第48話 初の重賞参戦
話は前後するが、相馬の騒動が起きる少し前の年末。
コヤストツゲキオー、ミヤムララベンダー、そしてヴィットマン。
それぞれが新馬戦でいきなり勝利という「追い風」に見舞われ、ようやく子安ファームに明るい兆しが見え始めた2004年。
新馬戦後、コヤストツゲキオーとミヤムララベンダーは条件戦に苦戦していたが、唯一条件戦を突破し、年内に初の重賞に臨んだ馬が、ヴィットマンだった。
2004年12月25日(日) 阪神11
※現在のホープフルステークス
初の重賞だったが、場所が関西だったため、彼らは見学にこそ行かなかったが、テレビの前にかじりついて見ていた。
そう。
そこは彼らにとって、「初」の重賞の舞台だったからだ。
「ヴィットマン隊長は3番人気ですよ」
相変わらず競馬新聞を見ながら、相馬が呟く。事実、ヴィットマンは単勝5.8倍の3番人気だった。その競馬新聞の馬柱には〇が2つついていた。
「でも、1番人気がヤマデラファイアってのが、気に入らないわね」
美里が吐き捨てるように発言したように、1番人気は単勝1.8倍のダントツ人気で、ヤマデラファイアという馬で、もちろん馬主は山寺久志だった。馬柱に憎たらしいくらい◎印がついていた。
「でもでも、ヴィットマンくんは悪くないと思うよー」
「俺もそう思います」
真尋と、そして珍しく観戦に付き合うことになった結城が、仲良く並んで座って見守っていた。
なお、新馬戦でヴィットマンと争った、因縁のある名前を持つ、イーキンスはこのレースには出走していなかったが、1週間前の朝日杯フューチュリティステークス(GⅠ)で1着になっており、すでに翌年のクラシック戦線の有力候補と言われていた。
阪神競馬場、芝2000mは、内回りコースを使用するので、コーナーを4つ回る。スタート直後に急坂があり、前半のペースは速くなりにくい。
一見、内枠が有利に思えるが、この阪神競馬場は一般的に馬場が荒れて時計の掛かる馬場になる事が多く、特に内側の傷みがひどい場合がある。距離ロスの少ない内枠は決してアドバンテージにならない。
勝負所の3コーナーから直線途中までが下り坂になっており、過度にスピードがつきやすい。勢いに乗って外から、もしくはバラけた馬群のインを突いての差しがかなり決まると言われる。
また、約357mと短めだが、残り200mから100mの間に勾配のキツイ急坂が待ち構えている最後の直線も、差しが有利な要因。
下馬評では、新馬戦、2戦目と続けて「差し」で決めていた、ヤマデラファイアが圧倒的に人気だった。
初の重賞、GⅢ、そして初の2000mでの勝負ということで、彼らにとっても、ヴィットマンにとっても、未知数だったが、パドックや馬体重を見る限り、彼は落ち着いているように見えたし、決して「入れ込んで」はいなかった。
ゲート入りもスムーズに終えていたし、騎手は新馬戦に続いて、関西出身のベテラン、池田重徳騎手。阪神競馬場は慣れている騎手だ。
そして、レースが始まる。
「スタートしました」
まず先行争いに競りかけていったのは、8番人気と6番人気の馬で、ヤマデラファイアは先団4番手につけ、ヴィットマンは後方から数えた方が早い位置にいた。
全9頭のレースで、8番目くらいとかなり後ろからの競馬になっていた。
見守っていると、内回りで4つのコーナーを回って、馬場をほぼ一周し、最後に急坂が待ち構えるこのコースで、3コーナーまでは両者とも動かなかった。
勝負所の3コーナーからの下り坂。
「おっと。早くも動いたのは、ヤマデラファイアだ」
実況が興奮気味に伝える。
早くも仕掛けたのは、1番人気のヤマデラファイアだった。
だが、ヴィットマンはというと、後方から徐々に進出。
最後のコーナーを回って、最後の急坂前。
「内を突いて、ヤマデラファイアが伸びる。外からはヴィットマン」
いい勝負になっていると一瞬、思った圭介たちだったが。
思ったよりも、ヴィットマンは伸びなかった。
4コーナーを回った辺りで、一時3番手まで上がっていたヴィットマンだったが、最後の坂で失速。
終わってみれば。
「ヤマデラファイア、すごい末脚でゴールイン!」
1番人気のヤマデラファイアが、見事な差し切りで、勝ちをさらっていた。
そして、結果は、ヴィットマンは無念の5着。
それでも、彼ら子安ファームにとって、重賞レースで「初の掲示板」入りを果たした。
競馬では、ターフビジョンなどで5番目までは数字が表示される。これを俗に「掲示板に乗る」と言うのだ。
「5着か。残念だな」
「でもいい走りだったと思いますよ」
「そうだねー。残念だったけど、ヴィットマンくん、がんばったよ」
圭介、相馬、真尋が感想を呟く中、やはりと言うべきか、一番悔しそうに表情を固くしていたのは、実は美里だった。
「よりにもよって、ヤマデラファイアに負けるとはね。クラシックで巻き返して欲しいな」
彼女にとって、最も因縁がある、というより恐らく「最も嫌いな馬主」、山寺久志の所有馬に「負けた」ことが、何よりも悔しくてたまらなかったらしい。
こうして、彼ら子安ファームにとって、「初の重賞」は5着に終わる。
この年、2004年。
彼らはそれなりに勝って、今までの損失分を取り戻したが、それでもまだ大きなレースには一度も勝っていないため、相変わらず金欠のまま、2005年を迎える。
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