72.理想と現実


「ルシアはだって……?」


「うん……」


 狂戦士症は知っていたが、夢想症っていうのは初めて聞く症例だ。そっち系の分野の学者とかならすぐわかるんだろうけど……。


「マイナーな病気だからね。狂戦士症みたいに滅法強くなるとかじゃないし……」


「発症したらどうなるんだ?」


 俺はルシアの様子を窺いつつバニルに訊ねる。


「……」


 彼女はやはり無表情で、うつむき加減にとぼとぼと歩いていた。


「今までセクトが接してきたみたいになるよ」


「……え? まさか、あの元気だった姿みたいに?」


「うん」


「……あれが、発症した姿……」


 ルシアとの思い出が次々と脳裏をよぎる。初めて会った日のこと、狼から助けてくれて、ギルドまで俺を連れて行ってくれたこと、湖のほとりでキスしたこと……あれが夢想症によるものの姿だったなんて……。


「あのね、別人になっちゃうわけじゃないの。ルシアには暗い過去があって、元々大人しかったのにさらに口数が少なくなっちゃったんだって。でも心の中じゃ普通の女の子でありたいっていうのがあって……現状と理想の姿があまりにも乖離すると発症するみたい。だからこれが本来の姿」


「……そうか。簡単に言うと二重人格みたいなもんかな。でも、なんでここに来て急に……」


 今まではそんな様子なんて一切見られなかったのに。


「前もそうだったし、ダンジョンに入ったことで心が不安定になったからだと思う」


「じゃあ、ここから帰還するまではずっとこんな状態?」


「……わからないけど、落ち着いた頃には発症していつもの元気なルシアに戻ると思うよ」


「え、落ち着いたら発症して元気な姿に? 普通逆じゃないか?」


「病っていっても、ルシアがこうありたいっていう理想の姿だから、彼女からしてみたら病気の姿のほうが真の姿なんだと思うの」


「……なるほど」


 彼女の固有能力は【傀儡】だっけか。彼女は自分の心すらも操って理想の自分になっていたというわけだ。バニルの言う通り、ダンジョンに入ることで心が不安定になり自身を操るのが難しくなっちゃったんだろうな。この病は彼女が望んだことだし、病気というより術なんだと思う。夢想術だ。そう考えると、俺も狂うことで現実逃避しようとしてたのかもしれないし、狂戦士術といえるのかもしれない。


「……ごめん……ね。セクト……」


 虚ろな顔のルシアの頬に一筋の雫が伝っていた。


「どうして謝るんだよ、ルシア。しょうがないじゃないか」


「……だって、黙って……いた、から……」


「辛い過去でそうなったんなら仕方ないだろ?」


「……うん……。あの……私、ね……昔――」


「――ルシア、無理しないで。それ以上は私が話すから」


「……あり、がと……」


「……」


 まだ慣れてないせいか、こっちのルシアのほうが病気の姿に見えてしまう。


「ルシアには優しい冒険者の父親がいて、普通の家庭だったんだけど……あるときダンジョンで亡くなっちゃって、義理のお父さんが来てからは地獄だったんだって。毎日暴力を受けて……ある日犯されそうになって逃げ出して……それからも凄く苦労したみたい。自分が普通だと思ってたのに急にそうじゃなくなったんだから病んじゃうのもしょうがないよ……」


「なるほどな……」


 バニルがルシアの涙を指で拭う姿を見ながら、俺はぼんやりと考えていた。


 もしかしたら、ルシアは狂戦士症の俺にを持っていたのかもしれない。夢想症で理想の自分を操っていたとはいえ、彼女は俺のことを嫌がる素振りなんて一切なかった。素直に……いやそれ以上に親身になって接してくれた。だから今度は俺の番だ。これからは俺が彼女を支えてあげないといけない。


「セクト、そんなに思いつめた顔をしなくても大丈夫だよ。昔の大人しかったルシアに戻るだけで、こうなっても害とかないんだから……」


「……うん。ルシア、これからもよろしくな」


「……よろ、しく……」


 ルシアがほんのりと薄く笑ったような気がした。思考まで変わるわけじゃないし、なんかこういうのも可愛い気がしてきた。


「……でも……がっかり、したでしょ……」


「……いやいや、あれだよ。一粒で二度美味しいじゃないか」


 俺は自分で言って少し恥ずかしくなったが、後悔はしてない。お世辞とかじゃなくて本音だからな。正直、ルシアの強引さにはうんざりするところもあったし、たまにはこういう大人しい面もあったほうがいい。


「……バカ……」


 表情は変わらないが、ルシアのその一言には色んな感情が凝縮されているように感じた。


「もぉ、セクトさん……ルシアさんはキャンディじゃありませんよぉ?」


「……」


 やや怒った様子のスピカ。妙なところに不機嫌になるポイントがあるようだ。


「……あふぅ。ミルウ、キャンディ舐めたいよぉ……」


 ミルウが物欲しげに指を咥えている。一体何歳なんだと。それにしても、モンスターが全然出てこないってのもあるが、ここがダンジョンであることを一瞬忘れそうになるくらい緊張感のない会話だった。この様子なら、ルシアが夢想術を使えるようになるのも時間の問題かもな。

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