第10話 初めてのセール
セレクトセール。
つまり、「競走馬のセリ」のことで、正確には今回のセールは、「幼駒(0歳、1歳)」が対象だが、それ以外にも、繁殖牝馬、引退した種牡馬を対象とした物もあり、この手のセリは一年に数回行われるのが通常だ。
(※7月に行われるのがセレクトセール。それ以外は別の名前を冠するセールが一般的)
場所は、オーナーブリーダーや馬主が多く集まる、北海道の大きな牧場周辺か、広い敷地を持つオーナーブリーダーの牧場を借りることが多いが、特に規定はない。
その年、2000年7月に行われたセレクトセールは、
そこに、秘書となっていた美里と、怪しい相馬眼を持つ相馬慎三郎を連れて行った、圭介。
「ほう。思った以上にデカいな」
まずその雰囲気に驚いた。
名づけたばかりのおんぼろ牧場、「子安ファーム」とは比較にならないくらい大きな敷地を持つ、見るからに「金持ち」の牧場。
芝生はよく手入れされてあり、牧場施設も大きく、立派で、厩舎なんてついでに観光牧場でも開けそうなくらい巨大なものだった。
「どれだけ稼いでるんだ、ここは?」
「いいからさっさと行くわよ」
珍しく夏用のスーツに、半袖のYシャツ姿の彼女は、「秘書」というものを意識しているのかもしれない。
相馬は、無言のままだったが、何故か薄ら笑いを浮かべていた。何を考えているかわからない相馬を、圭介は不気味とすら思うのだった。
セレクトセールは、ちょうど競馬場のパドックのような円形のスペースに、対象となる馬を入れて行われる。
つまり、その周囲にオーナーブリーダーや馬主、そしてその関係者が遠巻きに並ぶ。
もちろん、成長した馬の場合も、幼駒の場合も、手綱と
当然ながら、開業したばかりの彼らには、まだ競馬関係者の知り合いがいないに等しい。
胸を借りるつもりで参加する。
始まると、すぐにセリが開始されると思いきや。
まずは、競馬のレース前のパドックのように、それぞれの馬を見せるところから始まった。
つまり、対象となる馬を関係者が引っ張ってきて、購買者である馬主に見せて、その上で、セリに参加する人を募集するという流れらしい。
様々な馬が次々に入ってきて、その都度、係員がマイクで説明してくれるのだった。
今回は、幼駒セールのため、まだ0歳や1歳の馬が対象だ。
(可愛い)
と、純粋に思えるほど、幼い馬たちは可愛いのだが、そうは言っても、これは「将来のサラブレッド」のセールだ。
競馬の世界とは、実に過酷なもので、「売れなければ処分される」馬すらいるという。つまり、ある意味、「動物虐待」に近い、人間の都合のいい、経済動物がサラブレッドだ。
過去には、GⅠのような大きなレースを勝ったのに、引退後の行方が不明で、人間に殺されたのでは、と噂された馬までいたという。
とりあえず、初めてということで、圭介は何となくぼんやりと眺めながら参加していた。
一応、血統に関しては、そこそこの知識があったし、競馬の歴史についても多少の知識があった。
その中で、特に注目されている馬が、モンテスキューという牡馬の仔馬だった。このモンテスキューは、1985年に中央競馬界でクラシック三冠を制覇している。つまり、「三冠馬」の血を引く仔だ。
(恐らく一番高値がつく。買えないなあ)
今のカツカツ、ギリギリの生活の圭介には、到底手が届かない。
他に、GⅠを4勝した、クロムウェルという馬の仔も人気がありそうだった。さらに、親子2代連続で優駿牝馬(オークス)を制覇したクレオパトラという牝馬の仔も人気があると思われた。
ひとまず「見世物」に近いような、展覧会のようなものは終わった。
この後、場所を移して、いよいよ「希望者」によるセリになるという。
そこで、圭介は2人に相談する。
「どの仔も将来性ありそうだな。特にモンテスキュー、クロムウェルなんて名馬中の名馬だろ。その仔を所有できるなんて、やっぱりオーナーブリーダーは夢があるなあ」
遠い目をして、恍惚とした表情を浮かべる圭介に、横からカミソリのように鋭い声がかかった。
「言っておくけど、どれも買えないわよ」
もちろん美里だった。
「なんで?」
「当たり前じゃない。私たちの持ち金は、約1億円。そこから各種費用が引かれる。なのに血統がいい、名馬の仔を競ったらどうなることか」
「どうなるんだ?」
