101.希望と自信


「……あ、あんのクソアマァ……」


 ルベックの顔が見る見る赤くなり、嵐渦剣を持つ手が小刻みに震えていた。


「このまま逃すかよ――」


「――待てえぇ、ルベックうぅ……」


「……ぐ、グレス様……?」


「見逃してやれえぇ……」


 謁見の間の奥にある玉座、グレスは自身の膝に乗るカチュアの頭を撫でながら、右の口角をグイッと吊り上げた。


「……へ? 何を言って……。獲物を見逃せと……?」


「あぁん……。そうよ、グレス様ぁ……。ルベックの言う通り、あんな生意気なバカ女、とっとと生きたまま解剖して発狂させちゃえばいいのに……かぷっ……」


「……おおぅ……いい気持ちだぁ、最高だあぁぁ……」


「グ、グレス……いやグレス様、恐縮ですが、正直カチュアの言う通りだろうと俺は思います……。今から追いかけても遅くはねえかなって――」


「――そ、そろそろだぁ。受け止めろおぉぉ、カチュアぁ……!」


「はいっ……うぷっ!? ……けほっ、けほっ……」


「……ふうぅ。満足うぅ……」


「……クソ……いえ、グレス様……」


「……だから待てと言っているだろうクソルベックぅ、次はないぞぉ……」


「……す、すみません……クソッ……。ラキル、お前も何か言えって……。あのバニルとかいうクソアマがよお、俺が手を負傷してたから助かったってだけなのに調子こきやがって……。早くこの手でハラワタ引き摺り出してやりてえんだよ……」


「……ルベック。多分だけど、グレス様には何かお考えがあるんだよ……」


「……はぁ? なんだよそれ……」


「そ、そうなのだ。グレス様が言うからには、何か深い理由が――」


「――だからてめーは黙ってろってんだよ、腐ったみかん!」


「は、はひっ! ぐびぇっ!」


 オランドはゾンビとなった途端ルベックに引き倒され、頭を踏み潰される。


「……おそらくうぅ……あの女がいつでも戻れるというのは本当だろううぅ……。やつの目には希望が見えたぁ。だからまたすぐ会えるし殺せるううぅ……」


「……グ、グレス……様、どうせ殺すのなら、なんでわざわざ先延ばしにするのかと……」


「……ゴミセクトの反応を見るためだぁ。やつのために残ったとするならぁ……一番大事な仲間はあの女だろぉお……? それを目の前でじわじわ甚振ればぁ……ひひっ……天国から地獄うぅ……」


「な、なるほ――ぐえっ!?」


 玉座から下りてきたグレスに《神授眼》で動きを止められ、腹を蹴られて苦悶の表情になるルベック。


「俺にわざわざ言わせるなぁ……。さっさと行くぞぉ、クソザコどもぉ……」






「……まだ、ダメ。ここで泣いちゃダメ……」


 夜更けの大広間にて、バニルは涙ぐみながら必死に走っていた。ここに至るまで、螺旋階段や踊り場で何度も転びそうになりながらも、彼女は倒れずに前へ前へと進んでいたのだ。


「お願い……早く《招集》して……」


 それでもバニルは生きた心地がしなかった。ならず者パーティー『ウェイカーズ』のメンバー全員に囲まれるという、精神がおかしくなりそうな状況で彼女が今まで耐えることができたのは、必ずスピカが自分を呼び戻してくれるという希望があったからだ。


『ウェイカーズ』と接することで、バニルはかつてそこに所属していたセクトの気持ちを今までよりもずっと理解できたような気がした一方、彼らの残虐性を思い知って次第に恐ろしくなっていったのだが、それでも自分を失うことはなかった。


 自分はこの苦境から必ず脱出できると信じていたからだ。彼女は、自分を信じる心だけはなくしちゃいけないということを幼い頃に姉から教わっていた。自信のない者は卑屈になり、他人も信じることができないから希望すら持てなくなるのだと……。


 ただ、時間があまり残されていないことにバニルは気付き始めていた。頑張りすぎたことで、いずれ自身の中で重大な災いが生じてしまうことを重々理解していたのだ。それをなるべく遅らせるためにも、彼女は走り続けるだけでなく時折ゆっくりと歩く必要があった。


「これだけ時間がかかるなんて……きっと……スピカに何かあったんだ。無事だといいけど……」


 バニルは最悪の事態も想定し、《招集》を待つだけでなく、自分の足でセクトたちを見つけようとも考えていた。セクトには及ばずとも、小さい頃から剣術を学んできたため、気配を察知する能力も養われてBランクまで到達していたからである。


「――こ、この気配は……」


 その高い気配察知能力が思わぬところで役立つことになり、バニルは立ち止まった。


「……なんで一人、なの……」


 大広間の脇からどこかの部屋へと続く通路前で彼女が感じた気配、それは紛れもなくカルバネのものであった。剣を握る手に力が入るバニルだったが、カルバネのほうに近付くにつれてその気配が弱まっていることや、床に点在する血痕に気付く。


「――カ、カルバネ……!?」


 大きな扉の向こう側――礼拝堂――の中央で、カルバネは仰向けに倒れていた。バニルが血相を変えて駆け寄るが彼は血だまりの中にいて、まだ息はあったものの誰が見ても手遅れの状態であった……。

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