第61話 対決の行方

 大好きなミヤムララベンダーの怪我やその他成績のことで、ダウナーモードだった美里が、ヴィットマンの天皇賞(春)での好走により、ようやく元気を取り戻した後。


「やっぱ勝てないかあ」

 執務室で圭介が嘆きの声を発していた。


 手元には、ラジオがあり、そこから流れて来る実況中継に耳を傾けていた。


 それは「パンツ」ことコヤストツゲキオーの戦いであり、4歳の彼はオープンクラスに上がったものの苦戦中だった。


 さらに前の年にデビューした「閣下」ことグデーリアンも、大仰な名前の割には活躍せず、ヴィットマンも重賞には出ていたが、なかなか勝てずにいた。

 ミヤムララベンダーは、怪我で休養中で、ミヤムラジョオウも苦戦中。ミヤムラシャチョウとミヤムラオジョウに至っては、もはや「上がり目」がなく、引退も考えていいくらい勝てていなかった。


 そんな彼を叱咤激励したのは、元気が戻ってきた、相棒の美里だった。

「情けない声出さないの。圭介、次のセレクトセール、行くわよ」

「ええっ。めんどい」


「めんどいじゃない。行くの」

 元気になったのはいいが、そんな彼女に尻を叩かれるような気分で、圭介は渋々参加するのだった。


 同年7月。

 セレクトセール。


 もはや何度目の参加かわからないくらいだったが、この年の1番人気は、パーシングという馬で、現役時代にGⅠを6勝もしており、生涯獲得賞金が軽く10億円を超えていた。


 さらに、血統的にも父がリーディングサイアー1位の種牡馬、母父ははちちもGⅠ5勝の名馬中の名馬だった。


 そのパーシングとリットリオという繁殖牝馬の間に産まれた仔、リットリオの2005が、ダントツの1番人気だった。


「よし、今年は少し余裕があるから、あれを狙うわよ」

 オーナーブリーダーの圭介より、乗り気の美里が、会場に着いて早々に宣言したが。


「えー。無理じゃん。2500万円からスタートだぞ」

 配られた参加馬一覧のパンフレットを見て、圭介は浮かない表情をしていた。


 だが、いつものように着いてきた相馬は、

「いえ、これは名馬中の名馬の仔です。狙ってみる価値はあります。上手く入手できれば、我が牧場のエースになります」

 と、美里同様に乗り気の様子だった。


 仕方がないから、圭介は、

「ある程度まで言ったら降りろよ。金がない」

 とだけ美里に告げ、彼女は頷く。


 そして、憎たらしい男がやって来た。

「話は聞いたぞ。弱小ファームがパーシングの仔を狙うとはな。破産覚悟か。笑わせてくれる」

 もちろん、山寺久志だった。


「山寺さん」

「あら、盗み聞きとはいい趣味じゃないですね。勝負はやってみないとわかりませんよ」

 まるで「売り言葉に買い言葉」状態で、煽る美里に、山寺は、


「吠えづらかくなよ」

 捨て台詞を残して、去って行った。


「ふん。生意気な」

 吠える美里をなだめて、圭介は仲間をセリが行われる会場へ導く。


 そして、その注目のセリが始まった。

「では、リットリオの2005、入ります」

 蝶ネクタイをした、黒スーツの司会者がマイクを取る。


「3000万円!」

「5000万円!」

 たちまち値段が吊り上がっていく。


 ヴィットマンの活躍で、すでに資産が1億円どころか2億5000万円以上はあった子安ファームだが、それでも圭介は焦り出す。


 何しろ、

「8000万円!」

 あの山寺が得意げに吠えたからだ。


 それを見ていた美里が、すかさず、

「1億円!」

 と、叫んでいたから、さすがに圭介は彼女の右手の袖を取り、


「おい、美里。無理だ」

 と、慌てて止めた。


「何で止めるのよ。悔しいじゃない」

「気持ちはわかるが、これ以上は無理だ」

 事実、2億5000万円以上あったとしても1億円以上になると、残金とこれから先の経営を考えると厳しいことは誰でもわかる。


 2人が揉めている間に、

「1億2000万円!」

 さらに別の馬主が叫び、


「1億5000万円!」

 山寺も吠えていた。


「くそっ。ここまで来て……」

「姐さん。ここは撤退するしかありませんぜ」

 ついに相馬にまで言われ、美里は渋々ながらも、手を引っ込めた。


 結局、

「では、山寺牧場さん、2億5000万円で落札です」

 資金力が勝負の決め手となり、あっさりと山寺久志が落札していた。


 当然ながら、終わった後、

「ふははは。バカな連中だ。この山寺久志の資金力にかなうものか。身の程知らずどもめ」

 と、勝ち誇ったドヤ顔を見せてきたのは山寺で、美里は悔しがって、顔を歪めていた。


 だが、その一方で。

「おおっ!」

 という歓声がセリ会場で上がっていた。


 モニターを見ると、次のセリで、長沢牧場が、

「5億円」

 という破格の金額で落札していた。


 それは、パーシングとリットリオの仔ほど注目されていなかったが、同じように評価が高いとされていた、ハリファクスという名前の牡馬の仔だった。このハリファクスも現役時代にGⅠを4勝していた。


 山寺を越える資金力に物を言わせた、長沢春子が遠くでほくそ笑んでいた。


 こうして、この年のセレクトセールは、ほとんど無駄足に終わることになるが、逆を言うと、資金力を温存することが出来たとも言える。


 そして、長く暗いトンネルを通ってきた、彼ら子安ファームに、ようやく明るい兆しが現れようとしていた。

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