第7章 試練の季節から追い風へ

第39話 資金難

 平成16年(2004年)。


 子安圭介が、馬主としてデビューしてから早くも5年目を迎える。


 ここで、最大の問題点が発覚する。

 正月を終えて、厳寒の時期の北海道。実はこの年の1月13日から1月16日にかけて、北海道では激しい雪が降り続き、交通が各地で寸断され混乱に陥った。特にオホーツク沿岸地域は強風を伴う大荒れの天気が続き、場所によってはここ30年間で最も激しい大雪となった。つまり、凄まじく「寒かった」。

 そして彼らの懐事情もまた「寒かった」。


「お金がないわ」

 美里が、神妙な面持ちで、圭介に見せたのは、彼女が管理していた「収支管理帳簿」、つまり一般家庭で言う「家計簿」だった。


 見ると、従業員給料、つまり人件費をかなり抑えているこの牧場でも、毎年約850万円がかかっている。


 もちろん、資金に余裕がないから、彼らにはボーナスはなかったし、圭介自体が、従業員と同じ安月給で働いていた。


 それでも、「勝てない」事情を考えると、明らかに金が「足りない」。というよりこのままだと間違いなく赤字に転落する。

 むしろ、これまでこの資金で持ってきたのが「奇跡」に近いくらいで、それだけ出費を抑えていたのだ。


「ヤバいな」

「まあ、わかってはいたけどね」

 嘆息する圭介に、美里は冷静に対応する。


「とりあえず、このままだと間違いなくマイナスになるから、借りるしかないけどね」

「それはいいが、どこから? いや、誰からだ?」


「手っ取り早いのは、消費者金融。でも、利息が高い。オススメは銀行だけど、貸してくれるとは限らないわね」

 消費者金融。いわゆる「高利貸し」に近く、平成22年(2010年)までは、年利が29.2%だった(現在は20%)。つまり、それだけ利息を取る業者が多く、違法スレスレの闇金業者が多かった。


 当時、その手のCMはしょっちゅう流され、駅前には消費者金融の大きな看板が目立ち、消費者から多額の利息を分捕る、悪徳業者も多かった。


 そのため、圭介は慎重にならざるを得ない。


 一方で銀行。現在では、銀行のカードローンが主流になり、当たり前になっているが、この当時、まだ銀行ローンは一般的ではないのと、法人に対しては、借りるまでの「審査」が厳しいという事情もあった。

 銀行側としては、明確な「収入」がないところには貸すつもりはなかったのだ。


(どうしよう。だが、消費者金融からは借りたくない)

 彼自身、知人であり、従業員である結城の親の、多額の借金からの、心中という最悪の結果を見ているから、尚更警戒していた。


 そこで。

「馬主から借りられないか?」

 と、口に出すと、美里は唖然としていた。


「馬主から? 山寺とか、長沢さんから?」

「ああ」


「少なくとも前者は嫌ね。大きな借りを作ることになるし、提案するのも嫌」

「そう言うだろうと思った。試しに、長沢さんに相談したいから、話を通してくれないか?」


「……わかった」

 どうも憮然とした、不機嫌な表情ながらも、彼女は頷いた。


 数日後。

 圭介と美里は、2人で長沢春子の牧場へと出向いていた。


 相変わらず、豪華な建物や広い敷地があり、多数の馬が放牧されている、まさに「セレブ」な雰囲気を持つ牧場に、内心辟易しながらも、彼らは建物の広いリビングに通された。


「お待たせしました」

 現れたのは、相変わらず高そうなブラウスに、ロングスカートを履き、これまた高そうな指輪をはめた長沢春子だった。

 彼女が結婚しているかどうかは、実は謎だったし、この指輪も結婚を意味しているとは限らない。そもそも二人は彼女の夫を見たこともなかったからだ。


「あの、すみません。本日伺ったのは、電話で話したことに関してでして」

 最初から、下手したてに出て、長沢のご機嫌を伺うように切り出した圭介だったが、彼女はニコニコと笑顔を見せながら、


「ええ、いいですよ」

 あっさり了承していた。


「えっ。本当ですか?」

「はい。お電話で伺ってから、準備しておりました。それで、いくらご入用いりようですか?」


 いきなり、中身の金額の話になっていた。戸惑いつつ、躊躇する圭介に対し、美里は強気で、かつはっきりしていた。


「最低でも3000万円は必要です」

 これは、もちろん従業員の人件費、それに牧場を回す諸費用、さらに馬の預託料なども含まれる。当座の資金として、最低限3000万円は必要なのだ。


「それくらいでしたら、全然大丈夫ですよ。何でしたら、1億円くらいお貸ししましょうか?」

 平然とそんなことを言ってくる長沢に、圭介は驚きつつ、「住む世界が違う」とすら思っていたが。


「いえ、結構です。それより利息は……」

 と、美里はきっぱり断ると、そのままズバズバと話を進めて行く。


 結果として、利息は年率15%と低く抑えられたが、結局3000万円も借りると、どのみち利息だけでかなりの返済額になる。


 ひとまず10年返済ローンプランを組み、契約することになった。つまり、1か月あたり、約27万円を返済に充てることになる。


 無事、契約書を交わし、彼女、長沢春子はその日のうちに、圭介たちが使っている銀行口座に3000万円を分けて、振り込んでいた。


 帰り道の車の中で、圭介は安堵の溜め息を突いて、

「よかった~」

 と天を仰いでいたが、美里の感想は違っていた。


「悔しいけど、貸しを作っちゃったわね。こうなったら、あの長沢春子を出し抜くくらい稼いでやるわ」

 何故か、闘志を燃やしていた。


「なあ」

「何?」


「何で、お前はそんなに長沢さんを敵視するんだ? いい人じゃないか」

「全然わかってない。あれはね。策士よ」


「策士?」

「そう。あの目は、『してやった』って目だったわ。ああ、何か無性に悔しい!」

 美里は、目を見開いて、拳を握り締めていた。



 そして、彼女の予測通り。

「ふふふ」

「どうしました、オーナー?」

 長沢春子は、牧場から立ち去る、圭介の車を窓から見下ろして、微笑んでいた。傍らにはサングラスをかけた、黒服の男が控えていた。


「いいカモが出来たわ」

「奴らがですか?」


「そう。あいつらが負ければ負けるほど、私には黙ってても利息分が入ってくる」

「でしたら、もっと利率を上げれば良かったのでは?」


「それじゃダメ。適当なところで『借りやすい』利息にしないと」

 彼女は、ほくそ笑んでいた。


 最初から長沢春子は、子安ファームを「食い物」にして、金をふんだくろうと考えていた。


 負けが込めば込むほど、再び彼ら子安ファームが長沢に金を借りに来るだろう。その分、利息だけである程度稼げるという算段だ。


 もちろん、本業で十分稼いでいる彼女には、その利息さえも「はした金」に等しいが、それでも「カモ」に出来ると考えたのだ。


 だが、彼女の予測は少しずつ狂い始めることになる。

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