森の眠っていた間の出来事(3)

 ハルカの話からは、どこか二人の会話が噛み合っていなかったような印象を受けた。しかし具体的にどこと言われると、うまく指摘することができない。

「そのチョコレートはいくらだったの?」とイツキが訊いた。それでわたしは、まだハルカにお金を払っていなかったことを思い出した。

「わたしもお菓子を食べたんだし、その分は払うよ」

「いや、森さんは払わなくていいよ。元はと言えばあれは俺が間違って出しちゃったお菓子だったんだし」糸山くんは慌てて言った。「全額俺が払うのが筋だよ。それで、その民族研究会で売っていたお菓子はいくらだったの」

 そしてなんでもないように、ハルカはこう言った。

「三千円」

 ポケットから財布を取り出した彼が、金縛りにでもかかったかのように突然固まった。

 わたしも驚いた。さっき間違えて三人で食べてしまった高級チョコの代名詞的存在である天下のゴディバだって、あの程度の量ならその半値くらいで買えるだろう。いくら原材料にいいものを使っているからと言っても、やれ学祭だお祭りだと言っても、ものには常識ってものがある。

「たくさん買ったの?」この不自然な状況を納得させてくれる要因を糸山くんが求めた。

「ううん。さっき私たちが食べたのと同じくらいの量よ」

 あのゴディバは、一口大のチョコが6個入りだった。

 ハルカはわたしたちの顔色をみて、次第に自分が何かおかしいことを言ってしまったことに気がついたようだった。

「もしかして、少々高かったかしら?」

「そうだね……」と、言いにくそうに糸山くんが言った。

「ごめんなさい。わたし、こういうところでお買い物をしたことがなくて」しゅんとなった彼女は言った。「よく本の中には、お祭りで売っているものは一般に平均の相場よりも高いことが多いって書いてあったから、てっきりそういうものなのかと……」

 その知識は間違っていなかった。惜しむらくは、彼女の中の「平均の相場」がデパート基準になってしまっていることだ。

 ぼったくられてしまったものはしょうがない。もう終わったことだ。糸山くんはハルカに千円渡した。わたしはお客様だからという理由で断られた。プラネタリウムを貸し切りにして、そこでお菓子を食べたり寝たりしていたのだから、それで千円は十分に安いと思えたのだが。

「それで買い物をした後、星原さんと糸山くんは何をしていたの?」

 わたしたちのお金のやり取りを最後まで黙って見届けた後で、佐倉くんが言った。

「はい、私はすぐに地学研へと戻りました」ハルカが言った。「私がチョコレートの入った紙袋を持って地学研のサークル員専用スペースに入ると、イツキと清水さんが何やら話し合っているのが目に入りました」

「さっきも言ったように、紅茶を取りに行っただけのほっしゃんがプラネタリウムに戻ってくるのが遅かったので、俺は心配になって控えスペースに様子を見に行ったんです。そこにいた清水さんから事情を聞き、あのお菓子は俺が間違って出しちゃったのだと謝っているところでした」

「その場でわたしは代わりのチョコレートを買いに行っていたのだと、イツキに説明しました。またその時に清水さんから、さっきは誤解できつく言ってしまって悪かったと謝られました。

 その後、プラネタリウムの隣のF306教室から――その教室はプラネタリウムを開催するためにF305から撤去した机や椅子などの仮置き場となっている他、地学研究会のメンバーの控え室にもなっているのですが――二年の木原さんがやってきて、十八時から行われるアコギサークルのライブにみんなで行かないかと誘われました。ライブは同じ階の多目的ホールで行われるとのことでした。

 先輩方は本当だったら十八時過ぎからいらっしゃる予定だったOBの方のお相手をされる予定になっていましたが、その直前になって一時間ほど遅れるとのご連絡が入ったそうなのです。せっかくだったら美月も誘ってみんなでライブに行ってみるのもいいかもしれないということになり、その話をしようと私とイツキが控室からプラネタリウムに戻ってくると、すでに美月は眠っていました」

「なるほど」とわたしは言った。

「アコギサークルのライブは三十分程度の予定でした。そこで私たちは眠った美月と買いたてのチョコレートをプラネタリウム内に残して、みんなでライブに出かけることにしたのです。高校からの付き合いで、こうなった美月が簡単に起きないことは知っていましたし、ドアの鍵をかけておけば安全だろうと考えていたのです」

「なるほど……」とわたしは言った。

 ハルカは先を続けた。

「アコギサークルのライブの行われた多目的ホールは地学研のスペースから歩いてすぐです。徒歩にして一分くらいでしょうか。この校舎は上から見ると縦長のコの字――ホッチキスの芯のような形――をしていますが、その端と端に地学研のスペースと多目的ホールがそれぞれ配置されています。従いまして多目的ホールへの道中には、今回盗難被害に遭われたと言う民俗文化研究会さんや、ボランティアサークルさんのスペースもあります」

「一つ確認なのですが、あのフロアにはその他のサークルはいないんでしたっけ?」

 佐倉くんが口を挟んだ。

「はい。あのフロアには多目的フロアの他に教室がF301から306まであります。多目的フロアは複数のサークルが時間を区切って使用しており、あの時間帯はアコギサークルに使用権がありました。それ以外の他の教室は一つのサークルが学祭期間中はずっと使い続けることになっています」

「あれ、でもそれだと数が合わないんじゃない?」少し考えてわたしは言った。301から306の六つ教室があるのならば、六つ団体がいないとおかしい。

「いや、いいんだよ」わたしの疑問には糸山くんが答えた。「地学研究会はF305を割り当てられているんだが、その教室の備品置き場としてF306も実質的に借りているんだ」

 そう言えば、そんな話があったか。

「同じようにしてF301の使用権が与えられた団体は隣の302を、303の団体は304も使用することが暗黙のルールとして存在しているんです」

 なるほど。それだと確かにあのフロアの全てのサークルがなんらかの窃盗被害に遭っているということになる。

「ただそれはあくまでも暗黙のルールで、例えば俺たちの場合だと、F305教室には鍵をかけることができるんだが、306にはその権限がない。また鍵をかけることができるのも、全てのサークル員に与えられているわけではなく、各団体の代表・副代表・会計のいわゆる三役に限られている」

 そこで話はまた二人の行動に戻った。

「それで私たち――つまり私とイツキと清水さんと木原さんの地学研メンバー四人――は十八時ごろにアコギサークルの演奏会へ行きました。すでにお客さんは結構入っていて、室内は熱気に満ちていました。私たちはずっと四人で固まって、ホールの中央のあたりで立ったまま演奏を聴いていました。演奏が予定通り十八時半に終わり、出口の混雑が落ち着くのを待ってから、私たちはプラネタリウムへ帰ることにしました」

 ハルカはそこで一度言葉を切った。そろそろかな、とわたしは思った。

「事件はその時に起きました」 

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