第89話 最も速い馬が勝つ
皐月賞。
それは日本競馬における、クラシック戦線の「第1戦目」である。
俗に皐月賞は「最も速い馬が勝つ」と言われている。
その年のクラシックは、両馬の話題で持ち切りで、皐月賞の1週間前くらいから、スポーツ新聞やテレビ、インターネットではすでに、競馬ファンを中心に、話題が沸騰してきていた。
「進撃王 VS 北斗王」
「シンゲキオーか、ホクトオーか」
「シンゲキオーの5連勝なるか?」
「シンゲキオー、22馬身の驚異、更新なるか」
などなど。
馬主の圭介にとって、これほど嬉しいことはなく、彼の経営する子安ファームには、ミヤムラシンゲキオーを所有していることで、観光客が来たり、激励の手紙や電話まで来るようになっていた。
クラシック第1戦、皐月賞は約1か月後の4月20日だった。
2008年4月20日(日) 中山11
子安ファームにとって、2005年のヴィットマンに続く、久しぶりの皐月賞だった。
当日のオッズは、この2頭による、熾烈なデッドヒートを予感させるような、拮抗した物となっていた。
単勝1.8倍 1番人気 ミヤムラシンゲキオー
単勝2.2倍 2番人気 ナガハルホクトオー
どちらが勝ってもおかしくないくらい、拮抗している人気。
だが、ミヤムラシンゲキオーは、8枠18番。全18頭の中で一番外、つまり「
一方で、ナガハルホクトオーは、5枠11番。鞍上はリーディングトップの古谷静一。
「大外枠か」
「ちょっと不利よね」
「大丈夫です。シンゲキオーは規格外です。そんな不利なんて関係ありません」
いつものように、今回も圭介が、美里、相馬を連れて中山競馬場に到着していた。
パドックから見る限り、ミヤムラシンゲキオーは、いつものように特徴的な脚を高く上げるような歩き方をしていたが、特段、目立った問題点もなく、トモの張りもよく、馬体重もさほどの増減はなかった。
額に輝くように見える、「流星」が今日も綺麗に見えていたし、栗毛の綺麗な馬体は、単純に見ていて美しいと、圭介は思っていた。
一方で、ナガハルホクトオーも、調子が良さそうに見えた。
「美雪姉さんの予想コーナー」
そして、馬主エリアに行くと、またも唐突に彼女が現れた。馬主エリア入口のドア付近に隠れるようにして待っていた彼女が突然、現れていた。
今回は、右手に競馬新聞、左手にホットドッグを持っていた。
「びっくりした、美雪さんか」
いきなり声をかけられて、圭介はびっくりしており、美雪はケラケラと笑っていた。
「ミヤムラシンゲキオーは、やっぱ特別な存在だね。歴史的な名馬になるかもよ」
「マジですか?」
「マジマジ。体さえ丈夫なら、将来的に凱旋門賞を目指せる馬になるかもしれない」
「まさか。いくらなんでも凱旋門賞は無理でしょ」
凱旋門賞は、言わずと知れた、世界最高峰の競馬レースで、毎年10月に行われる。圭介には信じられない一言が飛び込んできて、否定していたが、美雪はいつになく真剣な表情を浮かべていた。
「そんなことないよ。まあ、あくまでも『体さえ丈夫なら』って条件付きだけどね」
その一言が、ミヤムラシンゲキオーの血統から来る、体の問題を表現していたのだった。
(頼みます、鈴置騎手)
圭介は心の中で、彼にも願っていた。
派手なファンファーレが鳴った後、会場は大歓声に包まれる。
まるで地鳴りでも起こったような大きな歓声に、10万人以上の観客の期待値が伺えた。
「ナガハルホクトオー、ミヤムラシンゲキオー共に好スタートを切った」
実況の声が示すように、両者共に綺麗なスタートを切っていた。
ミヤムラシンゲキオーは、1コーナーを過ぎた頃には早くも先団集団の5番手くらいにいた。一方、ナガハルホクトオーはそれより少し後ろの7番手あたり。
「残り1000mを切って、依然として先頭は……」
