森の自己紹介と状況説明(2)

 森さんは話を続けた。

「それから奈緒はわたしの視線に気づいたのか、テーブルの上のチョコをわたしのほうに押しやって、「食べる?」と声をかけてくれたんだ。ありがたく一粒頂戴して、それを口に放り込んだちょうどその時、鳥谷くんが大きな声を出したの。わたしはびっくりして、まだあまり味わっていないチョコをごくんて飲み込んじゃった。

鳥谷くんが叫んだ理由はこうだった。昨日までは三つあったボイスレコーダーが、今見たら二つしか見当たらなかったんだって。ボイスレコーダーは、セリフの暗記などで使うんだ。以前はよく部員が家に持って帰って使っていたらしいんだけど、紛失が何度か続いたタイミングで学外に持ち出すことが禁止になっていたの。

 すると鳥谷くんはわたしたち二人を疑い始めたんだ。わたしたちは部室の常連だからね。それで急遽持ち物検査が始まったの。わたしの荷物は奈緒が確認し、ボイスレコーダーが入っていないことを証明してくれた。交換にわたしは奈緒の荷物を渡された。彼女の鞄はブランドものの革のショルダーバッグだった。でも入っていたものはわたしと大して変わらなかったな。わたしと違うのは、彼女の持ち物には文庫本がなく、お弁当箱があることぐらい。もちろんボイスレコーダーは見つからなかった。

 最後に、わたしたちは「やらなくていい」と止めたんだけど、鳥谷くんは勝手に自分の手荷物をわたしたちの前に並べ始たの。言ってはなんだけど、ガラクタが多かったかな。『このサインボールは有名な野球選手のサイン入りで、みんなが欲しがっている』とか『これは保存状態の良い昔のカードゲームのレアカードだ』とか、『有名ロックバンドのインディーズの頃のCDだ』とか、もう次から次へと出てきたの。まるでパニックになったドラえもんが四次元ポケットからひみつ道具をぽんぽん取り出すような感じで。ちなみに鳥谷くんは野球にもカードゲームにも音楽にも、特に精通しているわけではなかったと思う。

奈緒は途中までチョコを食べながらわたしと一緒に彼の話を聞いていたんだけど、チョコを食べ終えるとすぐにその包装紙と銀紙をお弁当袋にしまって、ショルダーバッグを持って三限の教室に行ってしまったんだ。奈緒が去ってからも十分ほど、彼の自慢話は続いたの。呆れるのを通り越して感嘆の念を抱き始めたその時、二劇の代表の本田ほんだ穂乃果ほのかさんが部室に入ってきたんだ。確か十三時くらいだったかな。本田さんは三年生で、学科はわたしと同じ英文。今の四年生の代が勧誘活動も含めてあまり活動的ではなかったから、去年から本田さんがこのサークルを引っ張ってくれているのよ。

 穂乃果さんはわたしたちの話を聞くと『ああ、悪い悪い。授業で使うんで借りていたんだ』と言ってトートバッグからボイスレコーダーを出して見せたんだ。それから『三限でも使うから、終わったら元の場所に返しておくよ』って言って、もう一度自分のバッグの中にそれをしまったの。

 とにかくそれでボイスレコーダーの紛失騒ぎは落ち着いたんだけど、振り返るとどうも鳥谷くんが自慢話をしたかっただけのようね。穂乃果さんが部室に入ってきてすぐに鳥谷くんは『三限に遅刻する!』と真っ先に部室を出て行ったの。彼が部室を発った時刻は十三時を少しオーバーしていたかと思う。彼が三限に間に合ったかどうかは知らないわ。

 慌ただしい時間が去って、わたしは急に眠くなってきたんだ。わたしは火曜の三限は空きコマで、いつも部室の長椅子の上で眠るのが習慣なの。穂乃果さんは参考書を取りに部室に寄ったみたいだった。そうそう、本棚に刺さっていた心理学の参考書を鞄に収めたのを見て、あれ? と思ったの。心理学は学部問わずに履修できる一般教養科目で、英文学科の人が取っても別におかしくはないんだけど、わたしが疑問を覚えたのは本田さんは去年すでに心理学の単位を取得したと、以前聞いたような気がしたからなの。それに穂乃果さんはいつもその時間は論理学に出ていたような気がして……。でもそれもわたしの覚え違いかも知れないし、心理学の講義以外でその教科書の出番が来るということもあるでしょう。なのであえてわたしはその時説明を求めるようなまねはしなかったんだけどさ。わたしのせいで穂乃果さんが三限に遅れてしまっては大変だし。

 『それじゃあおやすみなさい』と長椅子に座ったままのわたしに声を掛けて、穂乃果さんは三限に行くと、部室にはわたし一人だけになった。それで鍵をかけようとドアに近づいたんだけど、わたしが鍵をかける前に穂乃果さんが外側から鍵をかけていてくれたみたいで、ドアノブの下にある鍵のつまみが、横になっていたんだ。それからわたしは長椅子の上に横になって、今度の舞台の台本を確認しながらまどろんでいたんだけど……。

 わたしの記憶はそこまで。次に目が覚めた時、わたしは新聞部の部室にいたの」

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