第90話 連覇か、父に並ぶか

 ミヤムラシンゲキオーが、皐月賞を制した後。


 次の注目株が、大レースに挑む。


 ヴィットマンだった。阪神大賞典を制していたが、人気は単勝5.0倍の2番人気。直前の日経賞を制していたイーキンスが、単勝1.4倍の圧倒的1番人気だった。何よりも、イーキンスは2006年、2007年とこの天皇賞春を2連覇し、この年、3連覇がかかっていた。

 一方、ヴィットマンにとっては、去年、ケガで回避していたこのレース。2年前にイーキンスに惜しくも負けたが、雪辱を晴らすための一戦となる。


 2008年5月4日(日) 京都11Rレース 天皇賞(春)(GⅠ)(芝・3200m)、天気:晴れ、馬場:良


 もちろん、京都という遠い場所だったが、圭介たちは観戦に向かった。


 実は直前に、ヴィットマンを預けていた、栗東の立木調教師から連絡があった。

「ヴィットマンを徹底的に鍛えた。今回は、本気で勝つつもりや」

 と。


 そのヴィットマンとイーキンスの直接対決が注目されていたが、新聞やヴィクトリー競馬などのメディアでは、軒並み、

「イーキンス3連覇なるか」

「イーキンス、驚異の末脚に期待」

「イーキンス、歴史を創るか」

 などなど、ほとんどがイーキンスばかりに注目が集まっていた。


 それを見ていた、美里が、溜め息混じりに呟いた。

「どこもイーキンスばかり。つまらないわね」

 と。


 しかし、パドックを見て、実際に間近でヴィットマンの体つきを見た、相馬が驚愕の表情を見せていた。

「かなり馬体を絞ってますな」

 圭介が見ると、確かにヴィットマンがいつも以上に小柄に見えた。


 馬体重は約430キロほど。対するイーキンスが500キロ近くあったので、70キロも痩せている。ヴィットマンは前走からの馬体重がマイナス12キロもあった。


「ありゃ、かなり徹底的に調教したね」

「びっくりした、美雪さんか」

 いつの間にか、隣に来ていた彼女に驚いて、圭介は思わず後ずさっていた。

 相変わらず神出鬼没な人だった。


「ヴィットマンの調教師は、栗東の立木さんだったよね。スパルタ教育で有名な人だ。たとえ悪役ヒールになっても、イーキンスの3連覇を防ぐつもりだろうね」

「それに、これに勝てば、ヴィットマンは父に並ぶからな」

 相馬が相槌を打つように呟く。


 その通り、ヴィットマンの父、フォーゲルタールが制した、ステイヤーズステークス、阪神大賞典を制し、残るはこの天皇賞春だけ。

 陣営は当然、それを狙っているだろう。


 そして、その時のヴィットマンの馬体は、まるで試合に出る前のプロボクサーのように絞ってあった。

 美雪は、感心したように呟く。

「あの絞った体はもちろん、近づけば襲われそうなくらいの気合の入り方。これは名勝負になるね」

 彼女は、ヴィットマンが「いい」とは言っていなかったものの、この言葉は圭介に期待を抱かせることになる。

 実際、圭介の目から見ても、パドックのヴィットマンが怖いくらいに気合いが入っているように見えていた。目つきが怖く、目が座っているようにも見えた。


 馬主エリアに向かい、観戦する。派手なファンファーレが鳴り、大歓声に迎えられ、いよいよ伝統の一戦が始まる。


 8枠14番にピンクの帽子をかぶった騎手と、イーキンスが入り、2枠3番に黒い帽子をかぶった池田騎手と、ヴィットマンがすんなりと入る。


「スタートしました」

 最初から、両者共に好位置をキープ。


 というよりも、先頭から4番手くらいを走るイーキンスを、まるでぴったりとマークするかのように、ヴィットマンがその斜め後ろの5番手に、不気味に追走していた。


 ある種、サッカーでエースストライカーを徹底的にマークするディフェンダーのようにすら圭介は見えた。


 レースは、3200mの長丁場だ。


 当然、スタミナが重視される。

 しばらくは逃げ馬がひたすら逃げて、引っ張り、2番手とは5、6馬身は離れていた。


 だが、レースが動き始めたのは、2周目の3~4コーナーの坂の辺り。

「イーキンスが動いた」

 実況アナウンサーが告げるように、ここでイーキンスが少しだが、前に出る。依然として先頭は、逃げ馬だった。


「そして、ヴィットマンが動き出したぞ」

 まるで、彼の後を追うように、騎手の池田が促して、ヴィットマンがマークしているイーキンスを追っていた。


「下りにかかって、800を通過」


 そして、4コーナーから最後の直線に向かう頃。イーキンス、ヴィットマン共に勝負に出る。

「イーキンス先頭。しかし、外からヴィットマンが来た!」

 この辺りで、3頭が固まっており、粘る逃げ馬、イーキンス、ヴィットマンがひと塊になったように見えたが。


 ポン、と抜け出したのはイーキンス。

 しかし、そのイーキンスを徹底的にマークしていた、ヴィットマンの栗毛の馬体が、外から猛烈な勢いで急追していた。


 残り200m付近。

「ヴィットマン、抜け出した。リードが2馬身!」

 ついにヴィットマンがイーキンスをかわして、先頭に立っていた。


 大歓声と共に、圭介たちも興奮する。

「行け、ヴィットマン!」

 思わず叫ぶ圭介と声援を送る仲間たち。


 そして。

「ヴィットマンが2馬身くらいで粘る。イーキンス追いつけず。今、ヴィットマンがゴールイン!」

 見事に、天皇賞春を制し、「父に並んだ」偉大な馬となった、ヴィットマン。

 もはや誰も彼を「無冠のシルバーコレクター」とは呼ばなかった。


 しかも驚くべきことに、掲示板には赤い表示で「レコード」と記されていた。

 3分13秒3。天皇賞春のコースレコードを更新していた。


 だが、歓声に包まれる競馬場内では。

「イーキンスの3連覇を見たかったのに」

「何で、勝ってんだよ、ヴィットマン」

「空気読めよ」

 という、沈んだ雰囲気になり、心ない声まで響いていた。


 そんな声を聞いていた、圭介はしかし、微笑んでいた。

「見事に悪役になったな、ヴィットマン」


「いいんじゃない。悪役でも勝てばいいし、これから歴史を創るよ」

「姐さんの言う通りです。ヴィットマンはまだまだ勝ちますよ」

「周りの声なんか、気にしなければいいよ。ヴィットマン、いい勝負だったよ」

 美里も、相馬も、美雪も応じてくれるのだった。


 こうして、ヴィットマンが、イーキンスの「天皇賞春3連覇」を打ち砕き、同時に「父に並んだ」決戦が終わった。


 次は、いよいよ、ミヤムラシンゲキオーの「日本ダービー」が迫る。


 その前に、圭介は、密かに決意を固める。

(真尋に言われたこと、そろそろ考えるか)

 ヘタレで、決断力もない圭介が、ようやく重い腰を上げて、彼自身の「勝負」に挑もうとしていた。

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