忘れられない過去
「どうしちゃったの? シラけちゃって」
「なんでもないの」と星原さんはえくぼを作った。「私が遠慮なく注文するから、イツキに怒られちゃって」
「なんだ、そんなの」と森さんは笑った。「みんなの日当にしてみたら安すぎるよ。もっと遠慮なく注文しちゃって」
僕は鉄板の上では忘れ去られた季節の野菜たち(千四百円)の存在を思い出した。炭になる直前に救出し、目を瞑って口に放り込む。苦い。苦すぎる。
森さんは星原さんの隣に座るとメニュー表を開き、明太チーズもんじゃを注文した。
鉄板の上では星原さんが『すじこん青ネギモダン』の製作に取り掛かっていた。実際それはとても慣れた手つきだった。
「木星みたいに綺麗だ」
完成したそれに、僕には訳のわからない褒め言葉を糸山が投げた。森さんもスマートフォンのカメラでそれを撮っていた。
「どうぞ召し上がれ」
星原さんはいの一番に森さんにモダン焼きを取り分けた。
それを一口食べた瞬間、森さんが目を見張いた。
「美味しい! 麺がカリカリで絶妙な焼き加減!」
彼女に続いてモダン焼きにありついた糸山も「ほんとだ。見た目だけじゃなく味も最高だね」と絶賛した。
「それにソースが濃いのがいいね」と僕もみんなと口を揃えて味の感想を述べたのだが、返ってきた視線は冷淡だった。
「佐倉、さっきからソースの味のことしか言ってないよな?」と糸山の言葉を皮切りに、
「確かにそうね。ひょっとして佐倉くんって味音痴、とか?」と星原さんも遠慮がちに、だが的確に僕のメンタルを抉ってきた。
遺憾ながら二人の推理は当たっていた。僕の舌はさっきからソースの味しか感じ取れていない。僕が正直にそう白状すると、僕以外の三人は子供みたいに笑った。
モダン焼きを食べ終わった後で、もんじゃが運ばれてきた。僕は星原さんに教わりながら土手作りに励んでいると、それを見守っていた森さんが思い出したように言った。
「そう言えば糸山くんはどうして新聞部に入ったの?」
「簡単に言えば、自分の見識を広められるから、かな」 なんだか面接みたいな答えになっちゃったね、と照れたように笑いつつ彼は言葉を継いだ。「大学はいろいろな人が全国から集まっている場所なんだし、そういう出会いの機会がたくさんあるのなら、それを活かしたいなって。新聞部はそれにうってつけの環境だったんだよ」
確かにいろいろな人に取材をしなければ記事は書けない。記事を書けなければ、新聞部は務まらない。だから新聞部としての活動の中で、自然と交友関係は広がっていく。
「じゃあこう見えて佐倉くんも積極的に人に話を聞きに行っているんだ」
こう見えて。今日は少し星原さんの方からの風当たりが強い気がする。
「まあそうなんだけどさ。取材しないで記事は書けないって、僕の憧れている記者も言ってるから」
星原さんから見られた通り、人との新たな出会いとかには臆病な人間である僕はそう応じた。
「そう言えば佐倉が憧れている記者と出会ったのって、まだ幼稚園くらいの頃なんでしょ?」と糸山が思い出したように言い出した。「その頃から新聞読んでたの?」
「いやいや」 そんな園児がいたら怖い。「実際に会って話したんだよ。って言うか、取材されたんだ」
「そうだったの?」
三人からの視線を浴び、僕は話すことに決めた。
「行きの車の中で話した交通事故の話、覚えてる?」
「おじいちゃんとおばあちゃんが孫をかばって亡くなった事故のこと?」と森さん。
「うん。運転手の責任にされていた事故が、実は車のメーカーの欠陥だったってことは、僕の憧れている記者――柿田桂一郎さんって言うんだけどね――その柿田さんが調べてくれたからわかったことなんだ。柿田さんは僕が事故に巻き込まれてからひと月ほど経った頃に、僕の家にやってきた」
「事故後すぐに会ったわけじゃないのか」と糸山が言った。
「うん。事故後すぐにも、僕は何人もの大人に囲まれて、その瞬間のことを何度も説明させられた。正直、とても辛い経験だった。でも僕の方でも子供ながらに罪の意識があったから、そういうものには全部、答えられる限り答えていた」当時のことを思い出しながら僕は話を続けた。「でもそういった取材は事故後のほんの数日間で嵐のように去っていったんだ。だから柿田さんが最初僕とあった時、なんでこの人はこんなタイミングで僕に会いにきたのだろう、と思ったことを今でもよく覚えている」
「柿田さんも、その当時のことを佐倉に質問したの?」
「いや、柿田さんは違った。柿田さんは僕と初めて会った時、こう言ったんだ。『記事で君のことを知ったよ。辛い経験をしたね』って。僕と喋ったのはほんの短い時間だけだった。それからはずっと僕の両親と長い間テーブルを挟んで喋っていた」
「どんな話をしていたのかな」と森さんが聞いた。
