第84話 父を越える宿命

 この時期、圭介は週刻みで忙しかった。


 それは「嬉しい悲鳴」でもあり、所属馬が次々に重賞に参戦していたからだった。

 数多くの馬主が、一度も重賞に勝つことなく、参戦すらできずに、敗れ去って行く中、強運と仲間のサポートでここまでやって来れたことに、彼は内心、感謝をしていた。


 だが、「彼は」未だに勝てずに、ついたあだ名が「無冠のシルバーコレクター」だった。


 ヴィットマン。

 2年前の菊花賞で2着、昨年の天皇賞春でも2着。それ以降、幾度も2着になっていたことに由来する。


 だが、この年は春にケガをして、天皇賞春を回避。

 結果的に、その天皇賞春を制したのは、ライバルのイーキンスで、イーキンスは天皇賞春を2連覇していた。


 随分とライバルに差をつけられていた。だが、それでも彼、ヴィットマンは一生懸命に走っていた。そこだけは唯一、変わっていない事実だった。


 そして。


 2007年12月1日(土) 中山11Rレース ステイヤーズステークス(GⅡ)(芝・3600m)、天気:晴れ、馬場:良


 日本の重賞において、「最長」の距離を誇るレースに彼は参戦する。

 休養明けの6か月。久しぶりの参戦となる。


 前評判は高くなく、ケガからの復帰が影響して、人気は単勝50.8倍の8番人気。4枠4番だった。そして、ここにもライバルのイーキンスが出走していた。イーキンスの馬主は恐らくヴィットマンを「狙って」出走している、と思われても仕方がない状態とも言える。


 ある意味、この「ヴィットマンとイーキンス」という、名前の由来を知っており、過去の因縁を感じていたのだろう。両者は共に5歳になっていた。


 いつものように、今度は中山競馬場に駆けつけた、圭介と美里、そして相馬。


 この時、相馬が興味深いことを圭介に語り出した。


「無冠のシルバーコレクターか。不名誉なあだ名だな」

 落胆気味に呟く圭介に、相馬がおもむろに語り出した。


「兄貴。俺が何故、こんなにも競馬にハマり、競馬を好きなのか。その理由、わかりますか?」

「さあ」

 唐突に真面目な顔になっていた相馬に圭介は首を振る。


「ヴィットマンの父、フォーゲルタール。彼が制した重賞は、天皇賞春、阪神大賞典、そしてこのステイヤーズステークス。競馬というのは、壮大なドラマなんですよ。父が走ったレースに子が出て、父を越えることもあるんです」

「ちなみに、ヴィットマンとイーキンスの対戦成績は?」


「1勝5敗。ヴィットマンが勝ったのは、新馬戦だけね」

 相馬の代わりに、美里が答えていた。


「かなり差をつけられたな。もはやライバルでさえない気がするが」

 しかし、否定的な意見を述べ、沈んだ表情の圭介に対し、この時の相馬は妙に明るい表情を浮かべていた。


「これから巻き返しますよ。彼は生粋のステイヤーです。そしてようやく伸びてきた気がします」

「それにいつも一生懸命走るよね。私は、そんな彼を応援したい」

 相馬に続き、美里も珍しくそんな発言をしていた。


 単勝1番人気は、ライバルのイーキンスで、前走のアルゼンチン共和国杯は3着、そして同年春の阪神大賞典に勝利、もちろん天皇賞春も勝利していた。5枠6番に入る。


 馬印は、イーキンスに多数の◎がついており、ヴィットマンにはわずかに△しかついていなかった。


 中山競馬場、芝3600mは、年に1度、暮れに行われる、このステイヤーズステークスのみに使用されるコースで、スタート地点は1800mと2000mの中間あたり。最初のコーナーまでの距離はおよそ340mで内回りコースを2周する。


 JRAの芝コース最長距離で、基本的にはゆったりとしたペース。コーナーを8回通過するため器用さも問われ、残り1000mからのジョッキーの駆け引きが大きな見どころとされる。中山コース全般に言えることだが、やはり先行馬が有利で、当然ながら豊富なスタミナが必要とされる。


