第83話 歴史を創る女傑、そして強運の行方

 もちろん相手は、緒方マリヤだったが、例によって、口取り式に参加するため、後回しにして、圭介は口取り式に参加。


 その後、都スポーツの石田を始め、各種マスコミ、新聞社からのインタビューが引っ切り無しに続き、気が付けば、1時間近くも拘束されていた。


 やがて、疲れた顔で、彼は喫煙室に向かう。


 緒方マリヤは、退屈そうに、喫煙室の灰皿付近にしゃがんでいた。

 今回は、仕事だったらしく、いつものようなフリフリの赤いチェック柄のスカートを履いて、上は半袖の上にジャケットを羽織っていた。


「よう」

「よう、じゃないわよ。遅いわね」

 イラついたように、圭介を睨む彼女だったが。


「仕方ないじゃないか。ミヤムラジョケツは牝馬の歴史を更新したんだぞ。マジで凄い馬だ。まさかここまでになるとは思わなかった」

「まあ、そうね。牝馬で、しかもまだ4歳で制覇しちゃうなんてね。一体、どんな育て方したのよ」

 さすがに彼女は、驚いたようで、タバコを口に含んで、紫煙を上げながらも薄っすらと笑みを浮かべていた。


「さあな。ただ、彼女には元々、ダートの血が入っていたからな」

 圭介は、彼女の父や、その前の血統も含めて、説明していた。最も、ほとんどが相馬の受け売りだったが。


「ただ、残念ながら、しばらく東京では勝てそうにないぞ、緒方」

 そう呼び捨てにして、圭介が語ったことに対し、彼女は怪訝な表情で答える。


「何でよ?」

「これは俺の予想だがな。しばらくウチの馬で、東京で勝てそうな馬はいない。恐らく次は中山競馬場だろう」


「ふーん。まあ、別にいいけど」

「いいのか?」


「いいわ。ミヤムラジョオウもまだ地方でがんばってるし、ミヤムラシンゲキオーだったっけ。あれもすごいレースするじゃない。あんたんとこの馬、なかなか面白いから」

「そりゃ、どうも」


「しかし、あんたみたいな若いペーペーの馬主がこんなに勝つとはね。生涯一度も重賞に勝てずに引退する馬主も多いんでしょ? あんた、一体どんだけ強運の持ち主なの?」

 改めて指摘されて、圭介は振り返っていた。


 確かに、今まで重賞もいくつか勝っており、GⅠも勝っていた。

 だが、これは決して「当たり前」のことではなく、むしろ「奇跡」に近い所業なのかもしれない、と。


 ただ、圭介にはその原因がどこにあるのか、わからなかったし、日々を精一杯生きて、何とか子安ファームの経営を安定化させようと思ってきた結果に過ぎない。


「それはわからんが、まあ、宝くじで1等を当てた強運だからな」

「宝くじ?」

 ここでようやく圭介は、元々、馬主になった経緯を彼女に説明することになる。隠していたわけではなかったが、聞かれなかったから、あえて告げていなかったのだが、さすがに彼女は驚嘆して、手に持っていたタバコを落としそうになって、口を開けていた。


「呆れた。あんたの運は相当なもんね。もう一生分の運を使い果たして、人生の後半は絶望しかないかもね」

「怖いことを言うな。先のことなんて誰にもわからん」


「まあ、それだけ強運だと、来年の日本ダービーも、もしかしたら、勝てるかもね」

「何故だ?」


「馬主なのに知らないの? 日本ダービーは『最も運のある馬が勝つ』って言うでしょ?」

「知ってるさ。だが、運だけで勝てるとは限らない」


「せいぜいがんばりなさい。陰ながら応援してるから」

「別に陰ながらじゃなくてもいいぞ」


「うっさいわね。じゃあ、私、行くから」

「ああ」


 相変わらず、強気でかつマイペース。どこか不思議な印象を圭介に残して、彼女は立ち去って行った。


 これ以降、圭介はしばらく彼女、緒方マリヤと会うことがなくなる。


 それは、彼女の仕事が忙しいのもあり、またしばらく東京競馬場では大きなレースをしなかったというのもあった。



 一方、その頃。

 長沢春子は、般若の形相を浮かべていた。傍らには黒服のスーツ姿の男性が、冷や汗をかきながら立っていた。


「くそっ。何で負けてんのよ、ナガハルダイオー!」

「落ち着いて下さい、オーナー。まだナガハルホクトオーがいます」


「わかってるっての。それにしても、あの弱小ファームが、こんなに強くなるなんて。一体、どんな強運の持ち主なの、あの若造は」

 若造と言っているが、実は長沢春子は、まだ37歳だったから、圭介より幾分か年上なだけで、あまり変わらない。


 つまり、元々彼女は、父の地盤、父の築いた財産を引き継いだ「二代目」馬主だったためだ。

 ある意味、「苦労も挫折もせずに」のうのうと生きてきた、ボンボンでもある。


 そういう人間は、得てして「逆境に弱い」のが定番だ。

 「勝っている」、「勢いがある」時はいいが、「負けている」、「勢いがない」時は、途端に弱くなる。

 それが金持ちの二代目ボンボンの「弱点」でもあった。


 だが、彼女は決して諦めはしなかった。

「見てなさいよ、弱小ファームめ。次のレースでは絶対勝つから。あと、ナガハルホクトオー、どうなってんの?」

 鋭い視線を、父の部下でもある黒服の男に向けていた。


「はい。次走は、朝日杯フューチュリティステークスの予定です」

「ふふふ」


「オーナー?」

 突然、笑みを浮かべて、嘲笑するような仕草を見せた主に、今度は部下が怪訝な表情を見せた。


「ミヤムラシンゲキオーだったっけ。ようやくナガハルホクトオーとの直接対決ね。来年のクラシックの前に叩き潰してやるんだから」

 相変わらず、強気の長沢春子が、豪語していた。


 事実として、関厩舎に預けられていた、ミヤムラシンゲキオーは、次のレースを「朝日杯フューチュリティステークス」に定めていた。


 これは、実質的な「2歳馬の頂点を決める」決戦とも言える。現在のように、まだホープフルステークスがなかった当時、2歳限定のGⅠはこのレースしかなかった。

 

 とにかく、この「ジャパンカップダート」を制したことで、1着本賞金1億3000万円のうち、馬主取り分として、子安ファームには、1億円を超える賞金が手に入ることになった。

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