満点の結末

 翌日。

 学祭は初日から盛況の様子だった。平日だというのに、わたしたちの親世代や、もっと上の世代の方達の姿もそれなりに多く見られた。

 校門をくぐってから延々と続く出店に挟まれた小道を人の流れに沿ってゆっくりと進み、数々の客引きを無視して辿り着いた目的地は昨日と同じプラネタリウムだ。

 午前十一時という約束の時間にはまだ五分ほど余裕があったが、店の前では既に待ち合わせの相手が立って待っていた。

「いらっしゃいませ。お一人様でよろしいですか?」

 ハルカは黒いシャツに白いエプロンをまとっていた。店員のコスチュームなのだろう。一方のわたしは、今日はボウタイのついたベージュのトレンチコートに黒のパンツという格好をしている。

 わたしは彼女にスマイルを返してこう言った。

「予約していた森です」

 

 プラネタリウムは昨日と同じ満天の星でわたしを迎えてくれた。虫の音をBGMに、おしゃべり声が室内に満ちている。八つのビーズソファはほぼ全稼働していた。一つのビーズソファに二人でかけているカップルもいれば、子供を抱っこしながらそこに座っている親子連れもいた。そこそこ繁盛しているらしい。

 ハルカは奥に一つだけ空いていたソファにわたしを案内した。おそらくわたしのために取っておいてくれたのだろう。そのソファの横には白い椅子がぽつんと一つ置かれていた。

 紅茶と緑茶のどっちがいいか聞かれたので、わたしは緑茶を注文した。奥から慎重そうに紙コップを二つ持ってきた彼女は、一つをわたしに手渡してから自分は白い椅子に腰かけた。

「昨日は本当にありがとう。それと面倒なことに巻き込んでごめんなさい」

 わたしの方こそ。

「お茶のお代わりはいくらでもサービスするよ」

「いくらでも?」

「事件の後に浦島さんから取り戻してもらった三千円分」

 なるほど、いくらでもだ。

 しかし猫舌のわたしはまだお茶に口がつけられない。わたしが三千円分のお茶を飲み終わる頃には、外の空はこのプラネタリウムのような星空に変わってしまっていることだろう。

「今日は糸山くんはお休み?」

「あれ、聞いてない? イツキ、今日から新聞部に体験入部してて忙しいらしいの」

 改めて昨日のお礼がしたかったが、忙しいのなら仕方ない。またの機会にお預けだ。糸山くんが見ず知らずのわたしの無実を信じてくれたことで、どれだけ精神的に救われたかわからない――。

「え! 糸山くん新聞部に入ったの?」

「いや、まだ本入部じゃないらしいけど。佐倉くんも仕事を手伝ってくれる人探してたみたいだったし。それで今は学祭に出ている色々なサークルの取材や写真を撮って、それを海外にいる新聞部の先輩たちに送っているんだって」

 全然知らなかった。新聞部の先輩方は全員海外留学に行ってしまっているらしく、これまでほぼ全ての仕事を一人残された佐倉くんがこなしていたらしい。この学祭の時期は、まさに猫の手も借りたい状況だったろう。手伝ってくれる人が見つかってよかったではないか。

「それにしても、美月の意外な才能には驚いちゃったな」まるで夏合宿の思い出を振り返るような口調で彼女が話の方向を変えた。

「才能?」

「探偵の才能」ハルカは笑ってわたしの鼻を指さした。

「高校時代はミステリ研でしたから」

 そう言ってわたしは大げさに胸を張った。

「トリックが分かるのもそうだけど、みんなの前で物怖じせずに喋れるのも」

「今は演劇サークルですもの」

 わたしはさらに胸を張った。張りすぎて咳き込んでしまった。やっぱり、慣れないことはするものではない。

「でも、それはハルカのお陰。ハルカが北極星の見つけ方を教えてくれたから解決できたんだよ」お茶に口をつけてからわたしは言った。

「それと新聞部の佐倉くん、だっけ」とハルカが言った。

 そう。彼がいなければ犯人はわからず、わたしの肖像権は今も濫用されっぱなしになっていたかもしれない。

「佐倉くんもうちのプラネタリウムにお誘いしたんだけど、『今日は大学には行かないから』って断られちゃったんだ」

 新入部員の糸山くんの手を借りるほど忙しいのに、自分は顔を出していないというのは妙だ。糸山くんに仕事を押し付けて遊んでいるのだろうか?

