34.届かない左手
「おい、どうしたんだよセクト。その慌てよう、まさか本当に逃げるつもりだったんじゃねえだろうな?」
「チキンさんになっちゃいましたか?」
「……臆病者……」
アデロたちに凄まれて距離を詰められていく。どうすれば……どうしたらいいんだ俺は……。
「……きょ、今日は中止にしたいんだ。体の調子が悪くて……うぅ……」
俺は中腰になり、苦しそうに腹を抱えてみせた。下手な芝居でもなんでもいいからなんとかこの場を乗り切るしかない。
「あ!? 寝言言ってんじゃねえぞボケッ!」
「はあ……まったくですよ。ペンダントを外すまでの間、少し我慢したらいいだけでしょうに」
「……完璧に同意……」
「くっ……」
こんな猿芝居じゃダメだったか。
どうしよう? 逃げるのであれば今のうちだな。ワドルたちのいる方向に。このタイミングだとちょうど狭い道で鉢合わせする形にはなるが、あいつらには逃げる俺を追いかけてくるほど戦う意欲なんてないはずだし……。
「おめー、キョロキョロしやがって。やっぱり怖気づいて逃げようってんだな!? でも、そっちに逃げても無駄だぜ!」
「……え?」
「やはり図星でしたか……。間抜けなセクトさんに教えてあげます。実は事前に散々こちらが挑発しておいたんですよ。だから、向こうは人数を揃えてやる気満々であなたの登場を待っているわけです。これで果たして逃げられますかね?」
「……無理無理……」
「そ、そんな……」
「「「ププッ……」」」
アデロ、ピエール、ザッハの笑い声が心を突いてくる。俺はもうどこにも逃げられないってことかよ……。
「セクト、言っとくがこっちも絶対通さねえからな。てめーにできることはただ一つ! 狂戦士症になってやつらを壊滅させることだ!」
「そうしたら少しは見直してあげてもいいですよ? お間抜けさん」
「……ククッ……」
「……」
嫌だ。狂戦士になるわけにはいかない。バニルたちを裏切ることになってしまうからだ。
「おい、早くしろよクソ」
「とっととやってくださいよ、キチガイさん」
「……行け、ゴミ……」
「そ、そこにいるのは、オランド、ラキル、グレス……?」
「「「あぁ?」」」
「あれ……」
まただ。またアデロたちが例の三人と重なって見えた。さらにはルベックやカチュアの姿もぼんやりと見える。
「ぐぐぐっ……」
苦しい……。胸元が今まで以上に強く締め付けられる。呼吸がまともにできない……。
「おい、また仮病かよ! ふざけんなよおめー! 早くしねえとこっちがやべーんだよカス!」
「早くしてくださいよ本当に、もう……!」
「……とっとと行け……」
「う、うぐぐ……ぐぐっ……」
まずい。返事さえまともにできない……。
「おい、カスセクト、聞いてんのか!?」
「キチガイさん?」
「……ゴミ……」
「ぐががぁ……」
だ、ダメだ。やつらが来る。トラウマが止まらない……。
「また性懲りもなく猿芝居かよ。どうやら痛い目に遭いてえようだな! おい、やっちまうぜ、ピエール、ザッハ!」
「承知しました!」
「……任せろ……」
「――ぐがああぁぁっ!」
アデロたちからの暴行で、あの凄惨なリンチ体験と重なって痛みは増幅していくばかりだった。
痛い、苦しい。辛い、怖い。俺は何故こんなにも苦しまなければならない。ルベック、グレス、オランド、ラキル、カチュア……お前たちさえいなければこんなことにはならなかった。憎い。存在そのものが憎い……。
このペンダントさえ外せば……。でもそれだけはダメだ。バニルたちを裏切るわけにはいかない。彼女たちとの思い出がそれをさせなかった。些細な日常の記憶の欠片が、唯一俺の苦しみを忘れさせてくれた。
「行かねえならここで死んじまえ! カスセクト!」
「あの世がお似合いですよ、ゴミクズさん!」
「……くたばれ、無能……!」
「……」
暴行が激しさを増す中、殴られた拍子に視界の片隅で何かが飛ぶのがわかった。煌めくものが、心と一緒に。ダメだ。あれを手放したら、ダメなんだ……。
俺は封印のペンダントに手を伸ばしたが、あと少しのところで届かなかった。
……ん、なんだ? 周りがどんどん暗くなっていく……。
「……お、おいピエール、ザッハ、今こいつのペンダント飛ばなかったか?」
「……え? ちょっと待ってください、アデロさん。それって、つまり……」
「……そんな……」
「……」
あれ、なんだ……? 視界が真っ暗になって何も見えなくなったのに、妙にはっきりと何かが見えるような感覚があった。実にシンプルに、獲物にありつけるような気がしたんだ。
く、駆除して、ににに、肉片にして、やる。
「……おお、ぉ……」
俺は……暴れていい。狂っていいんだ……。
「「「ひいいいぃぃっ!」」」
……やっと本当の自由を取り戻した……。
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