第25話 ダートの血

 2002年5月。


 今年も種付けの時期がやって来た。

 昨年は、子安ファームにとって、初めての「種付け」だったが、2年目のこの年からは割とスムーズになる。


 しかし、問題は、どの「種牡馬」をあてがうか、だった。


 現状、サクラノキセツ1頭しか繫殖牝馬がいないこの子安ファーム。


 選択肢は、慎重に選ばれた。


「そもそもあまり金をかけたくないから、1000万円以下で」

 最初に圭介がそう条件を提示し、目ぼしい種牡馬を、美里や相馬に探させた。


 現在のように、インターネットがまだそれほど発達しておらず、またそもそも「実物を見た方が確実」な種牡馬の選択。


 美里は、幅広い人脈を生かし、知り合いのツテから聞き出し、相馬は、競馬新聞や、過去のデータを持ち出した。


 そして、3日後。


「ヴィンディケイターがいいですね」

 まず相馬が発言した。


 ヴィンディケイター。英語で「擁護者」を意味するが、それよりもまず圭介は、

「血統、成績、値段は?」

 と、彼らにとって重要な要素を提示することを要求する。


「血統的には、4代前に世界的な大種牡馬がいます。さらにインブリードの血統を持ち、成績はダートで10戦中8勝、GⅡも3勝し、東京大賞典も勝ってます。値段は400万円です」

 淀みなく、彼が報告してきた。


 それを聞いていた圭介は、

(ダートの血か。東京大賞典を勝ってるとは面白い)

 と、ほくそ笑む。


 東京大賞典とは、1年に1回、大井競馬場で行われる、日本のダート競馬の1年を締め括る総決算レースだ。


 後に、国際GⅠに昇格となる(2011年から)が、この時はまだJpnⅠ(国内GⅠ)という扱いだったが、実質的にはGⅠと変わらない。また、優勝賞金8000万円と高額で、ダート界を代表する大レースと言える。


 競馬とは、何も「クラシック」のような王道路線を歩むのが全てではない。短距離路線やダート路線で強い馬を作っても面白いと圭介は考えた。


 圭介は、

「それにヴィンディケイターって名前がいいな」

 と笑顔のまま呟いた。


「どうしてよ?」

 不思議そうに首を傾げる美里に、彼は説明した。


「ヴィンディケイター。SB2U。恐らく第二次世界大戦で活躍した、アメリカの艦上爆撃機がモデルだろう」

「当時としては、画期的な急降下爆撃機ですね。イギリスではチェサピークとも呼ばれました」


「お、相馬さん。詳しいですね」

「侍の末裔として、軍事関係の知識は一通り把握しています」

 何故か、意気投合している男2人に美里は、


「この軍事オタクどもめ」

 と、飽きれながら、自らの成果を発表した。なお、当時、まだ「推し」という言葉自体が一般的ではなく、何かに熱狂する人たちのことを指す「オタク」という言葉が一般的で普及していた。


「私のオススメは、これよ」

 彼女は、ノートに細かく記載してきた。


「名前は、サジタリウス。インブリードじゃないけど、こっちも4代前に大種牡馬がいるわね。それに、成績も皐月賞1着、日本ダービー3着の好成績。2000mあたりで力を発揮しそうな血筋ね。価格は600万円」


「悪くはない」

 だが、圭介はそのノートを見て、頷いた。


「悪くはないどころか、優良物件よ」

 と、美里がしきりに薦めるものの、圭介は顔色を変えずに、


「だが、今回はヴィンディケイターで行く」

 と、決めてしまった。


「どうして? どうせならどっちも種付けを……」

 言いかけて美里は自らの言葉を飲み込んだ。


「まあ、そうしたいのは山々だが、金がないからな。次は考えよう。ちなみに、サジタリウスってのは、星座の名前だったよな」


「射手座のことよ」

「なるほどな」


 圭介は、気づいていた。

 美里が12月生まれで、射手座だったからだ。


 こうして、あっさりと種牡馬が決まり、その後、昨年と同じように、種牡馬を借りてきて、種付け作業を総動員して行い、無事に終了する。


 サクラノキセツは、体が丈夫なのが取り柄で、問題なく種付け後も、健康を維持していた。


 このヴィンディケイターとサクラノキセツの仔が、後に重要な戦いで名を挙げることになるのだが、それは別の話になる。

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