43.もう一つの意味


 さて、そろそろ行くか……。


 翌日、夜の刻から朝の刻に切り替わって早々に俺は宿舎を発つことになったわけだが、見送りはなかった。


 それでも全然寂しくはない。これは昨日から決められていたことだからな。カルバネたちの動向も気になるし、なるべく目立たないようにするために。


「……」


 もういくら振り返っても、ここからバニルたちと過ごした宿舎は見えない。食べ物や水筒、テントの材料等を入れたリュックを背負い、俺はただ前だけを見据えることにする。


 一応、武器――短剣と長剣――も持参してるが、いざというときに使えるかどうかはわからない。怪我の具合がかなり酷くて、短剣ですらまともに振り回すことができそうにないしな。


 もし今の状態で狂戦士症を利用すれば、二度と動けない体になるかもしれないと言われているので当然使えないし……。ただ、現地で例の薬草を少し食べるだけでも即座に治癒の効果が現れるらしいから、それで武器や狂戦士症が使用できるようになる可能性に賭けることにしたんだ。


「――お……」


 やがて木々の合間から輝く水面が自己主張し始めた。


 例の湖だ。それによって空がかなり明るくなってきたのがわかる。石板で確認するとまだ朝の刻だったが、昼の刻に切り替わるのも時間の問題だろう。なのに先に進むたびにまた薄暗くなってきているのは、それだけ自分の足が森のさらに奥へと近付いているからだ。以前アデロたちに騙されて水を汲みに行ったあの場所へと……。


 そのせいか、まだ朧気ではあるが嫌な気配を感じるようになった。それは明らかに人間のものではない。おそらく……狼だろう。俺のことがわかるのか殺気染みたものを感じる。人間よ、早く俺たちのテリトリーに来い。今度こそお前を仕留めてやる……そんな気概を感じる。足が竦みそうになるが、今更戻れない。


『いいか、セクト、。俺の言いたいことはわかるな? 今のお前にはそれができるはずだ』


 出発直前、宿舎でベリテスに欠伸しながら言われた台詞を思い出す。


 逃げろというのは、おそらくそのままの意味じゃなくて回避しろってことなんだと思うが、それ以外にも意味がありそうだと感じた。それがなんなのかはまだわからないが、こうして修行の旅に出る以上、自分で導き出さなければならない答えであることだけは理解できた。


 しばらくして森の中に迷い込んでいた光が弱まり、石板が夕の刻を示した頃、俺はテントを張っていた。心底安心して休息……とまではいかなくても、ある程度ゆっくり寝られるのはここまでだろうから、今日くらいはしっかり休んでおかないといけない。


 すっかり周囲も暗くなってきて、俺は焚き木の前で時間をかけて干し肉を細かく噛み砕き、水で胃の中に流し込んでからテントで横になる。


「――うーん……」


 やはりすぐには眠れない。


 その上、歩いてるときにはあまり出てこなかった弱気の虫が頭をもたげてくる。狼峠での薬草採取は、お使い系の依頼の中ではトップクラスの難易度のCランクだが、なんとか成功した中級者パーティーの間ではもっとランクを上げるべきだと揃って言われているほどの難関らしい。


 そこそこの腕を持つ冒険者でも一人で行くのはためらうと言われてるような危険な場所から、初心者――F級冒険者――の俺が生きて帰るなんてことが本当にできるんだろうか?


 ラピッドウルフ――狼峠に主に生息する狼たち――は普通の狼ではない。巨体ではなく、むしろ小柄だ。しかしその俊敏性と攻撃性は桁違いであり、ボーンコレクターと呼ばれるほどに執着心も強いと言われている。単独ではなく集団で行動することが多く、周囲に潜伏しつつ囮を使って獲物を誘き出すという頭脳もあって、初心者上がりのパーティーが挑んだものの、返り討ちに遭ってあっさり全滅したケースもあるという。


 そう考えると、下手に力を持っている状態で行くよりはいいのかもしれない。弱い分、回避することを優先できるので却って生き延びることができそうだからだ。


「……」


 テントの中で目を瞑って色々と考え事をしてる間に、ようやく意識が朦朧としてきた。


『セクト、今すぐ帰ってくるべきだよ……』


『そうよ、セクト。あんたにはこんなの無理よ!』


『ですです。セクトさん、戻ってらっしゃい♪』


『あふうっ。セクトお兄ちゃん、ミルウも会いたいよお』


「……」


 ぼんやりとしたバニル、ルシア、スピカ、ミルウの面々が浮かんでくる。彼女たちに弄られて悪い気はしないが、一人前の男として見られてるのか不安に思うのも確かなんだ。少しは自分がモテていると思える程度にはたくましくなって帰ってこないとな。


『今を大事にできなきゃ、必ずあとで後悔するだろうよ』


 かつてベリテスから貰った言葉を思い出しながら、俺はゆっくりと意識を底のほうに沈み込ませていった……。

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