第91話 伝説を創る馬

 彼らにとって、3度目の挑戦がやって来た。


 2008年6月1日(日) 東京10Rレース 東京優駿(日本ダービー)(GⅠ)(芝・2400m)、天気:晴れ、馬場:良


 場所は、東京都府中市にある、東京競馬場。

 

 もちろん、オーナーの圭介は、いつものように美里と相馬を連れて上京する。


 そして、運命の一戦にして、2005年のヴィットマン、2006年のグデーリアンに続く、3回目の挑戦となるが。


「兄貴。ミヤムラシンゲキオーが、単勝1.4倍ですよ。まさに快挙です」

 スポーツ新聞を見ながら興奮気味に、相馬が語るように、ミヤムラシンゲキオーが単勝1.4倍でダントツの1番人気。もちろん、これには皐月賞勝利を始め、デビュー以来、一度も負けていないという、「無敗の連勝記録」が影響していた。

 おまけに、子安ファームにとって、所有馬で歴代、最もオッズが低い記録になる。


「ナガハルホクトオーは、単勝2.4倍ね」

 美里もまた持ってきたスポーツ新聞を眺めていた。


 この2頭の他は、明らかにオッズに差がついており、3番人気以降は、二けたの10倍以上。つまり、両者の勝負に観客の期待が集中していた。


 鞍上も、ミヤムラシンゲキオーがリーディング3位で、初の日本ダービー制覇を目指す鈴置歳朗。対する、ナガハルホクトオーがリーディングトップで、日本ダービーをすでに別の馬で制している古谷静一。ある意味、この二人もライバル同士と言っていい関係だった。


 しかし、

「ただ、シンゲキオーはまた大外枠の8枠18番ですけどね」

 と、相馬が懸念しているように呟いていた。


「ナガハルホクトオーは、5枠11番ね」

 と、美里は冷静に語る。


 その美里に対し、彼、子安圭介はようやく重い腰を上げた。


 それが昨日の夜のこと。

 話は遡るが、日本ダービーを明日に控え、飛行機で早めに東京入りし、ホテルに泊まった彼ら。


 圭介は、夜遅い時間に、美里に携帯メールを送り、ホテルの1階ロビーに来るように指示していた。時刻はすでに夜の11時を回っており、圭介と同室だった相馬は、酒を飲んでいびきをかいていた。


「何なのよ、こんな時間に。明日、大事な一戦なのに」

 彼女は、不機嫌そうに、持参したスーツではなく、普段着のような薄いシャツとチノパン姿で現れた。


「ああ。実はな」

 ようやく圭介が、今まで渋っていたことに向き合う決心がついたのか、それでも恐る恐る口を開いた。


「明日の日本ダービーに、もしミヤムラシンゲキオーが勝ったら……」

「勝ったら? 何なのよ?」


「お前に大事な話がある」

「何よ、改まって」


「その時に話す」

「……。そう。まあ、いいけど」

 彼女、美里はわかっているのか、わかっていないのか、どちらとも取れるような眠そうな表情のまま、頷いていた。


 ヘタレな性分の圭介は、「縁起担ぎ」というか、「勢い」をつけるために、ミヤムラシンゲキオーが「勝ったら」という前提で動いたのだ。負ければ、この話はなくなるかもしれない、という腹づもりだった。


 そして、その運命の日本ダービー。


「シンゲキオーなら普通に勝つだろ」

「いやいや、ここでナガハルホクトオーが巻き返す」

「2400mは、シンゲキオーには長い」


 などなど、早くも観客の間から、そんな声が漏れてきていた。


 そして、パドックに行って見るも、ミヤムラシンゲキオーの馬体重は460キロほど。前走からプラス4キロ程度。

 トモの張りも、脚の運びも、圭介にはいつも通りに見えたし、相馬も、


「調子は良さそうに見えます」

 と、太鼓判を押していた。


 馬主エリアにたどり着くと、今回は「彼女たち」が待っていた。


「来たわね。遅い」

 と、不服そうに頬を膨らませている緒方マリヤ。


「やっほー。今日も予想するよ」

 いつも通りの明るい顔で、馬キャラの帽子の下から笑顔を見せる坂本美雪。


 珍しい取り合わせだったが、2人が彼を待っていた。

 仕方がないので、2人を馬主席に案内する。


 ちなみに、馬主席には小さなモニターがついており、広々としている。

 そこで、改めて予想を聞くと。


「まあ、普通に行けばミヤムラシンゲキオーだろうね」

「大外枠ですよ」


「そんなの大した問題じゃない。事実、皐月賞でも勝ったでしょ?」

「2400mは初めてですよ」


「それも関係ないね。彼は歴史を創る名馬になるよ。問題は、『勝つか負けるか』じゃなく『どう勝つか』くらいのもんだよ」

「すごいっすね、ミヤムラシンゲキオー」

 相馬が今さらながら、美雪の言葉に反応して、感動しているようだった。


「日本ダービーは『最も運のある馬が勝つ』レース。強運のあんたの運が試されるわね」

「もう俺の強運は、使い果たした気がするけどな」

 緒方マリヤからの声を、圭介は自重気味な笑顔で応じていた。


 実際、これをきっかけに美里への告白に踏み切ろうとしている、ヘタレ馬主の圭介は、本当のところでは、気が気ではなかった。

(勝てば告白、負ければ地獄)

