第12話 新しい馬

 それから数日経った、ある日の夕食。


 美里が明らかに不機嫌なオーラを放っており、圭介は声をかけづらいと思っていた。


 全員が住み込みで働いているこの子安ファームでは、オーナーの子安圭介が、

「せめて晩飯くらいは、みんな一緒に食べたい」

 という意向のもと、夕食のみ、リビングで全員が一堂に会することになっていた。


 これには、「従業員と親睦を深めたい」という理由の他に、「従業員に異変があったら気づける」と圭介が考えたからだった。


 朝食と昼食に関しては、個人の自由に任せているし、昼に関しては馬の飼育によって、時間が前後するのもあったからだ。牧場は朝が早いので、朝も各自に任せていた。


「なあ。あいつ、どうしたんだ?」

 明かな不機嫌オーラを放つ美里に声をかけづらかった圭介が、仕方なく、向かいの席にいた真尋に、ひそひそと問いかけると。


「んー。今日の昼に山寺さんが牧場に来たらしいんだ。それからだよねー」

「なんで俺に一言も報告がないんだ」

「そんなの知らなーい」

 圭介と真尋がやり取りをしていると、コホンと一つわざとらしい咳払いが聞こえた。


 美里が怖い目で見ていた。なお、無口な結城は、黙々と食事を食べているだけで言葉を発しない。


「どうでもいいけど聞こえてるわよ」

 と、冷たい目で制してから、彼女は語り出した。


「山寺の野郎がさ。1歳の幼駒を譲るって言ってきたのよ」

「いいじゃないか。譲ってもらえば」


「はあ? あんた、バカぁ?」

「何で?」


「あの山寺よ。何か魂胆があるに決まってんじゃない」

「そうかなあ」

 人を疑う美里と、疑わない圭介。意見が対立していた。


「大体怪しいのよね。ついこの間、250万円の駄馬だのなんだの馬鹿にしてきた奴よ。どうせ、ロクでもない馬を押しつけるに決まってる」

「だとしても、ウチには今、ミヤムラジョオウ1頭しかいない。贅沢は言ってられないんだ。譲ってもらえるなら譲ってもらえばいい。値段は?」


「まあ、格安って言ってたけど。それが逆に怪しいんだよね。絶対何かあると思う」

「いいんじゃないか、別に」


「はあ」

 溜め息が漏れていた。もちろん、美里の口から。


「あんたさあ」

「何だよ?」

 ジトっとした目つきで、彼女は圭介を睨んでいた。


「昔からお人しだったよね。そんなんだと、騙されるわよ。競馬界なんて騙し合いの世界なんだから」

 しかし、そう言われて笑顔で答えたのは、真尋だった。


「ミーちゃん。そこがオーちゃんのいいところじゃん」

「まあ、そうかもだけど……」


「微妙にバカにされてる気がするが。まあ、いい。明日、山寺さんに会えるか聞いてみてくれ」

「わかったわ」


 早速、美里が山寺の牧場に連絡をした。

 ちなみに、この山寺久志の牧場は、同じ三石町内にあり、わずか500メートルほどしか離れていなかった。


 翌日、午後。

 山寺久志は、わざわざ馬運車に馬を乗せて、子安ファームにやって来た。


 圭介が立ち合いを兼ねて美里に従って、山寺の元へと向かった。

「相変わらず貧相な牧場だな。馬の影すら見えないじゃないか」

 相変わらず一言多い、山寺に、美里は、


「今、厩舎に入ってるの。それより約束の馬は?」

「ああ、用意した。ただし、譲るのは1頭だけだ」

 彼が連れてきた馬は2頭だった。


 1頭は牡の1歳。大人しい馬で、全然暴れるそぶりも見せない。ふんふんと鼻を鳴らしていたが、馬運車の中で大人しくしていた。色は一般的な鹿毛かげ。頭にあまり毛がないのが特徴的だった。

 もう1頭は牝の1歳。こちらも大人しいが、どこかよそよそしいというか、落ち着きがなかった。こちらは黒鹿毛くろかげ


 山寺によると、

「こっちの牡は、血統は悪くないぞ。少し体が弱いところはあるがな。50万でどうだ。そして、こっちの牝は、父が重賞を制覇している。将来有望な牝馬だ。100万でどうだ」

 というものだった。


 普通に考えると、100万円の牝の方がよさそうに見える。

 その証拠に、美里が、

「どっちも本当に格安ね。どうせ在庫処分みたいなもんでしょ。だったら牝の方が……」

 と言いかけて、圭介が待ったをかけていた。


「一つだけ聞きます。山寺さん。どうして、馬を譲ろうと思ったんですか?」

「どうしてって、そりゃ決まってるだろ。貧相でかわいそうな庶民に、上級馬主である僕が、譲ってやろうと言うんだ。施しだよ」

 いちいち物言いが、腹立たしい山寺に、美里は今にもキレそうなほど、眉間に皺を寄せて、睨んでいたが、圭介の反応は違った。


「どちらの馬にも、疾患はないですよね?」

「ああ。僕は君らと違って、牧場内に獣医施設を持っている。体調面では問題ないよ」


「わかりました。では、50万円の牡の方で」

「ちょっと圭介」

 美里に睨まれていた圭介だったが、彼は意にも介さず、手続きを進めてしまう。


「やはりいやしい庶民らしい選択だな。より安い方を選ぶか。わかった。譲ろう」

 山寺は早速事務的な手続きを美里とやり取りし、早速、馬運車から、牡の2歳馬を降ろしてしまった。その後、早々に牧場から立ち去って行った。


 馬が降ろされ、厩務員の結城によって、厩舎に引っ張られていくのを見ていた美里が、改めて圭介に尋ねていた。


「どうして50万円の方を選んだの?」

 と。


「牝はミヤムラジョオウがいるだろ。それより牡が欲しかった」

「それだけ?」


「それだけだ」

「呆れた。あんた、相馬眼ゼロね」


「何だと。わからんぞ。将来、あの馬がダービーを制覇するかもしれないだろ」

「はいはい。せいぜい夢見てなさい。で、名前は?」


「あー。そうだな。もう1歳の馬だからデビューも近いのか。名前は、ミヤムラボウズだな」

「なに、その適当な名前。大体、何でボウズ?」


 猜疑心の籠った、呆れ気味の美里に、圭介は、ある例を出して説明を始めた。

「ああ。あいつを見た時にな。思ったんだよ。高校野球の球児に似てるって」

「はあ? だからボウズ。坊主頭ってこと? 適当ね」


「まあ、待て。いずれ覚醒するかもしれんだろ。将来はエースピッチャーみたいになるかもしれん」

 美里の盛大な溜め息が牧場の入口に漏れていた。


 なお、厩務員の真尋は、このミヤムラボウズを、

「可愛い!」

 と、いたく気に入ったらしく、ミヤムラジョオウ以上に、熱心に世話をすることになった。


 子安ファーム。持ち馬、2頭。

 彼らの競馬の将来は、前途多難だった。

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