第82話 日本ダート界の頂点
長沢春子は、ほくそ笑んでいた。
10月27日に重賞の武蔵野ステークスを制し、勢いをつけた形で、ついに初のダートの頂点に立とうとしている、自分の所有馬を東京競馬場のパドックから見ていた。
フェブラリーステークス後に、彼女自身が発言したように、伸びてきたのが「彼」だったのだ。
ナガハルダイオー。デビュー戦からミヤムラジョケツと因縁がある馬で、しかも直接対決は新馬戦だけだったが、負けていた。それも「8馬身」も差をつけられる惨敗だった。
(調子はいい。トモの張りも、馬体重も問題ない。武蔵野ステークスも勝った。これで、奴らに勝てる!)
内心、「弱小ファーム」と侮っていた、子安ファームが最近、次々に勝ち始め、最初こそ資金がなく、金を借りに来て、そこにつけこんで、「カモ」にしてやろうと目論んでいた、彼女の憶測から外れていた。
特に、彼女にとって、憎たらしいのが、ダートで活躍したミヤムラジョオウ、そして現在は同じくダート路線で有望株とされているミヤムラジョケツだった。
また、芝路線でも、ミヤムラシンゲキオーが目覚ましい活躍をしていた。
一方、彼女の持ち馬である、ナガハルホクトーもまた、来年のクラシック戦線では活躍するだろう、と競馬関係者から太鼓判を押されていたのだ。
(見てなさいよ、弱小ファームめ。今度こそ叩き潰してやる)
一見すると、温和で優しく見える長沢春子は、その実、内に秘めた闘志と、負けず嫌いは相当強い物があった。
そして、彼らの「決戦」がここに実現することになる。
2007年11月24日(日) 東京11
そもそも、このジャパンカップダートは、「日本のダート競走においても『ジャパンカップと並ぶダートの国際競走を開催しよう』という気運が高まった影響で、2000年に日本初のダート国際招待競走「ジャパンカップダート」が東京競馬場のダート2100mで創設されたのがきっかけだった。
後にこれが、中京競馬場に移り、「チャンピオンズカップ」となる。
だが、この段階において、「牝馬でこのレースを制した馬は1頭もいなかった」。
ミヤムラジョオウに続く、新たなダートヒロインとなるか、それとも惨敗するか。
実は、このミヤムラジョケツに関しては、元々、相馬が推していたヴィンディケイターという種牡馬の血が影響していた。
アメリカ産まれの馬だったが、日本の現役時代、10戦中8勝、GⅡも3勝し、東京大賞典も勝っていた。
さらに4代前には世界的な大種牡馬がいるという血統だった。
その「ダートの血」を確実に受け継いだ、ミヤムラジョケツ。
坂本美雪の弁によれば、「すっごく強い馬、にはならないね」、「ただ、ある程度勝って、いいところまでは行くと思う」という予測だったが。予測は予測。現実は現実という違う結果をもたらすことが、往々にしてある。
さすがに、「牝馬による初の制覇」がかかっているから、もちろん圭介は、美里と相馬を連れて、東京競馬場に向かった。
そして、いつものように、馬主エリア前で坂本美雪に出逢う。
「美雪さん。ミヤムラジョケツはどうですか?」
もはやお決まりの、お約束の質問になっていた。
彼女は笑顔だった。
「いいね。あと、ごめんね」
「何がですか?」
「前に、『すっごく強い馬、にはならないね』って言ったと思うけど」
「ええ」
「あれ、撤回するわ」
「撤回?」
「そう。彼女は、マジで強いダートの馬になる予感がするんだ。ミヤムラジョオウ以上の存在になりそう」
そんな一言が、馬主の圭介にはたまらなく嬉しくなる。
ちなみに、アイドルの緒方マリヤからの電話はなかった。不思議に思いつつも、圭介は特に注意を払うことなく、一旦、馬主エリアに向かい、準備をしてからパドックに向かう。
