106.守るべきもの
「どうすりゃいい。どうすれば……」
ついこんなことを口走ってしまうほど、状況は悪くなっていく一方だった。
バニルは『ウェイカーズ』が来てからずっと押されているように見えるし、俺はボロボロの状態で肩すら上がらない。
スピカは倒れ、ルシアは右腕を損傷していて、今は服の一部を切って包帯代わりにしてるものの顔色がかなり優れない。さらにミルウは足を挫いてるし……って、彼女のほうを見て俺は唖然とした。
「み、ミルウ……? 何やって――」
「――セクトお兄ちゃんも手伝って! 早く隠れなきゃっ……」
「……」
ミルウは、真剣な顔で地面を両手で掘り返していた。
「早く穴を完成させて隠れなきゃ! よいしょ、よいしょ……」
「……お、おいおい、ミルウ……」
一瞬冗談かと思ったが、違う。彼女は一心不乱に土を掘り起こしている。なんで、こんな……。
「止めても無駄だと思うわ、セクト」
「……ルシア?」
いつもの、はきはきした夢想症のルシアだ。そんな彼女がミルウに突っ込まないなんて、やはりおかしい。
「この子、未熟症なのよ」
「……未熟症?」
「うん。体が成長しなくなる病気よ。それが未熟症……。治ることはないけど、寿命が縮むとか病に弱くなるとか、そういうのは心配しなくていいみたい。でも、極稀に症状が悪化してこうなるのよ。この子がああなるのをあたしが見るのは、これが二回目ね……」
「……ど、どうなるんだ?」
「見ての通り、心が不安定になって隠れられる場所を探すだけだし、好きにさせてあげるといいわ。安心したら……引きこもれる場所ができたら、徐々に落ち着いてきて元のミルウに戻るしね。ったく、こんな大事なときに発症なんかするんじゃないわよ……」
「よいしょ、よいしょお……」
「……」
ミルウは、俺たちの会話がまるで耳に入らない様子で穴を掘り続けている。一体彼女に何があったというんだ……。
「この子にはね、大好きなお兄さんがいたのよ。セクトみたいな、優しい冒険者のお兄さんが……」
「ミルウに冒険者の兄がいたのか……」
「うん。でもあるときダンジョンで右手を失ってから、家に閉じこもるようになって……一変しちゃったんだって」
「一変?」
「うん。いつも笑顔でよく会話してたのに、まるで喋らなくなって、目は虚ろになって別人みたいになったってミルウは言ってた……。右手を失ったこともそうだけど、それよりずっと一緒だった仲間たちにパーティーを追い出されたことが辛くてそうなったんだろうなって」
「……そうか」
なんか俺もその兄の気持ちがよくわかる気がする。身体的にも精神的にも相当なダメージがあったんだろう……。
「お兄さんはどんどん病んできて、家で暴れるようになって、ミルウは――」
「――それ以上はミルウが言うもん」
「……ミ、ミルウ……」
「ミルウ、あんたねえ、大人しく穴でも掘ってなさいよ!」
「もう充分掘ったもん……」
「……」
確かに、既にぽっかりと地面には穴が開いていて、ミルウの体がすっぽりと収まっている。彼女の体が小さいこともあってすぐ完成したってわけだ。
「じゃあ、任せるわよ! ちゃんと話しなさいよね!」
「うん! ……ルシア、ありがとう。大好きっ……」
「い、いいのよ! お礼なんてっ! あたしだって……あんたのこと大好きだし……!」
明後日のほうを向いたルシアも恥ずかしそうに顔が上気してるし、今にも穴に入りたそうだな。
「お兄ちゃん、とっても辛かったんだと思う。ミルウ、止めようって思ったけど、怖くて……。しばらくして、部屋から乱暴な音がしなくなって、もしかしたら落ち着いたのかもって、それでお兄ちゃんの様子を見に行ったら……剣をお腹に刺した状態で泣きながら壁に凭れて座ってて……痛いよ、苦しいよって……」
ミルウの頬に涙が伝うが、それでも彼女は喋り続けた。
「ミルウ、お腹の剣を抜こうとしたけど、中々抜けなくて……気が付いたら、お兄ちゃん動かなくなってて……えぐっ……」
しばらくして、ミルウの声は声にならなくなった。もうこの辺でいいだろう。
「……頑張ったな、偉いぞミルウ」
「……うんっ。ありがとう、セクトお兄ちゃん。大好き……」
ミルウは泣きながら笑った。そこから彼女の成長は止まってしまったということか。彼女の固有能力は【着脱】。何かで自分を覆いたい、だけど自分の殻を破りたい……そんな思いが込められているのかもしれない……。
気付くと、ミルウはルシアの膝の上で眠っていた。その横には穴が開いたままだ。
「もうっ……ミルウったら、地面に穴を開けたまま放置してたら罰が当たっちゃうんだからっ!」
「……」
そう言いつつも、ルシアは涙ぐんでいたし、とても優しい表情を浮かべていた。
やがて、ミルウの安らかな顔に引き摺られたのか彼女自身も眠りに落ちたようだった。俺は守らなきゃいけないな。この光景を、みんなの日常を……なんとしても守らなきゃいけない。狂戦士症でボロボロになっていたはずの体が熱くなってきて、全身に力が行き渡るかのようだった。
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