第14話 新しい仲間と、結城の過去

 こうしてようやく、デビューさせるための、早い話が「資金源」となる幼駒を2頭入手した圭介だったが。


 今度は、別の問題が発生した。

 それは「人」の問題だった。


「圭介。相談があるんだけど」

「何だ?」

 2000年11月。秋が深まるというより、北海道ではもうほとんど初冬のこの時期。実際に雪がちらちらと降る日だった。


 美里が、珍しく神妙な面持ちで、オーナーである圭介の執務室に一人でやって来た。


「相馬さんって、覚えてるでしょ」

「ああ。セリの時に来た、怪しいおっさんだろ」


「そう。その相馬さんがここで働きたいって言うんだけど、どう?」

「どうって言われても、今、ギリギリだから高い給料は払えないぞ」

 相馬の年齢が40代ということを考慮すると、それなりに年齢に見合った給料になるだろう、と予測して、先手を打った圭介だったが。


 美里の口からは驚くべき回答が返ってきたのだ。

「ああ、それなら心配いらないわ。最低賃金の時給600円台でいいって」

「マジで。どうなってんだ、それ」

 正直、発言を疑いたくなる圭介。


 40代にもなって、時給600円台はありえない。いくら北海道の最低賃金が全国的には低いとはいえ、妻子を抱える40代でその値段ではやっていけない。もっとも相馬に妻子がいるかも不明だったが、それでも年齢に見合っていない。

 ちなみに、2000年当時の、北海道の最低時給は、633円。全国的に圧倒的に低かった。


 すると、彼女は遠慮がちに小声で説明するのだった。

「いや、実はさ。言いにくいんだけど、相馬さん、競馬で負けてサラ金に借金があるらしいのよ。おまけに、それがバレて本業がクビになったから、ここで働きたいって」

「本業って、何やってたの?」


「さあ」

「さあ、って」

 呆れる圭介に、彼女は笑いながら告げた。


「あの人がどんな仕事してたか、実は私も知らないんだ。妻子がいるかどうかもわからない。とにかく、このままだと借金取りに追われそうだ、って私に連絡してきた」

「はあ」

 いつもとは逆に圭介が溜め息を突いていた。


(要はダメ人間ってことだろ。しょうがないな。厩務員として働いてもらうか)

 ただでさえ、牧場の仕事は敬遠されがちな重労働だ。朝は早いし、住み込みの仕事で、若い世代はやりたがらない。人員が増えることに越したことはない。


 仕方がないから、圭介は相馬を雇うことにした。

 だが、規定は「非正社員」、つまりアルバイトという立場にした。経営が危うくなればいつでも切るつもりだった。時給は最低の633円。


 早速、翌日、その相馬がやって来た。薄汚れたジャケットを着て、不精髭を生やした、ヒグマのような風貌になった相馬は、圭介の前で、


「ありがとうございます。この御恩は一生忘れません、兄貴」

 と、どこぞのヤクザ映画のセリフ回しのように述べて、頭を下げてきたから、さすがに圭介は、


「兄貴はやめてださい」

 とだけ、笑いながら告げていた。


 こうして、4人目の従業員として、相馬慎三郎が加わる。


 そして、もう一人の男の問題があった。

 結城だ。


 無口で無表情だが、仕事はきっちりこなすところがある、その結城がある時、3日連続で無断欠勤をした。


(ありえない)

 と、雇い主としては思うだろうし、普通はクビだろう。


 実際、圭介は心配になって、彼の携帯電話に連絡を取ったが、いずれも「電波が届かないところにいるか、電源が入っていないため、かかりません」という応答だった。


 早い話、失踪を疑うし、嫌気が差して逃げたと考えてもおかしくない。


 ところが、3日目の夜。

 圭介のところに、結城から折り返しがあった。


「どうした、結城?」

 美里は、怒って、「クビにしろ」と言っていたが、圭介はつとめて冷静に彼に尋ねていた。


「本当に申し訳ありません」

 から始まった、彼の独白。


 しかし、圭介はそれを聞いているうちに、自然と涙が出てくるのだった。


 彼の語った内容は、「北海道の闇」の部分に当たると言っていい。


 彼、結城亨の両親は、日高町で酪農の仕事をしていた。いわゆる酪農家だ。

 ところが、ここ数年、ずっと営業利益が落ち込んでおり、生活に困窮していたらしい。そのため、両親の足しになれば、と親思いの結城はこの牧場の厩務員として応募してきたという。


 思えば、最初から暗く、影があると思ったのは、そうした家庭環境が影響していたのだろう。


 そして、ついにそれは起こってしまった。


 結城は3日前、警察に呼ばれたという。


 指定された場所は、日高町にある牧場。つまり結城の実家だ。

 そこで、彼が見たものは、凄絶だった。


「一家心中」


 つまり、両親は首をくくって、共に自殺。牧場から乳牛がいなくなって閑散としていた。

 北海道では、ある時期、特にこうした「酪農家の廃業」が多く、その多くが「自殺」に追い込まれている。


 それだけ経営が厳しいという側面があった。


 兄弟がいない一人っ子の結城は、警察から事情聴取を受け、さらに遺産相続(と言っても借金ばかり)を終え、さらに両親の葬式を行い、結果的に3日経っていたらしい。


 さすがに、圭介は涙が止まらなかった。

「そうか……。すまん。正直、お前が逃げた、と疑ってしまった」

「無理もありません。ですが、カタはつきました。明日からきちんと働きますので、今回のことはどうか……」


「ああ。わかった」

 涙声になりながら、圭介は結城の無断欠勤のことを許した。


 お人好しと言えば、それまでだが、彼には結城の気持ちを思うと、どうしてもやりきれない物があった。


 一応、他の従業員にもこの件を圭介から説明する。


「まあ、仕方がないわね。それでも連絡くらいして欲しかったけど」

 と、尚も不服そうな美里に対して、


「結城さん。かわいそう」

 意外にも、元コギャルの真尋が一番悲しそうにして、今にも泣きそうな顔をしていた。


 一方、相馬だけはどこ吹く風という感じで、いつものように競馬新聞を眺めていた。

 ちなみに、中央競馬に関係がある、騎手・調教師・厩務員などは馬券を買えないが、馬主・生産者・牧場関係者は中央・地方問わず馬券を買うことが出来る。

 借金があるくせに、相馬はたびたび馬券を買いに、門別にある場外馬券場や競馬場に出向いていたことを、実は美里は知っていた。

 季節は冬へと進んで行く。

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