実際に見る彼女は、
「調子は良さそうですね」
「うん。いい勝負が見れそうだ」
相馬と、美雪がどちらも推しているように、圭介には見えたし、彼自身の目を持ってしても、艶があって、トモの張りもよく、イレ込んでもなくて、馬体重の極端な増減は見当たらなかった。
馬主エリアに戻り、観戦となる。
ちなみに、ミヤムラジョケツは単勝3.4倍の2番人気。6枠12番。
対する、ナガハルダイオーは単勝2.3倍の1番人気。4枠7番。
馬齢はどちらも4歳。
ライバルによる直接対決の2戦目だった。
派手なファンファーレの後、出走となる。
東京競馬場、ダート2100mは左回りで、この競馬場の特徴の一つ、高低差2.4mの急坂を含む、最後の約500mの直線が最大の特徴。
その為、本来は逃げ・先行が有利なダート戦にもかかわらず、直線の末脚勝負に徹する馬もいるという。
また、最初のコーナーまでの距離が短く、長距離戦ながら先手争いが激しくなる場合があるという。
「スタートしました。綺麗なスタートです」
全16頭によるダート決戦。
そのスタートは、静かに始まった。ミヤムラジョケツは中団よりやや後ろ。そして、ナガハルダイオーは、そのすぐ後ろにまるで、ミヤムラジョケツをマークするようにつけていた。
そのまま静かにレースは流れて行くが。
4コーナーを回り、600mの標識を通過する頃。
「ミヤムラジョケツが徐々に進出」
とアナウンサーが述べていたように、ミヤムラジョケツが動いていた。
鞍上から鞭を振るっているのが圭介には見えた。
そして、
「さあ、最後の直線。先頭は……」
この段階になってもまだ先頭を突っ切っていたのは、4番人気の牡馬だったが。
「ここで内からナガハルダイオーが上がってきた」
あっという間に先頭が入れ替わっていた。
そのまま400mの標識を通過。
「ナガハルダイオー先頭」
実況中継のまま、ナガハルダイオーが頭一つ抜けて、先頭を走り、他は横一線に近い形で混戦になっていた。
だが、残り200m付近。
「外から上がってきたのは、ミヤムラジョケツだ」
ようやく彼女が上がってきた。
その末脚は、まさに「男勝り」で「牡馬にも劣らない」物だった。
小柄で、馬体重が440キロ程度。他の牡馬は400キロ台後半から、500キロ台前半までいた。
しかし、残り100m。
「ミヤムラジョケツ、かわして先頭になる。内からはナガハルダイオーが粘る!」
割と冷静な声だった、実況の声が徐々に興奮気味に上ずっていた。
「ミヤムラジョケツだ、ミヤムラジョケツ!」
「ミヤムラジョケツ、ゴールイン! 2着はナガハルダイオー」
その瞬間。
「おおっ!」
東京競馬場が大きな歓声に包まれていた。
この瞬間、歴史の1ページが塗り替えられたのだ。
―牝馬による初のジャパンカップダート制覇―
まさに、ミヤムラジョオウに代わって、新たな「ダートの歴史を刻んだ」のが彼女、ミヤムラジョケツだった。
「ミヤムラジョケツ、歴史を創りました! ジャパンカップダート初の牝馬による制覇。これはすごい!」
「やりましたね、ジョケツ」
「ひどい名前の割には強いわね」
「そう言うな。彼女はマジですげえよ」
「おめでとう!」
相馬が、美里が、圭介が、そして美雪がそれぞれ笑顔で喜びを表現し、思わずハイタッチしていた。
一方、東京競馬場からも大歓声が響き渡り、その声が聞こえてきていた。
「ミヤムラジョケツ、すげえ!」
「歴史的瞬間だ」
と。
馬主にとって、これほど嬉しいこともなかった。
そして、その瞬間。待っていたかのように、彼女から圭介の携帯に連絡が入った。
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