彼女はメディアを嫌っていた。彼女の愛読書には「真実は新聞の広告欄にある」と書かれていた。そして柿田さんから真実が語られようとした時、彼女の手からは恐怖が伝わってきた。その恐怖の正体に、今僕はやっと気がつくことができた。だがあまりにも遅すぎた。

「あなた方のやったことはただの時間稼ぎに過ぎません。問題を先送りにしていただけです。家ではご両親が、学校では星原さんが森さんの行動を監視していました。実際星原さんはよくやっていました。僕たちが真実から遠ざかるように、わざと不都合な事実が載っていない媒体の情報だけを提供したりして……。でもそれは無駄です。最後には必ず真実は明らかになります。真実は時の娘なのですから」

 黙ったままの三人に、あるいはそのほかの真実を隠そうといている者らに、僕は宣戦布告する。

「いいですか、どれだけあなた方が押さえ込もうと思っても、僕や彼女の想像力は絶対に止めることはできません。どれだけ真実を隠そうとしても、僕らは必ずそれを白日の元へ晒して見せます」

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