第2話 1億円の使い道

 電話に出た女性、彼女の名は宮村みやむら美里みさと

 子安圭介と同じ大学に通う、19歳の学生だった。


 二人は、言わば「腐れ縁」だった。

 何の因果か、高校時代はひたすらずっとクラスが一緒になっていたし、大学の学部や学科、さらに大半の選択授業まで一緒になっていた。


 彼らの通う高校は、札幌市内にある私立高校だったが、大学はすぐ隣にあり、系列校のため、推薦枠に入れば、多くの学生がその系列大学に行ける。


 二人ともその道をたどったのだ。


 大学も私立大学のため、学費は高い。


 景気が回復しないまま30年以上も経った現代とは違い、その当時、まだ彼らの親世代にはお金に余裕があった。


 その宮村美里が、不機嫌そうな声を上げていた。

「何?」


「あ、あのな」

 渋々ながらも、声を出す圭介だが、声が若干震えていた。


 それは、事があまりにも想定外に大きいからだ。


「要件を早く言って。私は忙しいの」

 明らかに不機嫌だ。


 そう。彼女、美里は、当時まだ言葉すらなかったが「ツンデレ」気質な性格だったからだ。

 男勝りで、常に強気。


 そのため、サバサバしていて、女性に人気があったし、男性の圭介にとっても、ある意味「男友達」のように接することが出来る、付き合いやすい女ではあった。


 もっとも、「彼女」でも何でもなかったが。


「落ち着いてよく聞け」

「だから何?」


「1億円が当たった」

「はっ?」


「だから1億円が……」

「悪いけど、冗談を聞いてる暇はないの。要件はそれだけ? じゃ」


「ちょっと待て!」

「何?」


「マジなんだ。マジで宝くじで1億円が当たったんだよ!」

 その必死な叫びに、叫んだ彼自身がハッと我に返った。


 もし、隣室の大学生が今の叫び声を聞いていたら、下手したら襲われかねない。

 数瞬の沈黙の後。


 電話口から、押し殺したような、彼女の低い声が聞こえてきた。

「……ちょっと会いましょうか」

 頷く圭介。


 幸い、彼女も実家を離れて一人暮らしをしていた。

 しかも運良く、今は二人とも実家からそれぞれの家に戻っていた。


 すぐに二人が共に行きやすい、札幌市豊平区にある喫茶店が選ばれた。


「じゃ、そういうことで」

 あっさりと彼女は電話を切った。


 圭介は、一応、外行きの服を用意し、防寒着を着て外に出た。


 真冬の1月である。

 寒冷地の北海道は、すでに根雪と言って、数メートル規模の雪が積もっている。その中を寮から歩いて地下鉄の駅方面にある喫茶店に向かった。


 喫茶店に着くと、美里はすでに窓際の席に座っていた。その手にコーヒーカップが握られている。


 美里は、切れ長の目を持つ、パッと見は「宝塚の劇団の男役」のようにも見える容姿をしている。綺麗と言うより、「カッコいい」が似合うような女だが、スタイルがよく、綺麗に整えられたセミロングの髪と白いセーターに、赤いロングスカート姿が、清潔感を感じさせる。


 その彼女は、遅れてきた圭介が、座席の向かい側で謝っても、

「いいから、さっさと注文頼んできて」

 と、やはり不機嫌だった。


 同じくブレンドコーヒーのホットを頼んで、美里の向かい側に座った圭介は、コートを脱いで、椅子の背もたれに引っかける。


 あらかじめ、美里から「宝くじの当選券を持ってきて」と頼まれていたため、それをおずおずと差し出した。


 美里は、それを手に取り、わざわざ持ってきた新聞を開く。


 数瞬後。

「嘘は言ってないみたいね」

 彼に比べ、彼女は驚くほど冷静だった。


「だから言っただろ」

「で、どうするの?」


「それを相談しに来た」

「なるほどね」

 美里は考え込んだ。


 彼女は、頭が良かった。頭の回転が速い。

 彼女の頭の中では、性格をよく知っている、この腐れ縁の男の内面の分析を開始していた。


 そしてあっという間に決断が下される。その間、たったの1、2分。


「ちょっと考えるから、3日後に連絡するわ」

 何を思ったのか、それだけを言って、さっさとコーヒーを飲んで席を立った。


「ちょっと待て。それだけか?」

 すでに脱いだコートを手に取っている、美里に向かって、圭介は慌てて叫ぶように呼び止めるが。


「言ったでしょ。今、レポートとバイトで忙しいの。3日くらい待てるでしょ」

「待てるけど……」

 何か言いたげな圭介の鼻先に、美里は人差し指を突きつけて、


「ただし!」

 と言って、言葉を繋いだ。


「銀行から連絡が来ても、一切断ること。それと、悪いようにはしないから、私の決断を聞くまでは誰にも話さず、お金は銀行に入れておくこと」

 それが彼女の初の「指令」だった。


「わかった」

 圭介は、自分が情けないと思いつつも、これに従うことを決意する。


 その後の3日間は、彼にはある意味、地獄だった。

(1億円、1億円。俺はもう人生勝ち組だ)

 使いたくて、使いたくてウズウズしていた。


 そして、その使い道を妄想するあまり、ほとんど彼は「上の空」だった。幸い、冬が長い北海道では、まだ冬季休暇が続いている。

 バイトをしていなかった彼は、悶々とテレビゲームをして過ごしていた。


 銀行からは予想通り、ひっきりなしに電話がかかってきた。


「是非、投資を……」

「是非、資産運用を……」

 銀行の預貯金が1000万円以上でも、こうした電話がかかってくる。言わば銀行にとって「上客」だからだ。まして1億円の大金なら尚更だった。


 その電話を、圭介は美里に言われるまま、全て断っていた。


 3日後、夕方。

 不意に美里から電話が来た。


「決まったわ、使い道」

「何だ?」


「馬主よ」

「はっ? 馬主?」

 今度は、圭介が言葉を失っていた。


 「バヌシ、ウマヌシ、バシュ」。色々な読み方があるが、要は競馬界における、サラブレッドのオーナー業のことを指す。


 その続きを促すまでもなく、彼女が冷静な声で続けた。


「詳しい話をしたいから、この間行った喫茶店に、今から来てくれる?」

 不満はありながらも、それを言わずに圭介は頷いた。


 数十分後。


 今度は、圭介の方が早く着き、そわそわしながらも、彼女を待った。

 美里は5分ほどして到着した。


 コーヒーを注文し、座席でコートを脱ぎ、今日は淡いピンク色のセーターにブルージーンズ姿の格好を見せる。


 そして、彼女の「説明」が始まった。

 それは驚くべき内容だったのだ。

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