95.破壊するもの


「――ゴクッゴクッ……プハーッ!」


 水位が急激に下がり、すっかり様相が変化したアルテリス湖を一望できる場所――甲板のような構造の冒険者ギルド屋上――にて、亜麻色の長髪を夜風にさらわれながら豪快に酒を飲み干す男がいた。


「やっぱダンジョン帰りの酒はたまんねえぜ……!」


「あらあら、ベリテス様っ。ここにおりますということは、もう蒼の古城第二層を攻略なされたのですね。さすがです……」


「おっ!」


 銀色のポニーテールを揺らしつつ、ドレスの裾を軽く持ち上げながら彼に駆け寄った小柄な人物は、普段ギルドの受付嬢として活動している女性であった。


「シャロン、今日は休みか? こっちのほうは相変わらず男たちの理性を破壊するために活動中みてえだが……」


 ベリテスの顔は凛々しかったが、左手は受付嬢シャロンの豊かな胸を掴んでいた。


「はいっ。お休みですが、胸はこうして元気にしておりますよー」


「こんなに魅力的なおっぱいしてんのに、普段はカウンターで隠れてるのが惜しいな!」


「私の背が低いですから仕方ありませんよお。あの……お触り料として、2000ゴーストいただきましたっ」


「ぬあっ!? ……お、俺のへそくりがあぁ……」


 いつの間にかシャロンに懐から硬貨を抜かれてしょげ込むベリテス。


 彼女の固有能力は【空白】であり、基本スキルはCランクの《隙間》。自分が触れた、または触れられた相手を隙だらけにすることができる。効果時間中は体をいくらまさぐられても気付くことができない。ベリテスは会話中にこのスキルを使用され、まんまと金を盗まれたというわけである。


「ベリテス様の手が悪いのですね。この左手がっ……」


「あ、ああ……。右手がいた頃は大人しかったのによお。おかしいよなあ……」


「うふふっ……。ところで、セクト様は元気にしていらっしゃいますです?」


「おう、もちろん。まさかお前、あいつのこと気に入ったのか?」


「ほ、ほんの少しですけどね……」


「シャロンのほんの少しはどでかいんだよなあ。このおっぱいみてえに……」


「まあっ。お上手ですこと。ホホッ……。私はですねー、あれくらいウブな子が好みなのです……」


「かははっ。セクトのやつモテモテだな……。でも今あいつはダンジョンに行ってるし、帰ってくるまでに俺と一晩どうだ?」


「残念ながら私はですねー、若くて純情な子がタイプなのですっ。ベリテス様なら、一晩で1万ゴーストいただきますですっ……」


「た、たけえ……。そんなに若いやつが好きなら、髭も伸びてきたし全剃りしてツルツルにしちまおうかなぁ。それで少しは俺の見た目も青くなるぜ!」


「うふふっ……あっ、そうでした。実はベリテス様に大事なお話が……」


 急に表情を曇らせるシャロン。


「お、なんだ? 夜が寂しいなら、たまには――」


「――違いますっ。あの……『グリーンキャッスル』の方々が、とても気になることを話していまして……」


「……ん、あぁ。俺たちのパーティーのことをインブルとかセンスのねぇ略し方してくるグリーンの連中か。あいつらがどうかしたっていうのか?」


「それが……」


 シャロンは不安そうに周りを気にしつつ、ベリテスに顔を近付ける。


「……例のパーティーブレイカーが、ベリテス様のパーティーにいるかもしれないとか……」


「な、なんだって……?」


 ベリテスの左手から酒瓶が滑り落ち、派手に割れる音が響く。


 シャロンが小声で話したパーティーブレイカーという言葉にはそれだけのインパクトがあったからだ。達成率100%という数字が物語るように、あらゆるパーティーを内部から破壊しつくしてきた凶悪犯だ。


 狙ったパーティーは全て皆殺しにしてきたとされる恐るべき強者であり、屈指の強さを誇る教会兵に目をつけられているものの、彼らですら未だに正体をまったく把握できていないという、謎のベールに覆われた人物でもあった。


「ちょ、ちょっと待ってくれシャロン。なんでそいつがうちにいたってわかったのよ?」


「『グリーンキャッスル』に所属していらっしゃるクロード様がその被害者の方のご子息だったみたいで……」


「ま、まさか、そいつが実際に目撃したってわけかよ……?」


「……えっとですね……被害に遭われたご尊父のパーティーの宿舎に、まだ幼かったクロード様が怒られないようにとこっそり見学に行かれたことがあったみたいで、窓から覗いた際に奇妙な空気を感じられたとかで……」


「奇妙な空気……?」


「はい……。未だに忘れられないそうです。すぐ近くから悪魔に顔を覗き込まれたようなおぞましい感覚で、それと同じような空気をベリテス様のパーティーを見たときに感じられたそうです。レギュラー組と補欠組の方々が食事会でここに集まっていらっしゃるときに……」


「食事会……セクトが入ってくるよりかなり前だな。しかしなんで今更……」


「それが……トラウマになってて、仇を取りたいっていうより関わりたくないから黙っていたとか。あくまでも気のせいだって思いたかったけど、やっぱり言わなきゃって……」


「……父親を殺されてるってのに、か。相当な恐怖を植え付けられちまったってことだな。で、そいつが誰なのかわかるのか?」


「……いえ。誰なのか確認しようとしたら、怪しまれたのかもう何も感じなくなってしまったそうです……」


 シャロンの声は震え、目元には涙が浮かんでいた。


「……よく話してくれた、シャロン。怖かっただろう」


「はい……とても……」


「無理もねえ……。パーティーブレイカーのせいで何人もの冒険者が教会兵によって冤罪で処刑されたが、やつはそのたびに嘲笑うように犯行を繰り返してきたからな。ただ、雰囲気だけならクロードってやつの気のせいかもしれねえし、そうであることを祈るだけだが……もし本当にやつが近くにいるのなら、この先大変なことになるぞ……」


 ベリテスの尖った視線は、湖の中央にある女神像へと向けられていた。

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