第11話 ライバルと冠名

 男は、

「僕は三石町でオーナーブリーダーをやってる、山寺やまでら久志ひさし。君たちだね。最近、『子安ファーム』とかいう牧場を開いたのは」

 一見、丁寧な口調で言ってきた。


 それに騙されたのか、それとも彫の深い容姿の方に騙されたのか、秘書の美里は、相好を崩して、


「ええ、そうです。ご近所なんですね」

 などと普段は使わないような、ビジネス的な笑顔を見せていた。


 しかし。

「ああ、近所だよ。見たよ。なんて貧相な牧場なんだって思ったけどね」


「はあっ?」

 その瞬間、空気が変わった。

 そう思えるほど、美里が「怒っている」のを、付き合いの長い圭介は瞬時に感じ取って、彼女の元から少し離れていた。


「聞き間違いかしら。もう一度言って下さる?」

「ははは。だからだと言ったんだ。そりゃ、あんな小さな牧場じゃ、たった250万円ぽっちの駄馬しか買えないだろうな」


「なんですって!」

「おい、落ち着け、美里」

「でも!」

 一応、オーナーとして、知人として止めに入る圭介。


 その彼にも無遠慮な目が向けられた。

「君がオーナーか。何だ、大学生みたいな若造じゃないか」


「だったら何ですか? 若くてもオーナーブリーダーになれます」

 普段なら、面倒臭くてスルーするところだったが、さすがに牧場のことをバカにされて、圭介も黙っていられなくなっていた。少しだけだが、頭に血が上っていた。


「一体どんな汚い手を使って、大金を手に入れたのかは知らんが、悪いことは言わん。辞めた方がいい。オーナーブリーダーとは、限られた金持ちが優雅に遊ぶ、選ばれた者たちの遊びなんだ。君らのような貧相で、貧乏臭いオーナーに周りをうろつかれてはたまらんからな」

「言わせておけば……」

 美里が、今にも男に殴りかかりそうに前のめりになっているのを、さすがに圭介は手で止めていた。


 そして、その代わり、

「ちなみに、あなたの持ち馬はなんて名前ですか? 過去にどんなレースを勝ってますか?」

 と逆に聞いていた。


 一瞬、驚いたような目を見せた、山寺久志だったが、すぐに冷静さを取り戻したのか、語り出した。

「ヤマデラ、という冠名を聞いたことはないか?」


「ヤマデラ……」

「全然聞いたことないですけど」

 瞬時に答えられない圭介に変わって、美里が怒りに満ちた瞳で答えていた。


「よく聞け。ヤマデラクリスタルは、昨年のCBC賞を、ヤマデラスピードはその前の年の武蔵野ステークスを制している」

 CBC賞は、確か中京競馬場で行われる芝レースの重賞。武蔵野ステークスは、確か東京競馬場で行われるダートレースの重賞。

 それを思い出していた圭介だったが、この「ヤマデラクリスタル」、「ヤマデラスピード」にはあまり記憶というか、印象がなかった。


「あら、偉そうに言う割には、クラシックどころか、GⅠジーワンすら勝ってないんですね」

 売り言葉に買い言葉、という言葉があるが、まさに今、美里が山寺を挑発していた。見る見るうちに、山寺の表情が強張っていた。


「貴様、いい度胸だ。では、お前らは何を目指している?」

「決まってるわ。日本ダービーよ」


「美里」

 さすがに圭介は、反射的に注意していた。


 何しろ、そんなことを言った覚えはないし、正直、彼自身は、目指すべき目標がなかったし、日本ダービーなど考えてすらいなかったからだ。

 しかし美里は止まらなかった。


「言うだけなら誰でも出来る。そんな小学生でも買えるような駄馬で、日本ダービーを目指すなど、滑稽だな」

「小学生に250万円なんて出せません」

 言い合いになって、両者の間には火花が散っていた。


「まあまあ、2人とも。抑えて」

 仕方がないから、圭介が間に入る。


 ちなみに、相馬はどこ吹く風で、さっきから我関せずという感じで、競馬新聞を見て、日曜日のレースの予想をしていた。


「ふん。まあいい。せいぜい破産しないようにやることだな」

 捨て台詞を残して、男、山寺は去って行った。


 その背に、まるで親のかたきでも見るように、美里がナイフのように鋭い目線を向けていた。


 馬を引き取る手続きをして、馬運車を用意してもらった後、彼らは来た時と同じように車に乗り込む。


 帰りがてら、山寺と、そして別の話となった。

「しかし、ムカつく男ね。絶対、負けないんだから」

 気が強い美里が、さっきから不機嫌なオーラを全開に出していて、操縦席に座る圭介は、助手席からその怒りのオーラを受け取るように、浴びていた。


「まあ、落ち着け。近所なんだ。仲良くしろ、とまでは言わないが、今後、付き合いがあるかもしれないだろ」

「知らないわ、そんなこと」

 彼女は、にべもない、というか、ずっと怒ったままだった。


(こいつは不機嫌になると長い)