「破産ね」
「破産!」
と、一応は驚いて見せたが、もちろん圭介にもわかっている。
わかっているが、少しだけ夢を見たかっただけだった。仕方がないから現実に戻ることにした。
「ちなみに、モンテスキューやクロムウェルの仔は、いくらくらいになりそうだ?」
「数千万円から1億円は固いかな」
「マジで!」
「マジで。下手したら2億行くかも」
「大赤字だな」
「だから無理だって」
圭介はさっきから黙って考え事をしているような、40がらみのおっさんに聞いてみることにした。
「相馬さんの目には、どの馬がいいと映りましたか?」
内心、疑ってはいたが、一応、「相馬一族」の末裔らしいから、馬を見る目があるのかもしれない、と期待したのだ。
「……ゴーマイウェイの仔ですね」
一瞬、どの馬かわからなかった。
慌てて、圭介と美里は、関係者用に配布された、セール参加馬の一覧を手に取り、血統表を確認した。
(ゴーマイウェイ、ゴーマイウェイ。聞いたことない)
それもそのはず。
ゴーマイウェイは、暴れ馬として有名で、数年前にかろうじて重賞を1勝だけ制覇したが、その仔は、完全に鳴かず飛ばず。
血統も良くないから、「零細血統」と言っていい。
競馬には、この「血統」が最も重要視される。
つまり、例えばインブリードと言って、5世代前までに同じ馬が2頭いるなど、特殊な条件の方が人気が出る。
特にモンテスキューの仔は、このインブリード配合を持っていた。
しかし、ようやく見つけたそのゴーマイウェイの血統は、もちろんインブリードではなかった。それどころか、親にもその親にも有名な馬が1頭もいない。
美里は、そんな相馬の一言に、肩をすくめるように、両手の掌を天に向けていた。
(つまり、適当にしろ、ってことか)
ちなみに、このゴーマイウェイの仔は、牝で、綺麗な
セールが始まった。
今度は場所を移して、室内で行われる。もちろん馬を入れるため、柵が設けられた体育館のような大きなホールに、対象となる馬を順番に入れ、関係者は柵の外から見守るか、セリに参加する。
予想通りと言えば、予想通りだが、名馬の血統を継ぐ、モンテスキューやクロムウェル、母型だとクレオパトラの仔などは、あっという間にセリ金額が上がり、軽く1億円を超えていた。
そんな中、彼らが参加したセリは。
「では、カスタネットソングの1999。行きます」
セリを仕切る、蝶ネクタイの男がマイクを手に取る。
通常、セリのルールというか、競走馬のルールとして、「母の名前+生まれた年」という呼び方がある。
つまり、競走馬にもなっていない彼ら、彼女らはまだ名前がないので、便宜的に「母の名前と生まれた年」で判別する。
この場合、父の名前がゴーマイウェイ、母の名前がカスタネットソングの子供で、1999年生まれの意味で、判別される。
早速、
「では、参りましょう。100万円から」
案内人がマイクを手に語る。
実際、この馬はたったの100万円からのスタートだった。
名馬のモンテスキューやクロムウェルの仔などは、最初から1000万円からスタートしたりするので、レベルが違う。
そして、予想通りと言うべきか、
「150万円」
「200万円」
かろうじて、2人の馬主が声を上げた。だが、表情を見てわかるように、あまり乗り気ではないように見えた。
「250万円!」
その証拠に圭介が声を上げると、あっさりと引いてしまい、それ以降、誰も手を挙げなかった。
「他にいませんか? では、子安ファームさんに落札で決定です」
落札を意味する「カーン」という鐘の音がホールに響き渡る。
圭介がオーナーブリーダーとして、初めて幼駒を落札した瞬間だった。
初めの一歩。千里の道も一歩より。
ここがスタートラインだった。
そのセリが終わった後。
幼駒引き取りの手続きを終えて、厩舎に繋がれているその仔を引き取りに行く途中で、彼らはある男から声をかけられた。
「やあ」
彼らより10歳以上年上と思われる30代後半くらいの男だった。
見た目より若そうに見える、艶のある髪に、少し彫が深い、西洋人の血を引くような端正な顔立ちをした、そこそこハンサムな男だったが、この男との出逢いが「きっかけ」となる。
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