第一回バス転落事故検討会(5)
本当にそうなのだろうか? こんなに簡単にわかるなら、なぜ警察はそれを追及せずに「異常なし」と宣言したのだろう? 日本の警察がそんな簡単な見落としをするはずはない。
「……テールランプ?」考えられるもう一つの可能性を僕は思いつくまま口にした。
「テールランプ?」と糸山が説明を促す。
「ヘッドライトをつけたとき、車の後ろも赤く光るだろ? あれのことだよ」
「あー。なるほど」
「事故の状況と照らし合わせても、それなら説明がつきそうね」と森さんも納得したようだった
「本当にブレーキランプかと思った」と星原さんがどこかほっとしたように言う。「でもそうか、テールランプか」
「まだ、そうと決まったわけではないけど。このバスの車体がブレーキペダルを踏んだ時、どこが光るようになっているのかを調べなくてはいけない」
「調べましょう」と森さんが即答した。「まずはこのバスの車種の特定しなくちゃね」
しかしそれは思ったよりも難航した。
「だめだ。こっちの新聞にも載っていない」糸山は椅子の背もたれに背中を押し付けながら伸びをした。
「ネットにも書いていない。憶測は色々と出ているけど、どれも本当かどうかわからない」と星原さんが言う。
「まいったな」
大手三紙にもネットにも載っていないとなると、八方塞がりだ。
だがそれを調べているうちに、事故の報道の変遷がよくわかってきた。
事故の映像を国交省が公開したのは、事故当日から五日経った一月二十日のことだった。映像が登場した当初は、新聞やテレビなどのマスコミも、ブレーキの異常を疑ったが、その翌日に警察が「ブレーキの異常なし」を伝えると、その疑いをすぐに引っ込めた。警察はバスツアー運行会社ティー・ピーツアーの社長と運航管理者を業務上過失致死傷で書類送検している。
それからの報道は運転手の運転技術やバス会社の杜撰な運行管理を叱責する内容一辺倒となった。世論でその見方が定着するのにもさして時間はかからず、ネット上では運転手をどれだけ口汚く罵れるか、ツアー会社であるティー・ピーツアーの管理体制の粗をどれだけ論うことができるかの競争が始まった。
「多くのお客さんは、わかりやすい犯人を罵る情報を欲しがっているのかな」と森さんが小さく声を漏らした。
お客さん、か。ちょうど糸山の開いていた新陽新聞に全面広告が出ていたので、僕はそれを話題に上らせた。
「糸山の今開いているページのその広告、いくらくらいすると思う?」
「この障がい者のアイスホッケーチームの活動を応援していますって光岸商事の広告? さあ、いくらするのかな。五百万円くらい?」
「全国紙の朝刊の場合、全十五段、一ページまるまる使った広告費は、大体二千万円から五千万円くらいするんだ」
「たっか!」
「それに比べて、新聞を買って読んでくれている読者ひとりあたりからは百五十円しか貰っていない。新聞社の経営層がどちらをお客様と考えているのか、金額を知れば一目瞭然だろう」
「読者のことを広告を見せる相手くらいにしか思えなくなっちゃうのかもな」
この前森さんから説教を食らった一件が思い出される。読者よりも、僕は新聞部のスポンサーである大学に対して媚び諂うような記事を書いてしまった。苦い過去だ。
「そう言えば佐倉の憧れの記者さんの記事は読めないの?」と森さんが話を振ってきた。
「ああ、柿田さんは望遠新聞なんだ。読む?」
「佐倉くん、望遠新聞の縮尺版はこの図書館の開架にはなかったみたいよ」と星原さんが指摘した。
「ああ、大丈夫。柿田さんの記事は自分のスマホにPDFで持っているから」
僕はスマートフォンを取り出し、柿田さんが新聞記者時代に最後に書いた当該記事を開いた。
「二十二日の朝刊だ」
柿田さんの記事は僕がこの前みんなに言った通りの内容で、事故の記事を取り扱っている社会面ではなく、一面のコラムで書かれたものだった。
そこには事故の原因を早々に決めつけるべきではないこと。予断を多く含んだ解釈を身勝手に付け加えないこと。また、決め付けた事故原因で世論を操作してしまう危険性などにも警鐘を鳴らしていた。そして事故後の車体検証が、長野県上田市にある自動車メーカーの支店で行われていたことについても触れられていた。
「検証を、メーカーで?」
僕はその記事とそれに添えられたモノクロ写真を睨んだ。こんな情報、他のどこにも書いていなかった。
「どう言うこと?」と糸山が説明を求める。
僕はみんなにその記事を読んでもらうため、記事を表示したスマートフォンをテーブルの真ん中に置いた。
「事故を起こした車を、それを作ったメーカーが調べたって言うことだ」
「それっておかしくない?」と森さんが言った。「フェアな答えを出せなくなるでしょ」
「ひょっとするとこれが糸口になるかもしれない」と僕は言った。「どこのメーカーか調べよう」
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