第10章 飛翔の時
第67話 ラベンダーの復帰戦
年が明けて、平成19年(2007年)になった。
年初、最初の重賞は京都金杯(GⅢ)と言われている。かつては金杯(西)と呼ばれたレースだ。
そして、2つ目の重賞が中山金杯(GⅢ)と言われている。こちらはかつては金杯(東)と呼ばれていた。
その中山金杯に出走したのは、パンツことコヤストツゲキオーだったが。
「わずかに勝利を逃した、コヤストツゲキオー!」
実に惜しいレースだった。
ハナ差の2着に入ったのがコヤストツゲキオーだったのだ。
年始ということで、忙しかったのもあり、中山競馬場まで見に行くことを圭介が渋ったため、いつものようにラジオ実況によりレースを見守ったものの、惜しくも2着だった。
「惜しい!」
「いいレースでした」
圭介が叫び、相馬が応じる。
「まあ、負けは負けね」
美里は冷徹な評価を下していた。
そんな中、彼女が最も気にしており、自らがセールで惚れ込んで買った馬、ミヤムララベンダーがようやくレースに復帰することになった。
彼女は、屈腱炎により昨年から半年以上の休養を余儀なくされていた。
その復帰戦。彼女はすでに5歳になっていた。場所は京都だった。
2007年1月21日(日) 京都11
さすがに京都まで行くつもりはなかった圭介は、この日、テレビで観戦をすることになった。
一応、重賞レースはテレビ中継されることが多い。
そのレースにおいて、画面を食い入るように見つめる美里。
一時は、このミヤムララベンダーの怪我により、失意し、意気消沈していたダウナーモードの美里だったが、この復帰戦、彼女自身が一番期待を込めていた。
そのレースにおけるオッズは。
1番人気 ナガハルプリンセス 3.2倍 5枠6番
3番人気 ミヤムララベンダー 7.4倍 1枠2番
馬柱では、ナガハルプリンセスに◎が複数、ミヤムララベンダーに〇と△がついていた。なお、ナガハルプリンセスもミヤムララベンダーも共に牝の5歳。
「また、長沢さんのところ? これは負けられないわ」
と、一人闘争心を燃えたぎらせるように、画面を見つめる美里。
パドックの様子が映し出されると、綺麗な芦毛の馬体のミヤムララベンダーが映り、ついでに観客席にちゃっかり特徴的な馬のデフォルメイラストが描かれた帽子をかぶった女性が映っていた。
「美雪さん、画面に映ってるし。京都まで行ってるのか、あの人。本当に日本中飛び回ってるなあ」
「まあ、あの人の場合、週末はほとんど家に帰ってないでしょう」
「家ってどこにあるんですか?」
「東京らしいです」
「マジですか? 東京から日本中に。金あるなあ」
「まあ、ギャンブルのセンスだけはある人ですからね」
などと、圭介と相馬が話している間に、
「しっ。静かに」
美里に注意されていた。
彼女が耳を傾けていたのは、司会と解説の会話だった。
「それで、ミヤムララベンダーの調子はどうでしょうか? 復帰戦とはいえ、半年以上の休養明けですが」
と、司会が解説に振っていたが、この日の解説は元・調教師という高齢の男だった。
「状態はいいと思いますよ。ただ、ナガハルプリンセスも調子が良さそうですので、これをいかに抑えるかでしょうね」
京都競馬場のダート1800mは、スタンド前の直線半ばからスタートして、1コーナーまでの距離は286m。ダート1800mの日本レコードが出ているように、どの競馬場よりも速い時計が出るスピードトラックとして知られている。
内枠の逃げ・先行馬が有利とされる。ポンと出てすぐにコーナーに入ってしまえば、コーナリングで更に前へ行くことが出来る。馬場が軽いのもあり、その分の貯金は大きく、結果的に最後まで持たせてしまうものとなっている。 人気薄でも逃げ馬には勝ち目があるとも言える。
また、ペースが緩んだときには一気のマクリが決まることもあり、ジョッキーの腕の見せどころとなる。外枠の馬はかなりの確率で外を回されることになり苦戦の傾向とされている。
レースは静かにスタートした。
「スタートしました」
実況の声が淀みなく響き、それぞれの出走馬の名前を先頭から順に告げていく。
ミヤムララベンダーは、中団よりやや前目の4番手辺りを好走。そのすぐ後ろにナガハルプリンセスがいた。
ところが、1コーナーを回った辺りで、ミヤムララベンダーが一気にかわして先頭に躍り出ていた。
「ここでハナに立ったのはミヤムララベンダー。後続を引き離しにかかる」
いくら逃げや先行が有利と言われる場所とはいえ、思いきった作戦に出たと、圭介たちは誰もが思っていた。
その日のミヤムララベンダーの鞍上は、清川十蔵。すでに45歳を越える、ベテランだ。
そのままぐんぐん後続を引き離し、気が付いてみると、2番手との差は、およそ5馬身。
「ぐんぐん飛ばす、ミヤムララベンダー。一人旅」
実況がやや興奮気味に伝えるように、ミヤムララベンダーが一人旅状態で、後続を引き離す。
だが、レースはそれだけでは終わらなかった。
「3コーナーの坂に差し掛かるが、ここで早くもナガハルプリンセスが動いた!」
と思ったら、一気に距離を詰め、この3コーナーにある高低差3mの坂を登り、下る頃には差を詰められて、先頭はナガハルプリンセスに代っていた。
「先頭、ナガハルプリンセスに代り、4コーナーに入ります」
ダート特有の土煙を上げながら、各馬が最終の4コーナーを回る。
残りは、わずか329m。
先頭はナガハルプリンセスのまま。2番手は5番人気の馬で、その差は約2馬身。その後ろにミヤムララベンダーがいた。
ここで運がいいのか、2番手の馬に進路を塞がれていたミヤムララベンダーの前に、ぽっかりと穴が開いたように、内埒沿いに進路が開いた。
そのわずかな隙間を、ベテランの清川騎手は見逃さなかった。
「内からぐんぐん伸びて来るのは、ミヤムララベンダーだ!」
実況が目ざとく見つけていた。
そのまま末脚を発揮し、2番手の馬をかわし、先頭に迫る。
ゴールまでは残りわずかに200m弱。
しかし。
「馬場の真ん中、ナガハルプリンセス。内にミヤムララベンダー。両者もつれるように並んでゴールイン!」
最後に強烈な末脚を発揮し、ほとんど並んだように両者がゴールイン。
写真判定になった。
長くも短い写真判定を、美里は祈るような姿勢で、手を組んで見守っていた。それほど彼女には愛着がある馬だった。
そして。
「2」
という数字が電光掲示板に翻る。ミヤムララベンダーの馬番だった。
「やったわ! さすがミヤムララベンダー!」
飛び上がるように喜んでいたのは、もちろん美里だった。
「マジで嬉しそうだな」
「当たり前よ。あの仔は私にとっては、特別な馬なの。ね、マーちゃん」
「そうだね。ミーちゃんの可愛がり方は半端なかったからね。でも、あの仔もミーちゃんにはなついていたなあ」
美里に話を振られた真尋が思い出すように呟いていた。
「しかし、あそこから差し返すとは、ミヤムララベンダー、強くなりましたね」
相馬は一人、感慨深げに呟いていたが、圭介にとっても一度順位が落ちたのに「差し返して」勝利した馬という意味では、 彼女はこれまでにない存在になった。
こうして、ミヤムララベンダーが5歳にして、初めて重賞を勝ったのだった。
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