逃げ馬が逃げていたが、後続とほとんど差がない状態のまま、レースは進んで行く。
「3コーナーカーブして、600を切りました」
そろそろ勝負所と言われる辺りに入る。
「さあ、4コーナーを回って、直線コースに入る。先頭は……」
ここまで来ても、まだほとんど団子状態で、どの馬が抜け出すかわからないまま、400mの標識を越える。
そして、
「ここで、ミヤムラシンゲキオーがハナに立った」
馬場の真ん中あたりから、ミヤムラシンゲキオーが頭一つ抜け出ていたが、依然としてまだ後続との距離は詰まっていた。
ナガハルホクトオーは、外から上がって行っていた。
「ナガハルホクトオーが外から2番手に上がってきたが、しかし先頭はミヤムラシンゲキオーだ」
残りはわずか200m程度になる。
「ナガハルホクトオーが迫るが、しかしミヤムラシンゲキオーが抜かせない。ミヤムラシンゲキオー、強い! ミヤムラシンゲキオー、今、ゴールイン!」
「おおっ! マジで皐月賞に勝ったぞ!」
「すごいですね、兄貴!」
「本当にすごいわ、ミヤムラシンゲキオー」
「いやあ、いいレースが見れたよ」
圭介が思わず叫び、相馬が喜び、美里が感激し、美雪が笑顔を見せる。
ミヤムラシンゲキオーは、見事に先頭で駆け抜けていた。2着はナガハルホクトオー。その差は1馬身。
さらに、レース後。馬場を回って、騎手がホームストレッチに戻ってくると。
「シンゲキオー!」
観客が大きな歓声を上げて、シンゲキオーコールが巻き起こっていた。
これでミヤムラシンゲキオーは、デビュー以来、無傷の5連勝。まさに規格外の強さを見せつけていた。
さらに、興が乗ったのか、その鈴置騎手が馬上から人差し指を一本、高々と掲げていた。
「おっと、これは鈴置騎手。勝利宣言か」
アナウンサーが叫ぶ。解説席にいた元・調教師もこれに応じ、
「三冠を取る宣言ですね」
と声を上げていた。
(三冠。本当に行けるかもしれない)
圭介の目を持ってしても、彼は強かった。
まさに規格外、そして子安ファーム始まって以来、圧倒的な強さで駆け抜けてきて、ついには皐月賞まで制してしまった。
口取り式でも大歓声に包まれ、ミヤムラシンゲキオーに惜しみない拍手と歓声が送られていた。
皐月賞の1着本賞金は、9700万円(※現在は2億円)。子安ファームにとっても、久しぶりの大金入手となる。
そんな中、鈴置騎手は笑顔だった。
「いやあ、ミヤムラシンゲキオー。本当にすごいです」
「三冠、取れそうですか?」
圭介は、先程見た、「三冠取得宣言」のようなアピールを思い出して尋ねていたが、彼はにこやかに頷いていた。
「行けますよ。彼となら」
騎手、調教師、厩務員、そしてオーナーブリーダー。全てのホースマンの「夢と期待」を一身に背負い、ミヤムラシンゲキオーの「進撃」は止まらなかった。
続く舞台は、「日本ダービー」。「最も運のある馬が勝つ」と呼ばれるレース。そして、オーナーの圭介にとっても、騎手の鈴置にとっても、そして実は調教師の関にとっても、未だに「ダービー」だけは勝ったことがなかったのだ。
無傷の5連勝。「夢を乗せて走る馬」が、まさに歴史の創造者になろうとしていた。
一方、馬主エリアの端にいた、長沢春子は、珍しく感情を露わにしてはいなかった。
代わりに、
「悔しいけど強いわ、ミヤムラシンゲキオー」
と落胆したように呟いていた。
「オーナー」
珍しく落ち込む主に、黒服の男が心配そうに声をかけていた。
「けど、ナガハルホクトオーだって負けてない。次のダービーで巻き返すわよ」
「はい」
彼女の瞳から「怒り」の感情が消え、代わりに、冷静な「闘志」の炎が宿っていた。
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