108.感情の矛先


「また失敗したのかあぁぁ。こんのクソザコがぁあ……」


「ぐげっ! がはあぁっ……!」


 幾つものシャンデリアが傲然と見下ろす、テーブルが所狭しと並ぶ大部屋――古城の宴会場――にて、脚が折れた椅子とともにルベックの体が床を転がる。


「グ、グレス様、そろそろルベックを許してやってくだ――」


「――ラキルぅぅ、俺に指図するなあぁぁ……」


「ごはっ!?」


 グレスの派生スキル《神授眼》によって動けなくなったラキル。腹に膝蹴りを受け、目を見開きながらうずくまった。


「……プ、プククッ……クプッ、クプゥ……!」


 そんな険悪な様相に対し、テーブルの下に隠れたオランドが目を見開いたまま、口を押さえて必死に笑いを噛み殺していた。


「――……はぁ、はぁぁ……」


「「げほっ、ごほっ……」」


 グレスの荒い呼吸音と、ラキル、ルベックの苦しそうに咳き込む音だけがしばらく響き渡る。


「……可哀想ですうぅ……」


 テーブルに座り、自分の下着に手を突っ込んで恍惚の表情を浮かべるカチュア。


「カチュアぁ、こんの好きものがあぁ……」


「もぉ、グレス様が私を目覚めさせるのがいけないんですよぉぉ……」


「ひひっ……俺に口調まで似てきたなあぁぁ……」


 グレスはしばし満足そうに笑っていたが、急に顔をしかめたことで周囲に緊張が走る。


「さぁて……カチュア以外のクソどもぉ、よく聞けえぇ……。俺は言ったはずだぁ。二度目はないとおぉ。これで何度目の失敗だあぁぁ……?」


「……けほっ……も、申し訳ありません、グレス様、次は必ず……」


 ラキルはまだ何か言おうとしていたが、グレスがおぞましい笑顔を近付けたことで制した。


「……お、お許しを……」


「……もういいぃ。今度は俺がやるうぅぅ……」


「わー、とうとうグレス様が出陣なさるのですねぇ」


「ひひっ、そういうことだ、カチュアぁ……。ゴミセクトはこっちのやることを読んでいるようだったぁ。それなら読ませないようにしてやればいいぃ……」


「さすがグレス様ぁ……んっ……」


 グレスと唇を重ねるカチュア。その足元では、オランドが二人の靴をうっとりとした顔でひたすら舐めていた。


「レロレロレロレロッ……ククッ……セクト……必ずお前に思い知らせてやる……。俺の靴を、こうしてお前の舌で隅々まで綺麗にさせてやる……クカカッ……ゴバッ!?」


 咄嗟にゾンビ化したオランドの勘が当たり、腐った体がテーブルごと左右に分かれた。


「……こ……殺す殺す殺す、殺す、殺す殺す……」


「……ル、ルベック……」


 ラキルは、嵐渦剣を震わせるルベックの肩に触れるどころか、近づくことさえもできなかった。全身から湯気のように溢れ返ったルベックの殺気が、標的を求めて彷徨っているのが見えたからだった。






 ダメだ。俺の目の前でバニルが殺されるなんて、そんなこと絶対にあってはいけない……。


 彼女を助けられるなら、俺の命なんて今すぐ投げ捨ててもかまわない。死を覚悟して再び封印のペンダントを外そうとしたとき、俺は信じられないものを目撃した。今まさに倒れ込もうとしているバニルの前に、一人の少女が庇うように立ち塞がったのだ。


 メイド……いや、騎士というべきか。それほどまでに凛々しく、悠然とした見事な佇まいだった。


「スピカ……」


「セクトさん、あとはわたくしにお任せくださいっ」


 信じられない。さっきまで倒れていたのに、起きたと思ったらボスと互角に渡り合ってるだなんて……。


「スピカ、無理をしたら――」


 俺は口から出かかった言葉を飲み込んだ。無理をしたらいけないなんて、この状況ではあまりにも無責任な言葉。これを言っていいのは、今みんなを守れる力のあるやつだけだ。


「セクト、スピカなら大丈夫だよ」


「バニル?」


「彼女は、本当に強いから……」


「バニルもな」


「ううん。私は幼い頃に姉さんに鍛えられただけであとはろくに努力もしてないし、スピカは私なんかよりよっぽど強いよ。謙遜とかじゃなく……」


「どうしたんだよ、バニル。努力とかしなくていいのは、派生スキルの《補正》があるからだろ?」


「……違うの」


「……バ、バニル……?」


 彼女は目元に涙を浮かべていた。


「……ごめん……。泣いてる場合じゃないのに……」


「……いや、バニルは今まで滅茶苦茶頑張ってたんだし、充分泣く権利はあるよ。何かわけがあるんだろ? 努力ができない事情とかさ……」


「……」


 図星だったのか、バニルが少し驚いたような顔をした。ボスと戦っているとき、あれだけ凄かったのに急な劣化の仕方、焦っていたにせよ酷すぎた。今までにもおかしいと感じることはあったし、そこには絶対に何かほかに原因があるはずなんだ。


「バニル、よかったら話してくれ。知りたいんだ」


「……でも、こんなときに……」


「バニル……俺たちはスピカが頑張ってる間に休むことしかできない。でも、話してくれるならその悔しさを紛らわせることだってお互いにできるじゃないか……」


「……うん」


 俺だけじゃない。ルシア、スピカ、ミルウ……みんな病気を抱えていたし、バニルがそうだとしても全然驚かない。さあ、次は彼女が心の重みを取り払う番だ。たとえ話すことで一切拭えなかったとしても、光にさらすことで彼女の気持ちが少しでも楽になれると信じたかった。

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