 そんな気持ちで見ていたのだ。


 そんな中、3歳牡馬の頂点を決める、伝統の一戦が始まる。


 派手なファンファーレ、そして東京競馬場に集まった、10万人を越す大観衆が奏でる拍手と、喝采。


「スタートしました。まず先手を取るのは……」

 逃げ馬が先行するが、


「ミヤムラシンゲキオーは、7、8番手。絶好の位置。一方、ナガハルホクトオーは5番手を追走」

 レースはそのまま淀みなく進み、平均ペースより少し速いくらい。


 やがて、残り800m付近。ちょうど、府中名物の大欅を通過する頃。

「ここで、ミヤムラシンゲキオーが上がる」

 いつの間にか、ミヤムラシンゲキオーがスパートをかけて、4番手くらいまで上がっていた。一方、ライバルのナガハルホクトオーは3番手に上がる。


「最終コーナーを回って、坂を登る。残り400m」

 東京競馬場の観衆から、地鳴りのような雷鳴にも似た、歓声が沸き上がる中、「彼は」見せてくれたのだった。


「鞭が一発入って、残り200。ミヤムラシンゲキオーが先頭。ナガハルホクトオー、2番手」

 すでに実況自体が、このミヤムラシンゲキオーに注目していたのが、歴然としていた。


「あと100。ミヤムラシンゲキオー、二冠目前! 3馬身、4馬身のリード」

 そして、その瞬間が訪れる。


「圧勝です! ミヤムラシンゲキオー、見事、無敗で二冠制覇! 2着はナガハルホクトオー!」

 東京競馬場の観客が沸きに沸いていた。最終的に、ナガハルホクトオーに4馬身もつけて、ミヤムラシンゲキオーが圧勝。無敗の6連勝でダービーを制覇していた。


「おおーっ!」

「シンゲキオー」

 歓喜と驚愕の声が満ちる中、先頭を駆け抜けた、子安ファームの期待の稼ぎがしらは、レース後に、騎手の鈴置が前回と同じように観客の前まで馬を走らせ、頭上から今度は人差し指と中指の2本をピースのように立てていた。


「シンゲキオー!」

 シンゲキオーコールの嵐の中、彼は「二冠制覇」を宣言。続く菊花賞に期待は集まり、まさに歴史を創った名馬の最高潮を演出。


 ミヤムラシンゲキオーは、日本競馬史に燦然と輝く、「無敗での日本ダービー制覇」を成し遂げ、さらに「無敗三冠」の希望すら見えてきていた。


 感涙の涙を流していたのは、美里だった。

「……よくやったわ」

「ああ、シンゲキオーは素晴らしい」

「あんたの強運はまだまだ続くのね。おめでとう。そして、ありがとう。この東京で勝ってくれて」

 美里に続き、圭介が、そして緒方が呟く。


「次は菊花賞ですな。楽しみです」

「そうだね。でも、ちょっと気になるかな……」

 相馬は無邪気に喜んでいたが、実は美雪だけは気付いていた。ミヤムラシンゲキオーのゴール後の歩様にわずかだが、違和感があることに。


 獲得本賞金は、1億5000万円(※現在は3億円)。


 そして、ウィナーズサークルでの口取り式。


「やりました。ありがとうございます、オーナー。私にとっても初めてのダービー制覇です」

 感極まって、今にも泣きそうにも見える、鈴置騎手が目を潤ませながら挨拶をしてきた。


「いえいえ。こちらこそありがとうございます」

 そう返し、今度は調教師の関と向き合う。


「関先生。本当にありがとうございました」

「いえ。こちらこそありがとうございます。私にとっても、初のダービー制覇。調教師人生の中でも、彼は記憶に残る名馬です」

 控えめながらも、彼もまた感動しているようだった。


 そして、その後のインタビューの後。


 彼らは、競馬場を離れ、祝勝会をここ東京の府中市にある居酒屋で開いた。

 もちろん、ここには圭介以外、美里、相馬、美雪、緒方の姿があった。


 そこで、圭介は決意をする。

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