第46話 ヴィットマン VS イーキンス

 競馬には、時として人間の想像を「上回る」予想外のレースというのがある。


 「追い風」に乗って、勢いづいたような子安ファームにとって、その「想像以上」の瞬間がやって来たのは、その年の秋に入った頃だった。


 2004年9月12日(日) 阪神3Rレース 2歳新馬戦(芝・1400m)、天気:晴れ、馬場:良


 相変わらずの「晴れ」の中、レースが始まる。


 ここ北海道では「残暑」なんて言葉はなく、9月に入れば「秋」の気配が色濃くなって来るが、遠く関西ではまだ「夏」が続いていた。


 その関西の栗東にある、立木厩舎に預けていたのが、ヴィットマンだった。

 セールで手に入れ、ドイツ軍のミハエル・ヴィットマンにあやかり、「隊長」と圭介と相馬が呼んでいた1頭であり、物静かで、大人しい牡の馬だった。


 かつて、ミヤムラボウズを預けて、彼を怪我による安楽死で死なせてしまった経緯がある、言わば子安ファームにとって、「因縁」があるような立木厩舎。実際、圭介はミヤムラボウズが亡くなった時、立木調教師に「次に同じことが起こったら、あなたの厩舎に馬を預けません」と宣言していた。


 しかし、立木安信という男は、「プロ意識」が高い、ベテランでもあった。


 関西と言うこともあり、今回はもちろん彼らは競馬場には行かず、牧場施設の居住空間でもある一軒家の、リビングでラジオの声だけを頼りにレースを見る、というより「聞く」。


 現在のように、気軽にインターネット映像でレースが見れないからだ。


 そのため、実際にヴィットマンの様子がわからない。馬体重だけはわかるが、ガレているのか、トモに張りがあるのか、発汗はしてないか、など想像するしかないのだ。


 現在のように、何でも便利な世の中ではない不便さがその当時にはあったが、それでもそれを「楽しむ」のが競馬に関わる人間でもあった。


 阪神競馬場の芝、1400mは内回りコースを使用。スタートから最初のコーナーまでの距離は長め。勝負所の3コーナーから直線途中までが下り坂になっており、過度にスピードがつきやすい。勢いに乗っての外から、もしくはバラけた馬群のインを突いての差しがかなり決まると言われる。


 また、約357mと短めだが、残り200mから100mの間に勾配がキツい急坂が待ち構えている最後の直線も、差しが有利な要因になっている。


 それに加えて阪神競馬場は、一般的に馬場が荒れて時計の掛かる競馬になる事が多い。開催後半や冬場はその傾向が強く、パワータイプの馬が狙い目でもある。


 ヴィットマンは、10頭立てのレースの7枠9番。大外に近い位置で、4番人気の単勝15.2倍。騎手は、池田重徳騎手だった。馬柱には〇と△がついていた。


 そして、注目は1番人気の馬で、あのリーディングジョッキーの古谷騎手が乗り、単勝1.6倍のダントツの1番人気。名前は「イーキンス」とあった。こちらはもちろん馬柱に◎がついている。


「ヴィットマンにイーキンス。まさにこれぞ因縁のライバル対決ですね」

「はい」

 相馬が呟き、圭介が頷いた理由は簡単だ。


 ミハエル・ヴィットマンが第二次世界大戦のヴィレル・ボカージュの戦いで名を挙げた後。

 1944年8月8日。ヴィットマンの第2中隊は友軍の後退を援護するため、フランスのサントーへ向けて出撃した。12時40分頃、彼が乗る戦車ティーガーを含め、4両のティーガーは前進中に国道158号線で敵軍の対戦車砲に攻撃された。

 

 交戦する間も無く3両が撃破され、ヴィットマンが乗る007号車も車体側面にシャーマン・ファイアフライの直撃弾を受け大破炎上、ヴィットマンらは戦死した。この時、彼を「討った」イギリス軍の将校の名を「ジョン・イーキンス」と言う。


 つまり、史実ではヴィットマンを殺した男がイーキンスだとされていた。


 このレース、最初からヴィットマンは「飛ばして」いた。

 先行争いに加わり、3番手あたりを追走。外から機会を伺い、最終コーナーを回って先頭に立った。


 ところが、

「おおっと、ヴィットマン、外に持ち出したが、大きく斜行した」

 実況が告げるように、この時、映像がないため、見えていなかったが、ヴィットマンは最後の直線で、極端に「斜行」、つまり斜めに走っていた。


 通常、競馬では内側に斜行することを「ささる」、逆に外側に斜行することを「ふくれる」と言うのだが、彼は極端に外側にふくれて、ほとんど外埒そとらち沿いに進出。


 つまり広い馬場の中で、彼1頭だけが明らかに「浮いた」ように外側の柵沿いに持ち出して、走っていた。


 こうなると、普通は競馬的には不利になり、レースとして、「成功しない」と言われる。


 ところが。

「ちょっとヴィットマンが、外によれていますが」

「さらに外、ヴィットマン。外埒沿いに大きくよれて走っていますが」

 実況の声が、明らかに「不安」の声音こわねに変わっている。


 通常、常識的にはこの手のレースで、大きく斜行、つまり「よれて」しまった馬が勝つことは滅多にない。


 ところが、この時、ヴィットマンの脚色は全然衰えてはいなかったのだ。


「ヴィットマンか! ゴールイン!」

 結果的には、明らかに1頭だけ外に持ち出し、外埒沿いギリギリのところを進んでいたヴィットマンが他馬をちぎってゴールインしていた。


 2番手はほとんど横一線に近い状態で3頭が内側に固まっていたが、最も内側にいたイーキンスが2着になっていた。しかし内と外で大きく離れているので、現地ではほとんどわからないくらいの距離感になる。


 ともかく、史実とは逆に、イーキンスではなく、ヴィットマンに軍配が上がっていた。


「よし、さすが隊長だな」

「見事にイーキンスに一矢いっし報いましたね」

 圭介が歓喜の声を上げ、それに相馬が応じる。


 ミハエル・ヴィットマンの名を冠する若駒は、初戦を「目が醒めるような」破天荒なレース展開で勝利していた。


 そして、これが彼、ヴィットマンとイーキンスの後に続く「因縁の対決」の初戦となった。


 これで、新馬戦3連勝。

 彼らは勢いに乗っていた。

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