最後の報告書

「先月、美月は僕たち二人に事故の推理を訊かせてくれました」父親が静かに語り出した。「とても筋の通った推理で、僕らは反論できませんでした。その後で美月は訴えたのです。真実を明らかにするように動いてほしいと。だけど僕らはそれを叶えてあげることはできませんでした。その理由は、さっき佐倉くんに指摘された通りです」

 僕らは家の中に招かれていた。白を基調とした広々としたリビングは、今は非常に寒々しかった。脚のしっかりとした大きな木製のテーブルを、今日会ったばかりの僕らは囲んでいた。

「その頃から美月の様子はおかしくなり始めました。大学にもほとんど行かず、自室に引きこもりがちになったのです。たまに家内が部屋を訪ねると、美月はパソコンでレポートか何かを書いているようでした」

 おそらくそれは、僕に送られてきた『報告書』だろう。

「美月は今日、珍しく夕方頃から外に出かけました。用件は聞いていません。八時くらいに家に帰ってくると、彼女はこの前僕らが断った話を、また持ち上げて来ました。こちらの考えが変わらないことを伝えると、彼女はぷつりと糸が切れたように、何も言わずに家を飛び出して行きました。走って美月を追いかけていくと、美月はどこかへ消えて、代わりに星原さんたちが現れたのです」

 こうなる前に、僕に何ができただろうか。すぐには思い浮かばないが、きっと何かあっただろう。

「僕が森さんに会いに来たのは、彼女からメッセージを受け取ったからです」

 僕は上着のポケットからスマートフォンを出し、ニスの塗られた天板の上にそれを乗せた。

「彼女の机の引き出しに、レポートがあるはずです。それを確認して来てください」

「佐倉君が直接引き出しを開けなくていいのかな? 美月は、わたしたちに開けられるよりも、その方がいいと思っているでしょうし」母親が答え、僕らは全員で彼女の部屋に入った。

そこは奇妙なほどに片付いていて、とても静かな空気がたまっているようだった。彼女から送られてきた机の写真の実物の前に立つと僕は言った。

「開けます」

 出てきたレポートの表紙は、PDFのファイル名とは違っていた。『遺書』とある。

「いや!」母親が叫び、膝から崩れ落ちた。

 星原さんは呆然としている。父親はふらつく足で机に近寄り、ただただそこにあるクリップで閉じられた紙束を見つめた。

 僕は頭の芯が凍ったかのように冷たく、そして目の周りが熱くなるのを感じた。一瞬遅れて僕は悟った。この中で、僕が一番しっかりしなくてはいけない。なぜなら僕は、ここにいる人たちの中で森さんから一番距離の遠い人間だからだ。家族でもない。親友でもない。多分まだ、友達でもない。だからこそ僕が一番冷静にならなくてはいけない。

「お父さん、警察に連絡を入れてください」

 おそらく、事態は一刻を争う。早く彼女を見つけないといけない。僕はまだ、彼女から聞きたいことがたくさんあるのだ。

 柿田さんと会った日のことを思い出す。僕は柿田さんにこう質問をぶつけた。被害者遺族たちは、この事故はバスの運転手のミスで起こったと考えているのか、と。その問いに、柿田さんに代わって答えてくれるのは彼女だったはずだ。まだ彼女の口からそれを聞いていない。 聞いていないじゃないか。

 父親がスマートフォンの画面を見たまま、固まっていることに気がついた。

「何をしているんですか?」苛立ちながら僕は訊いた。

「ETCカードが、使われている」彼はぽつりと言った。

 スマートフォンの画面を覗き込む。 ETCカード使用通知のメール画面だった。

「ETCカードが練馬で使われたと通知が来たんだ。時間は、今」父親が小さな声で読み上げた。

「練馬。練馬って『練馬インターチェンジ』ってことですか?」

「ああ、そう書いてある」

 森さんが路上から消失した謎は解けた。

「車を出してください」と僕は叫んだ。「急いで!」

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