第73話 珍客と収益

 種付け前の4月に、ギリギリ、アペカムイという繁殖牝馬を入手した子安ファーム。


 その年の種付けは、サクラノキセツ、ナイチンゲール、ヨウシタンレイ、そしてアペカムイと、子安ファーム始まって以来最大の規模になった。


 種付けには、今回、特別に坂本美雪を呼び寄せ、血統に関するアドバイスももらいつつ、順調にこなす。


 その年は、クラシック戦線に縁がなかった彼ら。


 だが、1頭だけ、別路線で「抜きんでた」馬がいた。


 ミヤムラオペラだ。


 牝ながら大柄で、力強い走りをする彼女は、昨年夏のデビュー以来、少し停滞気味だったが、今年に入ってからが、抜群の伸びを見せたのだ。


 500万下、オープンを立て続けに連勝。


 こちらも関西の立木厩舎に預け、何の因果か、ヴィットマンと同じ池田騎手に任されていた。


 その立木厩舎から連絡が来たのは、4月中旬頃だった。

「オーナー」

「これは、立木先生。どうしました?」

 立木の声は思いのほか、明るかった。


「ミヤムラオペラの次走が決まった」

「どのレースですか?」


「NHKマイルや」

 NHKマイルカップ。3歳限定のマイル戦で、クラシックの影に隠れているが、立派なGⅠだ。

 もし、勝てば今度こそ子安ファームにとって、「初のGⅠ制覇」となる。


「やはりマイルですか?」

 そう尋ねたのは、圭介自身が、任せていた立木厩舎のレースを相談して決めていたからだが、ミヤムラオペラはデビュー戦が1200m。それ以降、2000m以上のレースでは一度も「勝てていない」ことが影響していた。

 つまり、先の500万下も、オープンも、1600m以下のマイル・短距離レースばかりだったから、こちらに適性があると見るのも当然だった。


「ああ。オーナーも知っとると思うんやが、オペラは短距離、マイルで力を発揮するタイプや」

「勝てそうですか?」

 核心を突く質問を躊躇なく投げる、圭介に電話口の立木の声は、思ったより明るいものだった。


「それはさすがに断言はできん。ただ、オペラは、ヴィットマンとは真逆の意味で、『速い』馬や。もちろん、1着は狙う」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」


「任しとき」

 妙に明るい声を上げる、立木から、圭介は、ミヤムラオペラの本番レースに期待を込める。それに、「オペラ」と親しみを込めて呼んでくれることに、少しばかり嬉しかったのもあった。


 この年の春。


 子安ファームに、またも「奇妙な」出来事が起こる。


「ニャー」

 ある春の日のこと。


 放牧場に、見知らぬ猫が舞い込んできた。綺麗な毛ヅヤを持つ、黒猫だったので、一瞬、どこかの飼い猫かと思ったが、首輪はついていなかった。少しふっくらとした小太りをした成猫だったが、目元が愛くるしい猫だった。


 なお、西洋では「黒猫は魔女の使い魔」などと言われ、不吉と言われるが、実は日本では古くから「福猫」とされ、実際にはクールに見えても、フレンドリーな性格のタイプが多く、特にオスの方がマイペースかつ甘えん坊であると言われる。メスはオスよりは警戒心を持つものの、飼い主に対しては友好的と言われる。


「この子、どこの猫かしら?」

「ちょっと聞いてくるよ」

 美里が、そして真尋が疑問に思い、真尋がその日のうちに周囲の家に聞いて回ったが、どの家からも「ウチでは飼っていない」との回答だった。


 そもそも寒い北海道に「野良猫」は珍しいのだ。


 その不思議な黒猫は、その日だけたまたま迷い込んだのか、しばらくは牧場に姿を見せなかった。

 つまり、本当にただの偶然だと思ったのだが。


 4日後。

「ウニャー」

 今度は、勝手に厩舎に入っていた。


 しかも、猫は引退して引き取った、ミヤムラシャチョウ、ミヤムラオジョウを怖がることなく、接近。


 特に、ミヤムラシャチョウがお気に入りのようで、最初は周りをぐるぐると回っていたのに、いつの間にか、ミヤムラシャチョウの背中に乗っている有り様。ミヤムラシャチョウも嫌がらない様子だった。


 圭介が、牧場長で厩舎の掃除をしていた、真尋に、

「またあの猫、来てるのか?」

 と、尋ねると、


「あ、オーちゃん。ネネちゃんだね。シャチョウくんがお気に入りらしいよ」

「ネネちゃん? 名前までつけたのか? っていうかメスだったんだな」

 真尋は笑顔で説明してくれるのだった。


「そうだよ。それに黒猫は人懐こい子が多いんだよ。この子、可愛いでしょ。ウチで飼ってもいいでしょ?」

「もう飼ってるようなもんだろ。ちゃんと面倒見ろよ」

 呆れて両手を天に上げる圭介に、真尋は笑いながらも、


「ありがとう」

 と呟く。


 そして、その真尋に対して、すぐ傍にいた結城が発した一言が、さらなるきっかけを産むことになる。

「どうせなら、馬と一緒に写真撮って、売ったらどうです?」

 珍しく、無口な結城が発した一言に、今度はたまたま通りかかった、美里が反応していた。


「それ、いいかも」


 早速、デジカメを使って撮影し、試しに出版社に依頼をかけてみると、「馬と猫」という珍しい題材ということで、請け負ってもらうことが出来た。


 当時は、まだ「SNS」が普及していない時代だ。


 だが、インターネットの「掲示板」や「チャット」の口コミによって、それが拡散し、出版した写真集「ミヤムラシャチョウとネネ」が売れ、いつの間にか、この北海道までわざわざ「馬と猫」を見る観光客が訪れるようになった。


 それを見ていて、商魂逞しいというか、あざといというか、美里がある時、提案してきた。


「宿を始めよう」

 と。


「ええー。ただでさえ経営大変なのに?」

 当然、オーナーの圭介は反対していたが。


「大丈夫よ。客は馬と猫さえ見れればそれでいいんだから。ご飯は出すの面倒だから、素泊まりで、格安にすればそれなりに人も来るわ」

 と、あっという間にプランをまとめて、手続きを始めてしまうのだった。


 ただし、「宿を始める」と言っても。


1. 自治体の旅館業法窓口に相談に行く

2. 旅館業営業許可申請書を提出する

3. 建物の建設と内装工事を行う

4. 保健所・消防の調査を受ける

5. 営業許可証の交付を受け、営業を開始する


 という面倒な手続きがあり、それだけで時間がかかり、実際の開設は、6月以降にずれ込んだ。

 結局、1泊一人4000円という格安価格で宿を始めることになり、牧場の生活空間に使っている建物の一部を改装して、宿にしたが、それでも少人数だけが泊れる、非常に質素な物になった。


 収益の足しとしては、少ないながらも、猫のネネのお陰か、客の入りは思ったよりも悪くはなかった。もっとも副収入としては、微々たる物で、ほとんど「宣伝用」に使っていただけだったが。


 そして、運命の「NHKマイルカップ」が目前に迫ろうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る