第28話 さすらいのギャンブラー

 目を合わせた二人は、対照的だった。少なくとも圭介の目にはそう映った。


 嬉しそうに目を細める、一見すると「キタキツネ」にも似ているような、細目の女性に対し、相馬はどこか気まずそうな表情をして、目を伏せていた。

 年の差もあるし、どういう関係なのか、不思議に思う圭介だった。


「いやー、久しぶりだね。最近、あまり見なかったから、競馬辞めたのかと思ったよ」

 と、女性は先程までの鬼の形相から、一転してヘラヘラと愛想笑いを浮かべていた。どうでもいいが、年が離れている相馬に対して、無遠慮で敬語すら使っていなかった。


 女性の変わり身の速さとは恐ろしい、と圭介が思っていると。

「ああ。こちらの兄貴の世話になることになってな。しばらく場外馬券場から賭けていたんだ」

 もちろん、ネット投票がない時代。即PATそくパットと呼ばれる、電子投票システムは2005年から始まる。


 つまり競馬で賭けるには、「競馬場に行く」か「場外馬券場に行く」の選択肢しかなかった。


 相馬を「競馬場で見かけなくなった」と彼女は言っていたのだ。


「初めまして」

 一応、圭介の方から挨拶をして、名刺を手渡すと、彼女は驚いたように、二度見してから、圭介の方を改めて見直した。


「えっ。お兄さん、馬主なの? こんな若いのに?」

「ええ、まあ」


「へえ。こりゃ驚いた。あ、あたしは坂本美雪みゆき。27歳、独身でーす」

 聞いてもいない個人情報を勝手に教えてくれるのだった。


 その坂本と名乗る若い女性は、先程の函館記念で勝ったことに気を良くしたのか、真っ先に払い戻し機で換金した後、最後の12Rも見ずに、2人を競馬場内にある、ラウンジのようになっている場所に案内し、テーブル席に誘った。


 コーヒーを片手に、3人は向かい合って会話をする。

「それにしても驚いたなあ。まさか相馬さんがあなたみたいな若い人の牧場に勤めるとはね」

「お二人はどういう関係で?」

 遠慮せずに、圭介は核心に迫る問いを投げかけたが、彼女、坂本は笑顔のまま、手をひらひらと振って、


「ああ、ただのギャンブル仲間。っていうか、この人、ダメ人間だから、しょっちゅう競馬場で見かけるんだよね」

 と、容赦なく、相馬を切り捨てるように言っていたから、さすがに二人の間に、「恋愛関係」などないだろう、と圭介は漠然と思った。


「ダメ人間って、そりゃいくらなんでも……」

 反論しようとする相馬にも、


「だって、また借金してるんでしょ、どうせ」

 と返されて、相馬はぐうの音も出ないように、黙り込んでいた。


 一方、圭介は彼女に興味を持った。

「坂本さんは、どんな仕事を?」

「ああ、あたし? ギャンブラー」


「へっ?」

 一瞬、目が点になっているように、驚いて固まっている圭介に、しかし彼女ははっきりと主張してきた。


「だから、ギャンブラーだよ。日本中を回って、色々な競馬場に行って、賭けて、それを生業なりわいにしてるの」

「マジですか? いや、そもそもそれだけで食べていけるんですか?」

 一応、圭介より2歳年上だから、敬語を使っていたが、彼女はあっけらかんと話してくれるのだった。

 こういうのを俗に「旅打ち」と言って、日本中を周りながら、ギャンブルをやるのだが、現在においてはほとんどいないと言っていいが、当時はまだいたのだ。


「もちろん、競馬だけじゃ無理。競輪、競艇、パチンコ、麻雀。あたしには、持って生まれたギャンブルのセンスってのがあるのよ。相馬さんとは違うからね」

「俺にだって、相馬眼はある……」

 珍しく反論したと思ったら、弱々しい声の相馬に対し、坂本はどこまでも強気だった。


「バカ言わないでよね。相馬さんに相馬眼なんてあるわけないじゃん」

(やっぱりか)

 妙なところで圭介は納得していた。そもそも、最初から怪しいと見ていたのだ。いわば、美里のツテだから雇ったに過ぎない。


「大体、今年1年でどれくらい勝ってる? いや、どれくらい負けてる?」

 自分よりはるかに年上なのに、相馬には一向に遠慮なく、敬語も使わない坂本という女に、圭介は違和感というか、不思議な物を感じるのだが、相馬は、


「勝ったさ。天皇賞春と宝塚記念を当てた」

 と、反論していた。


「そりゃ、あれだけガチガチの固いレースならそうだろうね。あたしはこの1年で万馬券を含めて、1000万円は儲けてるからね。まあ、税金でだいぶ引かれたけど」

「1000万円! マジで。相馬さんじゃなくて、坂本さんにセールの馬を見てもらった方がいいのでは」

 と、圭介が色めき立ったので、相馬は慌てて、


「待って下さい、兄貴。俺にもチャンスを」

 と食い下がってきたので、さすがにかわいそうに思った圭介は、


「冗談です」

 と告げていたが、自分の身の上が心配になったのか、彼は面白いことを口走るのだった。


「俺の見立ては、後からついてくることが多いんですよ。直近では難しいかもしれませんが、ミヤムラジョオウ。恐らくあれが子安ファームで最初に勝つ馬でしょう」

「マジですか?」


「はい」

 イマイチ、疑心暗鬼の瞳を相馬に向ける圭介に対し、坂本は笑いながら、


「相馬さんの言うことは当てにしない方がいいよ、オーナーくん」

 となおも相馬に対して、疑念を抱かせるような回答を寄こす。


(どっちを信じればいいんだ)

 と圭介自身が、疑心暗鬼に陥ることにもなった。


 だが、一方で、この坂本と名乗る女性との出会いを、上手く「利用」しようとも圭介は思うのだった。


「坂本さん」

「美雪でいいわ」


「じゃあ、美雪さん」

「はいはい」


「次に賭ける大きなレースはどれですか?」

「8月の札幌記念かな」


(8月18日。GⅡの札幌記念か)

 すぐにスケジュール帳を取り出して、圭介は確認した。


 そして、

「では、今度は札幌競馬場で会いましょう」

 そう告げて、相馬を伴って、函館競馬場を後にすることになった。


「はーい。また会おうねー」

 上機嫌に手をひらひらさせて、見送ってくれた坂本。


 帰りの車の中で、相馬は、

「兄貴。坂本の姉御には注意した方がいいですよ。もし、あんなのを嫁にしたら、家計が破綻します」

 といさめられていたが、


「いや、そもそも別に嫁にする気なんてないですけど」

 もちろん、圭介は否定していた。


「っていうか、マジでギャンブルだけで生活してるんですか、あの人」

「はい。マジです。まあ、もちろんたまには負けてますけどね」


「いや、それだけで十分凄いですけど」

「天性の勘というか、ギャンブルの神に好かれてるんじゃないですかね」


(ギャンブルの神なんているのか? まあ、ある意味、快楽主義の人格破綻者か)

 基本的に女性でギャンブル依存症というのは、珍しいが、圭介の目には、彼女はそんな風に映っていた。


 見た目こそ綺麗だが、付き合うとなると面倒そうな女性だという認識だ。


 そして、果たして相馬が言ったことは正しいのか。ミヤムラジョオウが子安ファーム初の勝利馬となるのか。結果はまだわからないのだった。


 ただ、圭介の脳裏には、馬のデフォルメイラストが入った帽子をかぶった、「変な女」の姿だけが、鮮明に残ったのだった。

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