第8章 初めてのクラシック

第47話 ダメ人間の冬

 平成17年(2005年)。


 前年は、彼ら子安ファームにとって、「勢い」があった年で、新馬戦を始め、条件戦などいくつかのレースに勝っており、それなりに「賞金」が入ってきていた。


 だが、出費も多く、大きなレースには勝っていなかった彼らには、相変わらず「金がなかった」。

 そんな中、とある事件が、子安ファームに起こるのだった。


 その日は、1月の真冬の寒さが襲っていたが、太平洋沿いにある日高地方は、他の北海道の地方とは違い、それほど雪が降らないため、積雪が少なかった。


 一口に北海道と言っても、とてつもなく広大なため、本州の感覚とはかなり異なり、日本海側や内陸などは、数メートルも雪が積もり、春まで溶けない所もあるし、逆に道東のように寒すぎて雪が積もらない地域もある。


 その中で、日高は道内では温暖な気候のため、そもそも積雪が少ない。


 数人の黒いスーツに柄シャツを着た男たちが、子安ファームに黒塗りの車で乗りつけてきた。


 見るからに「カタギ」とは思えない男たちは、3人で、いずれも人相が悪く、一人はパンチパーマの頭髪をして、火が点いた紙タバコをくわえたまま、インターホンを押してきた。


「はい」

 応対したのは、美里だったが。


「おい、そこに相馬の野郎がいんだろ? さっさと出せや、コラ!」

 いきなりの怒声にドスの効いた声だったため、強気な美里が驚いて、圭介に声をかけていた。


「ねえ、圭介。なんかヤバいの来たよ」

「仕方ない。ちょっと代れ」

 圭介がインターホンに出るが、電話口の声は明らかに「トゲ」があった。


「代わりました」

「何だ、てめえは。さっさと相馬、出せっつってんだよ」


「私はここの責任者です。相馬さん、一体いくら借りてるんですか?」

 圭介はすでに察していた。


 彼らは、恐らく相馬が「借りている」金貸したちだろう、と。それもまともな筋ではなく、恐らく「闇金業者」の類だろうと。


 相馬が、一体いくら借りていて、いくら返していないのか、そのプライベートに関わる部分については、圭介はもちろん知らなかった。

 

 そして、運が悪いことに、相馬はこの時、馬具関係の買い出しで出かけており、不在だったのだ。


 一応、そのことを彼らに伝えると、怒ったような口調の男たちは、

「ちょっと出てこい」

 と、圭介に命じた。


「わかりました」 

 インターホンを切ると、圭介はコートを羽織った。


「ちょっと大丈夫? ついて行こうか?」

「ああ、大丈夫だ」

 美里の声を振り切って、圭介は表に出ることに決める。


 実際、外に出てみると、1月の北海道だ。とんでもなく寒い。そんな中、黒いスーツ上下に柄物のシャツを着て、コートを羽織り、タバコを吹かした男が一人。彼を取り巻くようにして立つ、似たような格好の男が2人、玄関口に立っていた。いずれもカタギとは思えないような威圧感があり、強面こわもてだった。


「お待たせしました」

「あんたが相馬の雇い主か?」


「はい」

「相馬はな。俺らに金返してねえんだよ」


「いくらですか?」

「利子込みで、500万」


「500万? それ、法律外の違法金利ですよね」

「だったら何だってんだ、ああ? ナメてんのか! こっちも慈善事業じゃねえんだよ。金返せねえなら、この牧場ごと燃やしてやろうか。それとも相馬をコンクリ詰めにして、太平洋に沈めてやろうか?」

 その、明らかに血走ったような瞳を見て、圭介はもちろんビビッていたが、同時に、こうも思っていた。


(これは、下手に楯突くと、余計にヤバそうだ。仕方がない)

 相馬が不在の中、圭介はオーナーとして独断を下すことを決意した。


「少々お待ち下さい。用意します」

 すぐに執務室に取って返し、美里に告げる。


「500万! ホント、ダメ人間だね、あの人。払うことないよ、圭介」

「いや。払わないとあいつら、この牧場ごと燃やすか、相馬さんを太平洋に沈めるって言ってる」


「はあ? 頭おかしいの?」

「いや、あれはマジな目だ。本気でやり兼ねない」

 圭介の真剣な眼差しを見て、彼女もまた事態の深刻さに気付いたらしい。


「せめて相馬さんが戻るまで待ったら?」

「ダメだ。今、買い出しに行っててしばらく戻れない」


「どこまで行ったのよ?」

「帯広だ」


「帯広? なんてタイミングの悪い」

 ここから帯広までは片道で、最速でも2時間半はかかる。とても無理だと美里も悟った。


「しょうがないわね。待ってられないわ。一旦、500万円は私たちが立て替えて払っておいて、後で相馬さんに利子つけて請求しよう。足りない分は、癪だけど、また長沢さんに借りるしかないわ」

 圭介は、短い判断で覚悟を決めた美里の言に頷く。


 正直、ただでさえ貧しいこの牧場において、他人の「尻ぬぐい」などやる余裕はないのだが、圭介は決断する。


 すぐに即金で500万円が用意された。札束をスーツケースに入れて、玄関に運ぶ。


「お待たせしました。お確かめ下さい」

 うやうやしく、圭介が差し出したスーツケース。中身をあらためたヤクザ風の男たちは、


「おう、確かに受け取った。毎度あり」

 満足そうに頷いて帰って行った。


 圭介はすぐに相馬に電話をして、事情を聴く。


 すると、

「申し訳ございません、兄貴。ちょくちょく返してはいたんですが、思ったより利子がついてまして」

 平謝りに謝っていたが、圭介はもちろん、当然ながら「怒って」いた。


「相馬さん。しばらく競馬は禁止です」

 穏やかな口調で言ってはいたが、もちろん内心は怒りが煮えたぎっていた。


「そんな、殺生な。俺から競馬を取ったら何も残りません」

「ちょっと貸して」

 圭介は横から美里に携帯を奪われていた。


「ちょっと、相馬さん。いい加減にして下さい。500万ですよ、500万! それだけあったら馬が買えます。ちょっとは真面目にやって下さい」

 さすがに事の重大さに気づいた、相馬が謝るが、


「わかりました。それでは1レース100円に制限します」

 尚も彼は訴えていた。


「バカですか! 賭け自体がダメです!」

「そんな無茶な」


「無茶でも何でもありません! しばらく無給で働いてもらいますからね!」

 美里の方が明らかに怒っており、彼女は一方的にまくし立てて、電話を切ってしまった。


「まったく、マジでダメ人間ね、あの人!」

「何を今さら」

 と圭介も呆れていたが。


「仕方がない。また長沢さんに借りるか」

 結局、失った500万円は、急きょ、長沢春子に借りることを決意する彼らであった。

 再び子安ファームの借金額が増えることになった。


 そして、相馬はしばらく無給で働くことになり、競馬からは離れることになる。予想だけは続けていたが。

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