起きよ娘
終盤に至るまで、劇の進行は順調だった。
誰一人としてセリフが飛ぶことなく、音響のタイミングも適切だった。杖の先から火が出たり、杖を振ると同時にドライアイスで作った煙の玉が飛んでくる演出も上出来で、小学生らは大いに盛り上がってくれた。特にドライアイスは予行練習で出し惜しみをした甲斐あって、大量のスモークとなって観客を喜ばせた。撮影係の僕はそれらをうまく写真に残すことができていた。
問題はクライマックスに起こった。いばらの魔物に捕まった仲間を守るため、森さん演じるオーロラ姫が火の魔法を放ち、魔力を使い切った彼女はその場で枯れ葉の中に眠る。いばらの魔物は退散したが、火は枯れ葉に燃え移り、眠ったオーロラが危険になるシーンのことである。
「タリタ・クミ!」
本来ならこの呪文の掛け声の後で、本田さん演じるマレフィセントの持つ杖の先から水が出て、今まさにオーロラ姫を焼こうとしていた火をすんでのところで消し止めるのである。予行練習でもうまく行っていたそのシーンだが、なぜか本番のその時、水が出てこなかったのである。
「タリタ・クミ!」
本田さんはもう一度同じ呪文を叫んだ。これは台本にはなかったことである。意図したアドリブかとも考えたが、そうじゃない予感がした。悪い予感に限って、よく当たるものである。僕はカメラを構えるのをやめ、舞台袖に急いで回った。
最初に異変に気づいたのは、その杖を作った小道具係の鳥谷くんだった。僕が舞台袖にやってきた時、彼は僕とは逆の方向へと走っていくところだった。
「蛇口かも!」とすれ違いざまに彼は口走った。ホースがつながった先で、何か問題が起きているかもしれないと言う意味に僕は理解した。慌てて踵を返し、僕も彼の後を追った。彼はホースのつながった先の蛇口を回した。
「おかしい! 蛇口は開いているのに!」と彼はパニックになりながら言った。
ホースも繋がっている。蛇口も開いているらしい。となると、小道具の杖にアクシデントが起こったのか。
「こういうことって、前にもあったの?」と僕はやや大きな声で彼に聞いた。
「なかった、こんなの。何でだ?」
僕の声に振り向いた鳥谷くんの眉間には深い皺が寄せられ、その下の目は驚きに見開かれていた。
だけど僕に訊かれたってわからない。今何が起こっているのか、こっちが聞きたいくらいだ。
僕は再び舞台袖に戻った。舞台の上には現在、本田さんと森さんの二人が立っている。いや、森さんは寝ているが……。他のメンバーはみんな慌てふためいた様子で、右往左往しながらどうするべきかを口々に主張しあっている。
「早くしないと美月が危ない!」と星原さんが主張する。
しかし演劇サークルの面々は、「でも、このまま出て行ったら舞台が台無しだ」と動けないでいる。
その時もう一度、舞台上から呪文が聞こえた。もう場も持たないだろうし、何より森さんが危険だ。今一番恐怖を感じているのは彼女に違いない。
「君、鳥谷くんの様子を見に行ってくれ! 蛇口からホースが外れちゃっているのかもしれない」と馬場さんが僕に言った。
「いえ、外れていませんでした」と僕は即答した。
そう、向こうに問題はなかった。練習の時も、これまでもあの小道具には問題がなかった。じゃあ本番と予行練習とで違っている点は――。
「ドライアイス!」
それの収まっていた段ボールを見ると、お湯がかかって脆くなった一部が穴を開けていた。
「え?」
「誰か、火の出る杖を!」
「それは今向こうに」と馬場さんは舞台の方を指した。そうだ、森さんがさっきまで使っていた。
「ドライヤーとかでもいい」
「それなら」と倉持さんがコードレスドライヤーを持ってきた。
「ありがとう」
僕はそれを受け取るとスイッチを入れ、ドライアイスの入った段ボールの脇に垂れていたホースに向けて熱風を放った。
するとまるで堰を切ったように、本田さんの持つ杖の先から水がシャワーとなって噴射した。火は危ないところで消し止められたのだ。
「オーロラ、大丈夫?」
マレフィセントが迫真の演技でオーロラ姫のもとに駆け寄った。
「あれ? なんであなたがここに」
眠りから目覚めたオーロラは、寝ぼけ眼でマレフィセントを見つめ返した。
「みんなが心配になって、それで後を追っていたらあなたたちがいばらの魔物に襲われるのが見えて」
「それで、みんなは無事? いばらの魔物に捕まっていたみんなは」
「みんな逃げられたわ。あなたのおかげで……」
「そう。でもわたしを助けてくれたのは、誰よりも魔法が苦手なあなただけだったのね」
「あなたのおかげで、魔法が使えるようになったのよ」マレフィセントは、オーロラをぎゅっと抱きしめながらそう言った。
オーロラはびっくりしたように目を見開いた後、柔らかく微笑んでこう言った。
「なんだかわたし、目が覚めたみたい」
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