前夜祭の出し物

 F305と印字されたアクリルの室名札の前で、ハルカはぱたりと足を止めた。どうやらここが地学研究会のスペースらしい。準備は終わったと訊いていたが、まだ看板が出ていないようだった。わたしたちがここを貸し切りで利用する予定になっているからかもしれない。

 ハルカが「美月が来たってみんなに伝えてくる」と言い残して先に室内に入ってしまったので、わたしはまたひとり待たされることになった。教室の前方と後方にはそれぞれ一つずつドアがあり、今ハルカが入っていったドアの方には、「こちらはスタッフ専用です」との張り紙が貼ってある。「スタッフ専用」のところだけ、太文字になっていてフォントサイズも大きくなっていた。二つのドアの間には横長の窓が三つある。しかしその窓はどれもドアよりも高い位置にあり、しかもその向こうには暗幕のようなものがかかっているようで、廊下側からは中の様子は全くわからなかった。窓の下にはダークブラウンの長机があり、それに沿って白いプラスチックの丸椅子が五脚ほど並んでいる。長机の上には透明なクリアファイルに入ったA4用紙が置かれていた。ちらりとそれを覗き込むと、そこには緑茶や紅茶などのドリンクメニューが書かれていて、それぞれに自動販売機で買うよりもちょっとだけ高いくらいの値段がついていた。

 お金を取る施設をタダで貸し切らせていただくのは、なんだか気後れする。少しは何か頼んだ方が良さそうだ。

 そんなことを思っていると、不意にドアが開いた。先ほどハルカが入っていったスタッフ専用のドアではなく、もう一方の後方のドアだ。そこからにょっきと腕が伸び、わたしを手招いた。チープなホラー映画にありそうな絵面だ。話に聞いていた地学研究会の出し物は、お化け屋敷ではなかったはずだが……。わたしは大人しく招かれた方のドアから室内に足を踏み入れた。

「わあ……」

 思わず感嘆の息が漏れた。そこには満天の星空が広がっていた。

「ようこそ、私たちのプラネタリウムへ」

 ハルカはくるりと振り返り、すらりと長い両腕を薄暗がりの中に目一杯に広げた。


 入って来た引き戸をピシャリと閉め、さらにドアの上にピンで留められていた暗幕を垂らすと、室内の暗さは段を増した。その暗がりに目を慣らしながら、ぐるっと室内を観察する。正方形をした室内の広さは、高校の教室よりもひと回り大きいくらい。外から見ると長方形の教室だったから、室内の一部を仕切って使っているのだろう。四面の壁と天井は隙間なく暗幕で覆われていて、そこに綺麗な夜空の映像が投影されている。壁の下方には木立のシルエットも映っている。それらは四面の壁の天井際に一つずつ設置されたプロジェクターから投影されたものらしい。暗幕を張りつめた室内が完全な暗闇ではないのは、それらプロジェクターから映し出す映像が光源になっているためだろう。机を取り除かれた木目調の床の上には、角の取れたスクエア型の一人がけソファが八個ほど、中央を避けるようにして置かれていた。その中央には、運動部の持っている水筒のような見かけの、つるつるとした黒い筒形の物体が鎮座している。おそらくあれも一つのプロジェクターで、この高い天井に星空を描いている作者なのだろう。

「すごい」

 わたしは素直な感想を言った。手作りのプラネタリウムと聞いていたから、わたしは勝手にもっと小ぢんまりとした、テントのようなものを想像していた。

「手作りプラネタリウムとは言っても、ただこの間の夏合宿の時に撮影した空をそのままプロジェクターで映している簡単なものなんだけどね」

 確かに手作りプラネタリウムとしては、邪道な作り方なのかもしれない。しかしそれは彼女の謙遜だった。なぜならば、そう言いつつも彼女の顔は自慢げな表情を隠し切れていなかったからだ。わたしは彼女のそんな表情をとても好ましく思った。

「お世辞抜きで本当によくできているよ。なんていうか、リアルな迫力がある」わたしは辺りを見廻しながらそう言った。

「ねえ、耳を澄ませてみて」彼女はそう言って片目を閉じると、広げた両手を耳に当ててみせた。

 わたしも同じようにして、言われた通りにじっと耳を澄ませてみた。すると、リリリ……というコオロギだかキリギリスだかの鳴き声や風の吹くゴウという音、それから名も知らぬ野鳥の鋭い鳴き声なども時折聞こえてきた。

「映像だけじゃなくて、音声も入れてみたの」

 なるほどリアルな迫力の正体はそれだったのか。注意深く聴くと、それは部屋中央の筒状のプロジェクターから流れているようだった。

「今回の企画のために、そのプロジェクターを購入したんだ」わたしの視線の先にあるものを見てハルカは言った。「最新式で少々値は張ったけれど、画質や音質が良いし、何より広角に投影できるから私が強く推したの。値段の問題で最初は難色を示していた方たちもいたけど、『それなら私が自費で買ってもいい』って言ったら『そこまで言うなら』って納得してくれてね」

 おそらくいざとなったら本気で自費で買うつもりだったんだろうな、とわたしは思った。彼女はちょっとしたお嬢様なのだ。

「それで後から会計の人に聞いたんだけど――」彼女は声をひそめて付け加えた。クラスの仲の良い子にだけゲームの裏技を特別に教えてあげる男子小学生のような雰囲気があった。「サークルで購入すると大学から補助金が出て、半額くらい戻ってくるらしいの」

 それならわたしも知っている。その補助金制度は大学の公認団体にのみ許された特権であるということも。

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