「そう言えば、昨日の夜に公開された新聞部の記事読んだ?」とハルカが訊いた。

「いや、まだ」とわたしは濁した。

「昨日の事件のことが載っていたよ。犯人の浦島さんの名前も公表されていたよ」

「犯行動機については?」

 今回の事件で最も重要なことを、彼は記事にしたのだろうか?

 ハルカは小さく首を横に振った。

「それについては書かれていなかったの。あの記事だけを読んだら、みんな愉快犯の犯行のように思うんじゃないのかな」そう感想を漏らす彼女の顔はやや残念そうであった。「SNSも一応チェックしたんだけど、薬物入りのお菓子を彼が前夜祭で売っていたなんていう情報はどこにも出ていなかった」

 まあ、あれだけ報道被害について釘を刺されたら、誰も軽い気持ちでは情報を発信できないだろう。私の表情をどう読み取ったのか、ハルカが問う。

「美月は、これで良かったと思う?」

 わたしとしては、こうしてハルカとお茶を飲みながら「災難だったね」なんておしゃべりができているだけで良い結果だと満足できる。何はともあれハルカの沽券を守れたわけだし、わたし自身に対するいい加減な悪評にもストップをかけることができた。

 しかし一方で、わたしたちを窮地に追い詰めた犯罪者に、それ相応の報いが与えられていないという不満がないことはない。

 ああ、もしヘンリー・メリヴェールがいたなら。彼はきっと、もっと胸のすくラストを用意してくれただろうと思う。『ユダの窓』で犯人に仕立て上げられた若い依頼人の無罪を勝ち取り、真犯人を法廷の場で明らかにしたように。

 しかし結局のところ、佐倉くんは弁護士ではなく法学部生にすぎない。彼が事件に関わろうとしてきた時にあれだけ警戒しておいて、事件の後になって「もっとこうだったら」なんて言うのは、甚だおこがましいことだ。ただでさえ学祭期間中の忙しい時期に、彼はわたしたちのために多くの時間と体力を無条件で割いてくれたのだ。今日彼が大学に来ていないのは、昨日の事件で疲れきってしまったからかも知れない。

 だがそんな理由で、大学公認・非公認関わらず無数のサークルが多種多様な工夫を凝らして作り上げる一年に一度の大イベントの紹介を彼が諦めるだろうか?

 その時ふと、彼が大学に顔を出していない理由がわかったような気がした。予感のようなそれは想像力を得て雲のように膨らみ、やがて一つの仮定を形作った。

「もしかして」

「え?」

 彼は犯人に対して怒っていた。

 犯行動機を記事にしなかった理由は、はっきりとした証拠がないからだと言っていた。裏を返せば、あとは証拠だけ取ればいつでも警察に突き出せることになるだろう。

 彼の所属の新聞部は大学の公認団体で、大学の広報機関としても機能しているようだった。もし学祭期間中に、その出店サークルの一つから禁止薬物を使用したお菓子の売買が行われると発覚したら、どうなるだろう? 罪を犯した人だけではなく、その他の多くの善良なサークル、ひいては学祭そのものが未曾有の危機に瀕する可能性もあったのではないか?

 それに加え、新聞部の佐倉くんは今学外にいるらしい。他に類を見ない規模で行われるうちの学祭を紹介せずに、一体彼は何をしているのだろうか?

 わたしには、新聞部の彼の動機がわかった気がした。

「もしかしたら、この事件はまだ終わっていないのかもしれないよ」


 一週間後。

 前夜祭を含む五日間にわたる学祭が終了し、平常通りの大学生活に身体も頭もすっかりと慣れてきた頃、朝のテレビニュースからこんな音声が聞こえてきた。

『昨日、都内在住の大学生が、大麻所持の疑いで逮捕されました。浦島うらしま雨雀うじゃく容疑者二十一歳は、東京都内の自宅ベランダで育てた大麻を加工し、インターネット上で販売していたと見られています。警視庁はこの件に関してさらに調査を進め、大麻の販売ルートなどについて今後明らかにしていく方針です――』

 学祭でその売買が行われたことについてはその後も一切報道されなかった。神楽大の学祭は来年以降も盛大に行われるだろう。

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