第21話 初めてのレース
再びセレクトセールで、格安馬を手に入れたのと同じ7月。
ついに、子安ファームにとって、「初めてのレース」がやって来た。
もちろん、ミヤムラボウズを預けていた立木厩舎から「デビューさせる」という事前連絡があったが、預けた厩舎の立木調教師がスパルタだと聞き、また実際会ってみて、圭介は一抹の不安を感じていた。
2001年7月21日(土) 小倉6
オーナーブリーダーは、余程の大きなレースではない限り、わざわざ毎回、競馬場に応援に行くようなことはない。
まして、小倉は九州だから、北海道からは遠い。
従って、初のレースの割に、圭介は見に行かなかった。
代わりに、ラジオの前に座って、そわそわしていた。
当時、まだインターネットによる配信はなかった。配信されるのは関東が2010年10月から、関西が2012年7月からだった。
つまり、まだこの時代の主流は、テレビとラジオであり、スポーツ新聞や競馬新聞片手にレースを見るのが当たり前の時代だった。その代わり、ラジオの中央競馬実況中継では、ほぼ全レースが中継されていたし、大体のスポーツ新聞や競馬新聞には、全レースの馬柱、つまり出馬表が載っていた。
一応、自分の牧場初のレースということで、圭介はオーナーの執務室に従業員全員を集めた。
美里の他に、真尋、結城、相馬も集まる。
ミヤムラボウズの人気は18頭中、16番目で、単勝の倍率が189.0倍だった。当然、馬柱には印すらついていない。
ちなみに、圭介は、単勝の100円のみ、自分の馬に賭けていた。
オーナーブリーダーやその関係者は、中央競馬の関係者と違って、「賭ける」ことが出来るが、それでもその馬券の金額を見て、美里が、
「呆れた。自分の馬なのに、100円。よほど期待してないのね」
と愚痴っていた。
そんな中、レースは始まった。
運が悪いことに、このレースは「18頭立て」だった。つまり、「18分の1」の確立だが、新馬戦は6頭くらいの小頭数からのレースもあるため、確率面ですでに不利になっていた。
枠番では、8枠17番。かなり大外枠だが、そもそもたった1000mしかないから、枠による有利・不利はほとんどないレースと言える。
騎手は、特に選定や指定の依頼はしていなかったが、若手の20代の騎手だった。
そして、
「スタートしました」
淡々とラジオから実況の声が流れる。
「まず先手を取ったのは……」
最初、ミヤムラボウズは、名前すら呼ばれていなかった。
ラジオ中継では、実際のレース映像などはもちろん見れないので、「想像」だけでレースを思い浮かべる必要がある。
今と違い、映像によって全てを把握することはできない。
通常、一応、全ての馬が一度は名前を呼ばれるが、最初に「ミヤムラボウズ」の名前を呼ばれた時、彼は18頭中の16番目を走っていた。
そして、そのままレースは淀みなく進む。というよりたった1000mのレースだから、競馬ではあっという間に終わる。
小倉競馬場の芝・1000mは、右回りで、典型的な小回り・平坦コースだ。最後の直線も293mと短い。つまり、圧倒的に逃げ・先行が有利な形状だった。
そんな中、すでにスタートに出遅れていた、ミヤムラボウズ。
結局、アナウンサーにほとんど名前を呼ばれることなくゴールイン。
終わってみて、結果を見ると。
18頭中18着。
一応、新馬戦でも1着になれば、100万円近くの金額が入る(内国産馬の場合)のだが、11着以下だと、これが50万円くらいになる。つまり、半分だ。
子安ファームのデビュー戦は、最下位と、散々な結果だった。
「ボウズくん……」
真尋は彼を可愛がっていたから、一際悲しそうな顔をしていた。
一方、
「残念だったね」
と、ラジオの近くのソファーに座っていた美里が呟いたが、圭介は、
「まあ、最初から勝てるなんて思ってない」
冷静だった。
(というより、本当に立木厩舎は大丈夫なのか)
今のようにインターネットから直接映像が見れるわけではないので、馬の状態が直接わからないというのはあったが、実はこの時、ミヤムラボウズは、かなりガレていた。
つまり、競馬用語での「ガレる」であり、体重が減り、毛づやが悪く体調が低下している状態だった。
子安ファームにとって、初めてのレースは惨敗に終わる。
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