 そして、鞍上はこの時も、池田騎手だった。


「はいはい。美雪さんだよ」

 待ってもいないのに、いつものようにパドックに向かうと、美雪が待っていた。ある時は、馬主エリア前で待ち構え、ある時はパドック。神出鬼没な人だった。


「ヴィットマンは休養明けで、不利じゃないですか?」

 開口一番、圭介が突っ込む。


「それは多分、関係ないね」

「どうしてですか?」


「ステイヤーとしての才能が開花した頃だと思うんだ。そろそろ『無冠のシルバーコレクター』のあだ名は返上するべき頃だよ」

「それだけですか?」


「いや。もちろん、状態は良さそうだし、馬体重もいい具合に絞られている。調教タイムも悪くない。このレースは面白そうだよ」

 美雪は、太鼓判を押していた。


 そして、馬主エリアに向かうことになる。


 ファンファーレが鳴る。


 さすがに日本最長の距離を誇る重賞。

 レースは長かった。


 そして、ゆるやかに進んで行く。

 ヴィットマンと、鞍上の池田騎手は、もちろん最初から「飛ばす」ことなどせずに、真ん中よりやや後方、全13頭のうちの、後方から数えて4番目くらいに待機。一方で、1番人気のイーキンスは最初から6番手くらいを追走。


 そのままぐるっと1周するが、これで終わらないのが、この最長コースだ。


 さらにもう1周、馬場をぐるっと1周することになるが、ヴィットマンは動かず。


 ようやく動き出したのは、残り800mの標識を過ぎた、2周目の3~4コーナーあたりだった。


「さあ、ここでヴィットマンが上がって行く」

 イーキンスは、ようやく4番手くらいに上がる。


 だが、4コーナーのカーブに入る頃。

「ヴィットマンが外からまくって一気に上がっていく」

 残り400m付近。


「大外から、ヴィットマンが一気に先頭に立つ」

 実況の声が興奮気味になり、歓声が上がって行く。


 そこから先は、まさに「目が離せない」対決だった。


「200を通過。先に仕掛けたヴィットマンがわずかに先頭。2番手はイーキンス」

 馬場の真ん中あたりにヴィットマン、内埒沿いにイーキンス。


 菊花賞、天皇賞春に続く、2頭の叩き合いに近い形になっており、会場から大きな歓声が上がっていた。


 だが、結局は叩き合いというよりも、ヴィットマンが先行し、イーキンスは懸命に進むも、追いつけずにいた。


「ヴィットマン粘る! 先頭、ヴィットマン。2番手はイーキンス」


「先頭は、4番のヴィットマンだ! 今、ゴールイン。2着はイーキンス」


 再度、大きな歓声が上がり、圭介も美里も、そして相馬も美雪も、喜びの声を上げる。

「勝ったか!」

「やっと重賞制覇ね」

「見事です、隊長!」

「父のフォーゲルタールと同じレースを制したね」

 なお、走破タイムは3分44秒8。一方、彼の父、フォーゲルタールがこのレースを制した時のタイムは、3分48秒9。4秒も速かった上に、いわゆる「タイム指数」も速かった。


 フォーゲルタールは、ちょうど10年前に大差でこのレースを圧勝していたが、ヴィットマンは3/4馬身での僅差での勝利となった。


 だが、勝利は勝利だ。親子二代に渡る制覇となっていた。


 「無冠のシルバーコレクター」のあだ名を返上し、ようやく遅まきながら「重賞」を制し、イーキンスに一矢を報いたヴィットマン。それでも勝敗成績は2勝5敗と遅れを取っていた。


 なお、口取り式後に、鞍上の池田騎手と会った圭介は、彼から、

「ようやくステイヤーとしての才能が本格的に開花してきましたね。来年の天皇賞が今から楽しみです」

 笑顔で告げられていた。


 かつて、その池田自身が、圭介に懇願し、

「ほんなら、私に任せてもらえれば、重賞の一つくらい勝てるかもしれへんです」

 と言っていたが、ようやくその貴重な「重賞の1勝」が達成されていた。

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