「事故の真犯人についてさ」と僕は言った。「僕の両親は、その事故の話題を決して僕の前では話さなかった。だから、その時に僕の両親が何を考え、思っていたのかを僕はその当時全く知らなかった。僕がそれを知ったのは、柿田さんがそれを記事として新聞に書き残してくれていたからなんだ」
そう。その記事を読んで、僕はその当時の両親の本心を知ることができた。
「僕の両親は、あの事故の本当の原因を知りたいと願っていた。柿田さんはその思いを受け止め、事故を調べ上げ、さまざまな手段を講じてそれを明らかにしていった」
「そして出てきた答えが、自動車メーカーの欠陥の隠蔽だったのね」森さんが言った。
「柿田さんはその自動車メーカーである光岸自動車の社員と接触し、彼と協力して社内の情報を世間に公表したんだ。それをきっかけに国交省や警察が動き、僕の祖父母を殺した犯人はようやく明らかになった」
それから裁判があり、勝訴はしたものの担当弁護士から賠償額の四倍もの報酬を要求されたりしたことも大事件となったのだが、そこまで一気に話すとややこしくなるだろうからやめておく。
「そう言えばさっき話していた軽井沢のバス転落事故についても、柿田さんは記事を書いていたな」
僕が何気なく話を横にずらそうとした途端、場の空気が固まった気がした。
「あ」
時すでに遅し。口から出した言葉は飲み込めない。
「やっぱりその事話してたんだ」
森さんが星原さんに詰め寄った。
「ごめん。でも、私も心配で……」
「まあいいよ。別に隠しているわけじゃないし」
森さんは星原さんから離れ、お冷やに口をつけた。
「美月、ひょっとしてまだあの事を気に病んでいるの? そうだとしたら相談して欲しい」
「気にしているって言うか……」と森さんは言った。「どうしたって忘れられないよ」
「どうして美月は自分を責めているの?」
「こうなったのは、きっとわたしに原因があるから」
森さんはそれ以上詳しく語らなかった。
「私たちにできること、何かないかな?」と星原さんが言った。
「ありがとう。でも大丈夫だよ」
「ねえ、お願いだからそんなこと言わないで。美月は何も悪くないでしょ」
「誰が悪いかを教えてあげれば、森さんも自分を責めずに済むようになるんじゃないかな?」と糸山が言った。
「だからあの事故はバスの運転手が悪いんだよ。でもそんなの美月だってもちろん知っているでしょ?」
「一応は」森さんは曖昧に頷いた。「警察もそう言っていたし、裁判もその方向で進んでいるみたい」
「一応は、って言うのは?」気になって僕は聞いた。彼女は当事者で、ここにいる他の誰よりも、その件について詳しいはずではないのか。
「その事件に関することは調べるなって親に言われているの。それにあの当時はニュースを見る余裕もなかった。兄の個人情報がテレビで流された後は、しばらくはテレビもつけられなかったし」
心のケアの一環だろうか。僕も似た経験がある。事故後、両親はその話題をできるだけ僕から遠ざけていた。
「ねえ、佐倉くんも黙っていないで何か言って」と星原さんが援護を求めてきた。
「確かに警察発表では、原因は運転手の操作ミスとされたって聞いている」と僕は当時読んだ新聞記事を思い出しながら言った。「だけど柿田さんは、事故原因については不明と書いていた。そしてその記事を最後に、彼はこれまで長年勤めてきた新聞社を退社したんだ」
「ずいぶん歯切れの悪い内容だな」と糸山が言った。
「で、裁判はどうなったの?」と星原さん。
「知らない。両親に聞いても、『お前は何も考えなくていい。心配するな』って言われるだけで……」
森さんは顔を曇らせた。
「それじゃあ今度、俺たちがその事故のことを調べて、森さんに説明してあげよう。そうすれば森さんもこれ以上自分を責める必要がないってわかって、安心するんじゃないかな」
「事故のことを調べる?」と星原さんが噛み付いた。「もう警察の方で事故の調査は終わっているのに? さっきバスの運転手のミスだって言ったてしょ。これ以上私たちが調べる意味なんてないよ」
「意味はあるよ」と糸山が答えに窮していたので僕は彼の代わりに答えた。「警察発表や新聞の報道内容が事実とあっているのかチェックするのは、市民一般の役割だ」
「わたしもあの事故について知りたいと思う」星原さんが何かを言いかける前に、森さんが口を開いた。「知らなければならないことがあるような気がするから」
「わかったよ」ため息まじりに星原さんが言った。「どうせなら図書館でみんなで集まりましょう。過去の新聞を見ながら、なんでこんな事故が起こったのか調べるの」
それで来週の平日、みんなの予定のつく時間に集まる事に決まった。
なぜ柿田さんはあの中途半端な記事を残して新聞社を去ったのか、そしてなぜ森さんは自分を責めるのか、どちらも気に掛かる問題だった。調査のしがいのある問題だ。
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