 昔から知っている圭介が、不満な気持ちに陥る中、車を走らせる。


 しばらくして、おもむろに彼女が口を開いた。

「ねえ、圭介」

「なんだ?」


「そう言えば馬の名前って、考えてる?」

「いや」


「ちゃんと考えてよね。私はともかく、マーちゃんは馬好きだから、変な名前をつけたら悲しむから」

「面倒だ。名前なんて、適当でいいだろ」

 その一言が、マズかったが、もう後の祭りだった。


「ダメよ。ちゃんと考えて」

「面倒臭えな。じゃ、冠名をつけるか」


「いいけど、すでにある冠名はダメよ」

「ああ。わかってる」

 それは知っていると思いながらも、今すぐに考え付くものではなかったし、どれが被っているのかわからないため、圭介は一旦は保留にして帰宅することにした。


 家に着いて、すぐに到着した1歳の幼駒、カスタネットソングの1999を見た、厩務員のマーちゃんこと、林原真尋は、


「来た来た! 可愛い!」

 と、早くも彼女にぞっこんの様子だった。


「可愛い名前をつけてあげてね」

 と、オーナーの圭介は言われて、苦笑していた。


 翌日、朝。

 圭介は、前日に調べたことの報告も兼ねて、リビングに美里、真尋、結城の3人を集めた。ちなみに相馬はセリの時だけの臨時要員で、別に従業員ですらなかった。


「冠名を考えた」

 それが発表内容だったが。

 その冠名に、誰しも驚くことになる。


「適当なあんたのことだから、どうせ『コヤス』って冠名つけて、『コヤスデラックス』とかつけるんでしょ」

 早くも予想していたのか、美里が発言するが、それに圭介は首を振った。


「ミヤムラだ」

「はあっ? ミヤムラ? なんで?」

 恥ずかしさと、戸惑いと、自分でもよくわからない複雑な感情が入り混じったような、怒ったような顔で、美里が吠えていた。


「落ち着け、美里」

「いや、だって……」


「コヤスってのは、3文字だろ。なんかしっくりこなくてな」

「しっくりって……。でもそれじゃ、レースのたびに、毎回私の苗字を呼ばれるみたいじゃない」


「まあ、ミサトよりはいいだろ。ちなみにミサトはすでに冠名として使っている人がいるから却下だ」

「聞いてない」

 美里の機嫌が悪くなる予兆を感じて、渋々ながらも圭介は続きを説明する。


「俺が知ってる強い馬は、いずれも冠名が『4文字』なんだ。まあ、縁起担ぎみたいなもんだ」

「ねえ、オーちゃん。それで、昨日、来た仔の名前は?」

 相変わらずオーナーの圭介のことを「オーちゃん」と略す、元コギャル女子が尋ねてくる。


「ああ。一応考えた。ミヤムラジョオウだ」

「あはははっ! 女王って、ウケる!」

 真尋の盛大な笑い声が響いていた。


「女王って、何よ! あんた、私のこと、バカにしてんの!」

 一方、圭介は胸倉を美里に捕まれて、凄まれていた。


「待て待て、美里。あの面構つらがまえを見ただろ。いかにも強そうだった」

 圭介が慌てて説明する。


 昨日、入手した馬、カスタネットソングの1999は、相馬眼を持つ男、相馬に言わせると、


「肉付きがよくて、足腰が強そう。トモに張りもある。きっといい競走馬になる」

 だった。


 実際、昨日、厩舎に来てから圭介は彼女に会いに行った。

 まだ1歳の幼駒だが、足腰がどっしりしていて、気が強い馬で、圭介が近くに行ったら、噛まれそうになっていた。

 「暴れ馬」というほどではないが、牝馬にしては力も強そうだ。


「だからって、女王って」

「いや。じゃじゃ馬っぷりが誰かさんにそっくりだったからな。本当は『女王様』にする予定だったんだけど」


「あはははっ!」

「圭介! あんた!」


 圭介は美里に頭を叩かれていた。しかし、ひるまず圭介が笑いながら続ける。


「いや、だってあれだけ強そうだし。でもな、残念ながら競走馬名は『カタカナ9文字まで』という決まりがあってな。『』だと10文字で、1文字越えちゃうんだ。だから泣く泣く、『ミヤムラジョオウ』にしたんだ」


「マジ、受ける! オーちゃん、最高!」

「覚えてなさいよ、圭介!」

 真尋は涙を出して、腹を抱えて笑い、逆に美里は顔を紅潮させながら怒りを露わにしていた。


 こうして、彼らにとって、「初めての馬」の名前が決まる。


 ある意味、運命の馬、ミヤムラジョオウ。デビューは1年後になる。

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